永遠の幼子

 私は暗い洞窟で生を受けた。私の生の最初の一滴は、地上の果て、死すべきものたちの住処からはるか遠く、ある奥まった住処の最も未開の暗闇の中に落ちた。<父>の最初の一撃が、私を死すべきものたちの住処から引き離し、彼らの王となるべき新たな生にふさわしい隠れ処を用意した。地上を照らした一瞬の稲光の後に続いた巨大な咆哮が、死すべきものたちに私の誕生を告げた。

 私の最初の成長は、私の生まれた洞窟の暗闇の中で過ぎていった。死すべきものたちが踏み入ることの許されない隠れ処を住まいとし、そこで日々を送ったかつての不死なるものたちのように、私は死すべきものたちを襲うあらゆる脅威から引き離されて最初の歳月を過ごした。私の最初の住処は、水の上に咲くひとつの大きな花のうてなに似ていた。私の<母>の分娩の血と水が、幾世紀の暗闇を重ねた洞窟の静寂に、私のゆりかごを用意したのだ。<母>は太陽の光に当たれば一日のうちに萎れる花の上に私を置いた。まだ弱い私のために必要な栄養を運んできてくれたのは、不死なるものたちが死すべきものたちの最初の王の称号を私に授けるのにふさわしくするために長い時間を費やす乳母たちだった。

 私の乳母たちは、やがて来る果実の成熟を保護するために若い生を費やす花弁に似ていた。花をつけたブドウやキヅタ、オリーブ、マツ(1)、オーク(2)、ミラクスの木の枝で編んだ冠を頭に被り、様々な植物から魔力を授かった彼女たちは、<母>の恵みを自在に湧出させた(3)。オリーブの枝で編んだ冠を頭に戴いたある乳母が、オオウイキョウの茎から削り出したキヅタを絡ませた剣ともいうべきテュルソス(4)を手に取り、苔生した湿った岩を叩くと、そこからは深い森の岩間から流れ落ちる始原の滴りのような澄んだ水が湧き出た。また、マツの枝で編んだ冠を頭に戴いたある乳母が、乾いた砂利の大地に杖で穴を開けると、そこからは繊細で甘い乳が噴き出し、乳白色の川となって流れた。私はその乳のおかげで、不安も動揺もなく、心穏やかに生の最初の歳月を過ごすことができた。あるいはまた、ミラクスの枝で編んだ冠を頭に戴いたある乳母の杖からは、力強く濃密な蜂蜜のネクタルが滴り落ちてきた。それはアッティカのハイメトユス(5)やシチリアのヒブラ(6)の地を流れる蜂蜜よりもさらに強壮な蜂蜜だった。彼女は杖を私の開いた口にかざした。そこから滴り落ちた蜂蜜が私の全身の隅々にまで行き渡ると、私の皮膚からジャコウソウの花の香りが溢れ出た。それは私の住処の暗闇を神秘の芳香で満たした。私は私の乳母たちが湧出させた乳と蜂蜜から、不可視な<母>の温もりと心遣いのすべてを集めた。私が私の感覚の隅々にまで行き渡る乳と蜂蜜の甘美な侵入を許した時、神秘が私の感覚を私の身体の最も奥深くまで押し進め、生の喜びが私の全身を駆け巡ったが、私はまだその感覚を制御できずにいた。

(1) 松は常緑、不死の象徴として崇められている。ヘルメスの息子パン(全てという意味)の神木。さまざまな点でオルペウス教の創世神話に登場する原初の両性存在の神、プロートゴノス(Πρωτογονος、最初に生まれた者)あるいはパネース(Φανης、顕現する者)と同じものとも考えられた。この神は原初に卵より生まれた両性の神で、原初神エロースの別名で、みずからの娘ニュクス(夜)とのあいだに原初の神々、すなわち大地(ガイア)と天(ウーラノス)を生み出した存在である(Protogonus/Phanes)。また「全て」という意味からアレクサンドリアの神話学者、そしてストア派の哲学者たちによって「宇宙全ての神」であると解釈されるようにもなった。
(2) オークは、ゼウスの神木。
(3) エウリピデス『バッカイ』702 - 713行
(4) エウリピデス『バッカイ』25, 113行
(5) Hymettus
(6) Hybla

 私は時が満ちるとやがて落下する神秘の果実だといってもよかった。私の乳母たちは私とともに暗闇で時を過ごすので、太陽の周期的な運動ではなく、果実の成熟を通して時の充溢を推測した。私の成長はビワ(7)のように遅く、私の乳母たちは私の成長のために若い生の多くを費やした。ある日のこと、光が果実の成熟を仕上げる最後の日、彼女たちの美が盛りを迎えた時のことだった。彼女たちは死すべきものたちの最初の王の徴として、ヘビ(8)の冠を私の頭の上に乗せた。ブドウ(9)の枝で編んだ冠を頭に戴いたある乳母が、杖で笞を打ち、ブドウ酒の泉を湧出させた。彼女たちは不死なるものたちと一体となるために、ブドウ酒を多く飲み、酩酊し、恍惚となり、まるで取り憑かれたかのように私を取り囲んで踊り狂った。彼女たちの狂乱は、私にも伝わってきた。私は彼女たちの狂乱を利用して、<母>の胸に飛び込んだのだった。そのようにして私は最初の歳月に別れを告げた。私の乳母たちは音もなく地上に落ちた私を抱え上げ、つねに新しい果実の収穫を祝った。

(7) ビワの学名「Eriobotrya」は、ギリシャ語の「産毛(erion)」と「ブドウ(botrys)」を組み合わせた言葉。
(8) エウリピデス『バッカイ』111行
(9) ブドウは、力と不節制の象徴。

 私が地上に落ちた時、私は傷つきも挫きもしなかった。地上に落ちた私を保護したのは、<母>の息吹だった。<母>の息吹は、ある時は北極に輝くアルクトス(10)を凍らせるボレアス(11)のように冷たく、また別の時には天の沈む南極に灼熱をもたらすノトス(12)のように暑かった。そして、数々の死すべき英雄たちを世界の涯エリュシオンへ送ったゼピュロス(13)のように、私に絶えず英気を与えた(14)。

(10) 北斗七星、大熊座
(11) 北風
(12) 南風
(13) 西風
(14) ホメロス『オデュッセイア』第4巻 561 - 568行

 「おお、<母>よ、私がこのようにあなたを賛美できるのはあなたの息吹のためだった。あなたの息吹は地上に不規則な影を落とす雲のように気まぐれだ。私は優しく揺れる葉叢のざわめきや、軋む枝に、私を眠りに誘う子守唄を聞いた。あるいはまた、あなたの息吹が雲を消し去り、天から差し込む光が私に目覚めをもたらした。そのような眠りと目覚めが交互にやって来た。私は規則正しい自然の戯れに、あなたの秘められた意思を感じたのだ」

 私の未熟な生に支えを与えたものが、私に神々しい身体を授けた。私はあらゆるものの肥沃な源を、原初の女性の身体として認識した。私はその源を<母>と呼ぶのだが、その全身は隠されていた。私は<母>の身体のうちに、地上のあらゆるものを、自然の全存在を感得した。すべてが<母>の下にあった。<母>は大地の豊饒と植物の繁栄を統べていた。<母>は自然の全運動を司り、空気と水の流れを支配した。<母>の命令によって、輝くクロノスの子ゼウスは空気を操り、彼の妃ヘラは豊穣な大地から生命を育んだ。また、アイドネウスは火山に尽きることのない火を与え、ネスティスは死すべきものたちの流れ出す泉をその涙によって潤した(15)。<母>は死すべきものたちすべてを見守った。死すべきものたちに配慮し、保護するものにもなれば、生を終えたすべてのものが戻っていく場所にもなった。あらゆる苦悩を癒すその優しさは、すべてに等しく注がれた。

(15) エンペドクレスは「燦として輝くゼウス、生命をもたらすヘラ、それにエイドニウスとネスティス」を四者と呼んだ。  エンペドクレス 断片6

 私の生の最初の時期は、<母>の懐で過ぎた。生の始まりの配慮と保護は生の発展に不可欠で、優しい<母>の息吹は、それが昼であろうと夜であろうと同じように私に降りかかり、私を愛撫した。私は<母>の懐に匿われ、風と風に揺らめく自然の影にあやされて、全地にあまねく響き渡る<母>の胸の鼓動を聞いていた。今なお永遠の響きを聞かせている<母>の鼓動のひとつひとつが、生命を司る原初の律動を私の感覚に伝えた。私は<母>の鼓動を自らの感覚のうちに完全に閉じ込めた。私は私の感覚を尺度にして、喜びのうちに世界を推し量った。私の感覚は<母>の抱擁の力から、内なる陸地の広がりと輪郭を推し量り、外なるオケアノスから流れ出て、大地を潤し、再びオケアノスに戻っていく四つの川の流れから、外なるオケアノスの大きさと流れを推し量った。

 <母>の広い胸は、すべての不死なるものたちが絶えず戻ってゆく不動の住処(16)だった。そこはクロノスの子ゼウスが、すべての不死なるものたちを集めた、世界で生じるあらゆる変化を見て取ることができる、地上の中心にそびえ立つ最も荘厳な山の頂きだった。つねに雪に覆われた霊山の頂きで絶えず宴を繰り広げる彼らが、時折そこから降りてきた。彼らが降り立つ先には、レアがクロノスの目を逃れてゼウスを隠れ育てたイダの洞窟がある。彼らの霊気は私の洞窟に近づくごとに大きくなり、未開の暗闇を裸の美で満たした。私がいまだ知らない世界はおそらく美しい。私は私が推し量った外の世界について何も知らず、いまだ探索する自由を持っていなかったが、彼らからほとばしり出る裸の美が、私に外の世界へのあらゆる憶測を招いたのだ。

(16) ヘシオドス『神統記』116 - 122行

 不死なるものたちは、このように死すべきものたちを不意に襲う。彼らがあの山頂へ再び戻っていった後には、宴の後の余韻のような霊気が私を包んだ。私は死すべきものたちの最初の王にふさわしい力と美を満たすために、不死なるものたちの霊気を必要としていた。私は夜毎ゼウスの秘儀を執り行う不死なるものたちから力と美を獲得し、クロノスの子の腿から生まれ出た、不死なるものたちの最後の王となるよう運命付けられた幼子のように、月が満ちるとともに私を最初に保護していた暗闇を抜け出た。ゼウスは嫉妬に狂った彼の妃ヘラに欺かれ、彼の落とした雷に打たれて焼け死んだテーバイ王カドモスの娘セメレから取り出した幼子を自らの腿に縫い込み、傷口を黄金の留め金で閉じた。彼は月が満ちる時を待って、その牡牛の角を生やした(17)幼子を取り出したと言われている。しかし、ゼウスの王位を受け継ぐはずだった不死なるものたちの最後の幼子は、ウラノスの子ティタンによって八つ裂きにされてしまった。その時、不死なるものたちの支配は終わったのだ。ティタンは彼の散らばった手足を煮て、焼き、その肉を食らい、不死なるものの神秘と不死の性質を獲得した。最後の幼子を殺害したティタンは、怒ったゼウスが落した雷によって焼け焦げ、彼らの巨大な死骸から煙が上がった。そして、積もった灰と煤から死すべきものたちが生まれた。不死なるものたちの最後の幼子は、この殺害によって永遠の幼子となったのだ。私はただティタンの灰と煤から生まれた死すべきものに過ぎず、不死なるものたちから受け継いだ劣化した神秘と不死をとどめているに過ぎない。しかし、誕生の永遠の循環のために、永遠の若さに生まれ付くように運命付けられている私は、死すべきものとしてあの永遠の幼子の後を継いだのだ。

(17) エウリピデス『バッカイ』100行

 「ザグレウスよ、永遠に若き王よ、ゼウスとデメテルの間に生まれた華奢なくるぶしを持つ(18)娘ペルセポネの息子である(19)あなたの死によって、数々の王座のうちでも最も高位にある特権的な玉座は永遠に空位となった。ゼウスが不死なるものたちに宣言した王位の継承は果たされないままだ。それから世界はこのように老いたが、あなたは永遠に幼子のままだ。あなたが年齢を重ねることはない。そのために、あなたに記憶というあまりに人間的な力を期待することができない。死すべきものたちは、あなたを八つ裂きにしたティタンの破片に過ぎない。私はあなたが飲んだ乳と蜂蜜から永遠の若さを受け継いだ。しかし、あなたの後を継ぐべき私は、不死なるものたちと死すべきものたちがなした歴史を思い出すことができないのだ」

(18) 『諸神賛歌』テメテル賛歌第2番2
(19) 前一千年期のオルフェウス教におけるクレタ島の神としてのディオニュソスは、ザグレウス、つまりゼウスの息子(ゼウスとデメテルの間に生まれた娘ペルセポネの息子)であり、ゼウスの王位を継ぐものとみなされていた。

 私の生に最初の試練を与えたのはエウロス(20)だった。つねに乱れた不吉な風をよこす彼女は、雨と雲を運んで、嵐を起こした。乱れた気象は<母>の悲しみだった。<母>が悲しみ、意気消沈すれば、幾日もの間世界は雲に覆われた。<母>の喜びは太陽の光を呼んだ。<母>の感情の運動が気象のすべてを動かした。<母>がうつむき、ゆっくりと顔を傾けると、<母>の髪が流れ落ち、世界のすべてを覆うほど巨大な影を落とした。それはまるで歴史に秘められた苦悩が、<母>の全身に重くのしかかっているかのようだった。私は<母>の献身を全身に浴びていたのだが、<母>の苦悩はより深く私に伝わり、私はそこに私を喜びから引き離そうとするある力を認めるのだった。

(20) 東風

 <母>の長く豊かな緑なす黒髪は、水平線に沈む太陽の最後の光を受けた波のように豊かだった。私が初めて<母>の黒髪に触れた時、それは水の上に燃える夜の炎に浸ったために、より豊かで生気に満ち、オリエントから運ばれてくる絹糸のように滑らかだった。しかし、私は<母>の髪が本来持っていたはずの豊かさに、わずかながら翳りが生じていることを認めざるを得なかった。<母>の髪の艶はその色と同じように失せ始めていたし、その末端には、心なしか乾きと硬さが認められた。それは<母>が苦悩の歳月に密かに耐え忍んでいたことを示していた。それは何が通り過ぎたことの徴なのか?一体どんな苦悩のために<母>の髪は傷つかなければならなかったのだろうか?私が<母>の髪に最初の苦悩の徴候を認めた時、私は私のうちに知性が芽生えるのを感じた。そのようにして、私は苦悩と悲しみを知らない歳月から連れ出されたのだった。

 私に目覚めた最初の知性は、生を影で支配する感情の諸原理の起源を探し求めた。知性は感情の支配する領域に届くことはない。感情は生の運動源であり、知性によってその原理を知ることは決してできない。しかし、知性が感情によって活気付く時、知性に仄かな光が灯る。このように、私は知性と感情の原理を悲しく推し量った。私は<母>の感情の動きを注視していた。私は<母>のあらゆる喜びと悲しみの不安な動きを追い続けた。知性の影で眠る喜びと悲しみが、代わる代わる私を襲った。やがて暗闇に差し込んだ光は私を捉えて離さず、ひどく興奮して闇の中を動き回るのだった。

 原初の暗闇のなかで光が当たることのなかった記憶に最初の光が当たる時、それは私のうちに太陽の光とは異なるある内的な光を生起させた。私が知性的な光と呼ぶその光は内なる光のことであり、内なる光は—純粋な感情が、感覚が、心像が、美が、それらに対する深い愛が発する隠れた光源は—内的世界の諸事物へと侵入し、世界に新たな色彩を与える。消え去った記憶はもう一度違った姿で現れる。思い描く度に変化するその姿は、生に隠された秘密の数々を教える。かつて地上を照らしていた太陽の光は消えた。だがそれも、時を経て再び異なる光の下で生きるためだった。

 可視的な光は没する。それゆえに、可視的な光からは身を隠すことができる。しかしながら、知性的な光は決して没することがない。それは晴れ渡る精神のうちにつねに光輝く。そのような光からどうして精神を隠すことができるだろうか?知性的な光は熱を与えない。それは星の光に似ている。可視的な光が事物の覆われた闇を取り払うまで世界は形と色を持たないように、知性的な光に照らされるまで天は暗い物質であり続ける。知性的な光は精神の世界から可視的な光によって表現される感覚世界の反映を奪い、感覚世界は形と色を失うことで、その外に感知不可能な実体を残す。精神が天に形を与え、知性的な光がその形を映し出す。永遠の光が不滅の形を照らす。それは不可視な世界の原型である。それはどんな像も明らかにすることができず、精神にただ想いを凝らすように強いるのだ。

 知性的な光が私の内なる世界を隈なく照らした時、それは私のうちに夜明けによって呼び起こされる予感と似た予感を呼び起こした。私は夜の暗闇に近い最も高い頂きに横たわり、深まる暗闇のなかで絶えず増え続ける光の数を数え続けた。虚ろな瞳に様々な像が浮かんでは消えた。光を追い求める私の瞳に、やがて天から無数の光が降りかかった。形あるものが滅びた静けさの上に輝きが満ちた時、冷たい世界に新たな生が宿った。

 暗闇が果実の成熟を遠ざけるように、私は歩みを始めるのが遅かった。<母>が与えてくれる恵みが私の身体を満たし、十分に蓄えられるまで、<母>は私が歩みを始めることを押しとどめていたが、ただ私の身体が運ばれるに任せていた歳月は終わりを告げた。

 私の乳母たちが地上に湧出させた恵みは、死すべきものたちを乾燥のうちに育んだデメテルの大地を潤し(21)、私の最初の養育が終わり、彼女たちの魔力が失われた後もなお、地上に長く潤いを与え続けた。私はそれを明かすように、地上に打ち捨てられていた明るく満ちた月の光を反映する鏡を見つけた。それは誰からも隠されたまま天を反映し続けていた。地中深くに姿を消し、遠くの隠れ処で湧き水として再生する決して探り当てられることのない泉のように、月の恵みが鏡の巨大な泉として湧き出ていた。

(21) エウリピデス『バッカイ』275行

 それはかつてティタンがザグレウスをおびき寄せた鏡だった。ザグレウスはティタンの誘惑の玩具たちー鏡、コマ、うなり木、羊の骨のサイコローの中でも、音や数の神秘を象徴する玩具より、光を反映する鏡に最も魅惑された。鏡の輝く表面は、<母>が受け止めた永遠の苦悩が結晶したものだった。私はいまだ誰も入ったことのない水に飛び込むように、その鏡に飛び込んだ。私は不意に鏡に映った自らの姿を発見した。このようにして、私は私の誕生を目撃した。

 乱れた昼と夜が、灼熱と極寒が止むことなく続き、やがて地上とオケアノスが氾濫した。大地の氾濫が地上の古い世界を破壊し、オケアノスの氾濫が地上を洗い流した。海底から姿を現したのは、ゼウスがエウロペと交わりもうけたハデスの裁判官ミノスが、巧みな建築家ダイダロスに命じて建築させた、海に沈んだラビュリントスだった。それはミノスが犠牲を惜しんだために、それを送ったポセイドンによって狂わされた見事な牡牛と、ミノスの妃パシパエとの間に生まれたミノタウロスが閉じ込められたクレタの迷宮だった。テセウスはアテナイの七人の少年と七人の少女とともに自ら犠牲に加わり、ミノタウロスを殺害した。廃墟となってやがて水に沈んだラビュリントスは、宇宙にその迷宮を映す。

 時の車輪が回り、死と再生は循環した。霊魂は水となることによって罪と記憶が洗われ、死ぬことができる。水は大地になることによって死ぬ。しかし、大地から水が生まれ、水から霊魂が生じる(22)。死者たちの霊魂は循環の定めにより、地上を流れる四つの川のうち天に最も近い園を流れるレーテの川の岸辺に集まる。彼らは地上での罪を洗い流し、古い記憶を消すために、その川の水を飲む。彼らが汚れた手でその水をすくい上げ、口に含むと、彼らの罪が浄められ、地上での長い歳月の間に彼らの霊魂にこびりついた罪が、彼らの瞳の奥を駆け巡る。彼らの罪は川の流れに乗って流される。カロンの重い船が、レーテの水をもってしても浄められない罪をまだ霊魂のうちに残す多くの亡霊たちをハデスに運び、柳の軽い船が、罪の軽いわずかなもののみをエリュシオンに運ぶ。このような霊魂はすべて、時の車輪が回るとともに再びレーテの川の岸辺へと戻ってくる。その度ごとに古い記憶が消え、罪の汚れが落ちる。

(22) 「魂にとって、水となることは死である。また水にとって、土になることは死である。しかし土から水が生じ、水から魂が生じる」ーヘラクレイトス「断片」36
ホメロス『イリアス』第7歌99行では、「お前たちは一人残らず水と土になるがよい」という言葉で「死」が歌われている。

 「世紀よ、欲望よ、歴史の流れはなんと野蛮なことか!地上と天を支配したクロノスの子ですら逆らうことが許されない、運命の支配者である三姉妹モイライによって支配された死すべきものたちは、彼女たちが見せた数々の幻影のために、心狂った欲望に突き動かされる。狂乱した力が無数の死骸の上にさらに死骸を積み重ねる。歴史は諸世紀をめぐる。歳月は速やかに費やされ、その目まぐるしい循環は新たな世紀を形作る。歴史とは運命と夢の集合体であり、ある野蛮で粗暴な力が、死すべきものすべてを巻き込みながら、その歩みをあてもなく進める。その歩みは、いまだ想像だにしなかった出来事を生じさせ、あらゆる生を消尽し、悲惨な一世紀を残す」

 レーテの川の岸辺では、九人の娘たちがオルフェウスの歌に勝るとも劣らない調和のとれた美しい声で、彼らをハデスに送り出す歌を歌う。彼女たちはゼウスがピエリアの里で、ムネモシュネと九夜交わり続けて生まれた女神たちだった(23)。

(23) ヘシオドス『神統記』54 - 57行

 ハデスの裁判官ミノスは、無数の亡霊たちに容赦のない裁きを下し、自らの体に巻きつけたヘビのような尾の数で彼らをハデスの谷に振り分けている。<母>はレーテによって洗い流された無数の死者たちの罪を受け取り、その懐には無数の亡霊たちを抱いている。そして、その懐に君臨するハデスは無数の名前を持ち(24)、その名前を呼ぶあらゆる声を受け取る。私は<母>の胸に脈打つ鼓動に耳を傾けた。私は滅びゆく大地の奥に隠された滅びない罪の声を聞いた。私はその胸の懐に深く沈んだ声を求めて、ヘビが股の間から尾を差し出して、背中と腹にとぐろを巻いてからみついて首に噛みつくような強烈な締め付けでもって母を深く抱きしめ、夢でもって<母>の胸を襲った。私は地上に墜ちた古いヘビたちを使い、アガメムノンに惑わしの夢を送ったゼウスのように、無数の亡霊たちにレーテの純粋な光に満ちた夢を送った。

(24) 『諸神賛歌』デメテル賛歌第2番17

 私は運命に支配された無数の亡霊たちに、古いヘビすら逃げ出すほど強力な光に満ちた夢を送り、彼らの知恵では到底敵わない、目に見えないモイライの運命の残酷と野蛮に逆らおうとした。私は<母>の胸の奥から漏れ出る言葉にならない叫び声を自在に聞いた。それは痛ましい泣き声と呻き声、そして叫び声だった。

 巨大な地鳴りが大地の底から湧き上がり、耳をつんざく怒号となって地上にまで轟いた。黙しているのは、その声に耳を傾ける私だけだった。「ただひとりの生者よ、私たちの歌を歌え」それはハデスの風に乗って流れてくる無数の亡霊たちの声だった。

 レーテの水に洗い流された無数の亡霊たちを閉じ込める、ハデスの永劫の暗闇に君臨していたのは、ティタンに息子を殺害されたデメテルの娘ペルセポネだった。彼女は息子を失った代償に、犠牲を要求していた。ティタンはハデスの底で、彼らを粉々にした雷を打ち落とされて、悶え苦しんでいた。天空を引き裂き、ゼウスを天の王国から追い落とそうした彼らの両腕は、鎖を巻きつけられ、二度と振るうことはできなかった。ティタンはクロノスによって去勢されたウラノスの性器が拘束していた大地の奥から生まれたが、ゼウスに敗れた彼らは再びタルタロスの底に閉じ込められたままだった。このようにザグレウスを殺害したティタンは、罪の中で最も重い罪のために、いまだにハデスの底で永劫の責苦を受けている。ペルセポネの悲哀が癒されるまで、ハデスの責苦は永遠に続く。

 死すべきものたちはゼウスに雷で打たれたティタンから生まれたために、彼らは霊魂に不死の性質を宿している。そのために、ペルセポネの恨みは死すべきものたちに向けられる。彼らの罪が深くなるごとに、彼女の悲しみもより一層深くなる。

 悲哀の嘆きは答えを求めて永遠に響き続ける。ペルセポネの悲哀を癒すことができたのは、アドニスの美を賛美するオルフェウスの歌だけだった。彼は不死なるものたちの中で、歌とリラの調べによって地上のあらゆるものを従え、あらゆる知恵をいとも簡単に感取して無類の富を築き上げ、リラのあらゆる巧みなわざを自在に操った偉大な詩人だった。

 「オルフェウスよ、裾の長い衣をまとったトラキアの神官(25)よ、あなたの七つの弦を張ったリラによって、私にあなたの麗しい歌の調べの力を授けたまえ、あなたは象牙の撥でかき鳴らしたリラによって花や草木を歌わせ、美しい歌によって岩石や木を動かし、野生の獣たちを手なずけた。あなたの調べは詩人のアルカディアをー田園を、小高い丘と放題な草原を、羊飼いの牧場と憩いの森を、せせらぎの川と溢れる泉をー蘇らせる。願わくば、不死なるものたちでさえ屈するあなたの声と霊感を私に授けたまえ。ハデスの法をも曲げさせるあなたの調べを私に奏でさせよ」

(25) ウェルギリウス『アエネイス』第6巻 638 - 647行

 私の願いはハデスの風に乗って流れた。それは美しい歌声を乗せた爽やかな風となって私の下に戻ってきた。

 「あなたはハデスを右手に進まなければならない。間違っても左手を進んではならない。左はハデスの最も低い場所で、最も重い罪を罰するタルタロスに至る道だ。あなたが右手に進んでいった先にはディーテの城があるだろう。そこであなたは二つの泉を見つける。一方の泉の傍らにはイトスギが立っている。そこには近づくことさえしてはならない。あなたは反対側に別の泉を見つけるだろう。その泉の冷たい水は、ムネモシュネの湖から流れ出ている。その前には、泉を守護するものたちがいる。彼女たちに言いなさい。『私は大地と天の子だが、天に属する種族である。私にヘリコン山から汲み出されるムネモシュネの泉の水を飲むことを許したまえ。私は渇きのために喉が干涸びて死にそうだ。すぐにムネモシュネの湖から流れ出ている冷たい水を与えなさい』。その言葉を聞けば、彼女たちはあなたにムネモシュネの泉から水を飲むことを許すであろう。そうすれば、あなたは死すべきものたちの王となるだろう」

 私はオルフェウスが示した道を右手に登っていった。それは恐ろしい道行であった。ティタンの死骸から無秩序な風が吹き出した。オケアノスには無数の島々があり、天には無数の星座がある。しかし、無数の亡霊たちがさまよう暗闇のハデスには目印はなく、地上を取り巻く規則正しい風もなかった。死すべきものたちの霊魂は彼らに付与された運命にさまよい、それは永遠に取り消し不可能である。しかし、私の送った光り輝く夢たちがハデスの暗闇を照らしていた。私はその光を頼りに、亡霊の群れの間を掻い潜った。そこでは愛欲が暴風の最中をあちらこちらへ飛ばされ、暴食が冷たい雨に打たれ、凍てつく地面にひれ伏し、憤怒が穢らわしい沼に溺れていた。諍いが汚物で塗り込められ、裏切りが冷たい水に漬けられ、自殺が折れた枝から血を流した潅木になっていた。そして、林をくまなく狩りたてるどう猛な猟犬の群れが逃げ惑うものたちを引き裂き、不吉な鳴き声を上げる怪鳥が彼らを餌食にしていた。私がそこで見た光景は、時の車輪が回るにしたがって罪を浄めた霊魂の姿ではなく、ますます罪を増やした姿だった。そこでは地上で永遠に勝ち誇ったかに見えた名声も、一瞬間のことに過ぎなかった。彼らは永劫の責苦に今も苦しめられているのだ。

 歌の調べがなければ、いかなる英雄の勝利もむなしく、いかなる王の栄誉もまたむなしい。数々の英雄たちをハデスに投げ込んだペレウスの子アキレウスが戦うことを止めた時、死すべきものたちは不死なるものたちの加護を失った。アキレウスが生まれた時、テティスが彼をハデスの川ステュクスの水に浸したために、アキレウスの身体は手で掴まれていた踵を除いて不死身となったが、炎と水に浸かった私の身体は、アキレウスの不死身の身体よりもさらに豊かになった。私は強烈な熱に苛まれることもなく私のうちに充溢する輝きに、心行くまで浸っていたが、私の胸の内で燃える不滅の火は徐々に明るさも力強さも増していった。

 無数の亡霊たちのすべてを魅了し、美しい歌によってハデスの王とペルセポネを説得したオルフェウスの歌とリラの調べの抗えない力は、彼らとの誓いを破り、振り返ってエウリディケの姿を見たことによって失われた。オルフェウスは地上への帰還を果たせず、ハデスに閉じ込められたままだった。それ以来、偉大な詩人の美しい歌声は地上から消えた。しかし、詩人の霊感の源泉は、ハデスの見張りも目の付かない隠れ処から湧き出ていた。私はいかなる詩人のいずれの歌を持っても征服することができなかった、詩人の霊感の源泉に導かれた。私がディーテの城にたどり着くと、オルフェウスが示した二つの泉を見つけた。イトスギの立つ泉の反対側の泉の前には、泉を守護するものたちがいた。それはレーテの川で無数の亡霊たちを送り出す美しい歌を歌っていた、あのムーサたちだった。ムネモシュネは彼女たちを、災厄を忘れ、悲しみを鎮めるものとして生み出したと言われている(26)。彼女たちは亡霊たちをハデスへと送り出すと、ペルセポネの悲哀が癒されるまで、ムネモシュネの泉の守護のためにレーテの川を降り、ハデスへと戻ってくる。私は彼女たちの前に立ち、オルフェウスの呪文を唱え、彼女たちに私の出自を明かした。すると彼女たちは、私にムネモシュネの泉から水を飲むことを許した。私がまだ誰も汲んだことがないその泉の水をすくい上げると、その水は私の手のひらで結晶となった。その結晶の透き通った光は、私の純潔と無垢を明らかにするものだった。その光は私の霊魂のうちに密かに忍び込み、決して消え去ることのないひとつの謎としてその中心を占めた。それは逃れ去る時よりもなお脆い。その結晶は、私の手のひらからこぼれ落ちると、たちまち水に戻った。

(26) ヘシオドス『神統記』55 - 56行

  古くて美しい光が私の胸に注いだ。歌の調べは感情の深い動揺によってのみ明らかになる。かつて抱いた、そして今も消えることなく残っている歳月の重みによって沈んだ苦悩によってさえ抑えきれない動揺が、古の涙となって流れ出る時、夢は溢れ出て川となり、それまで隠れていた創造の最も内密な種子はあらゆる方向へ分岐しながら、樹となって成長し、枝葉を広げた。そこにはあらゆる象徴と秘密の源泉が眠っていた。

 怒りに駆られたクピドに恋の矢を射られたアポロンは、恋を追い出す矢を射られたダフネを追い掛けた。どこまでも追ってくるアポロンにいよいよ捕らえられる瞬間に、ダフネはゲッケイジュに変身したと言われている。それ以来、ゲッケイジュはアポロンの樹となった(27)。私はアポロンの樹の木陰で私の乳母たちがそうしていたように、可憐な黄色い花を付けたアポロンの樹の枝で編んだ桂冠を頭に戴き、詩人として死すべきものたちの言葉を引き継いだ。

(27) オウィディウス『転身物語』第1巻 452 - 567行

 ペネウスの葉が風に流れて、飛んでいった。私は地上を取り巻く四方の風にさまようその葉の行方を追って、キタイロンからパルナッソスを超え、テッサリアの川の流れを追っていった。その葉はアルプスで行く先を見つけたかのように突然向きを変え、南へ下って、乙女の姿となった。彼女は私のダフネだった。

 詩人が歌の調べを奏でるごとに、数多くのダフネが生まれる。私は彼女の姿を追って、エロスの面影を残すパンジーの花畑を歩いた。私の瞳の光は色とりどりのパンジーの花々と緑なす樹々の上に煌めいた。それは美を天上にまで高めた。色彩とは天上の喜びだ。私が果てしなく広がるパンジーの花畑から一輪の花を摘むと、私の歌はより美しくなった。

 歌の調べは光り輝く夢たちの中心を流れた。私は記憶の彼方で長い間揺れ動いていた光の波の中から特異な輝きを放つある微光を見分けた。数知れない夢たちの力が形なきものにひとつの形を与えた。私は無数の夢たちの奥に輝くひとつの光に手を差し出しては、星の光のように捉え難い微かな輝きから様々な徴を導き出そうとした。大きな星の周りを小さな星たちが回るように、見えない力が星座とそれを読む精神を結び付ける。夢の力が歌の調べを運んでいった。夢が私のものならば、私は詩人なのだ。私は死すべきものたちの記憶に配置された夢たちの連関を辿った。それは例えば、触れるものすべてを黄金に変えたミダスが黄金を洗い落としたパクトロス川の黄金を身につけ、踊りながら至る所に落とし歩くキュベレーのようだった。その歩みは国々に信仰を打ち建て、永遠の倦怠の下で停滞する生を一新する驚きを広く伝える。遥かな道程は歴史のように長い。私は歩み行く先々で運命に翻弄される人々の間を彷徨い、無数の記憶に満たされた日々を掠め取った。それは生にとって予め失われている夢をとどめていた。暗闇で見るものが夢ならば、歌の調べは光の夢だった。長い夜が明けた後にも夢が生き残ったのは、歌の調べのためだった。歴史のうちでは決して結実することのない夢が歌となったのだ。歌の調べが過ぎ去った世界を記憶から明るみへと引き上げた時、夢は歌の中で失われた。

 私は死すべきものたちの記憶全体を新たな歌の調べに乗せた。そして、歌の調べを夜の天体に、見晴るかすオケアノスの全表面に、恵みの大地の上に散りばめた。私の歌は世界の呼吸を司る豊かな生命によって満たされ、自然の息吹と同じ韻律を守った。歌の響きは歴史の高みにあり、それゆえに歴史に支配されることがない。歌の調べが流れる時、歴史は詩人の歌に滅びる。歴史は記憶の中でしか確固とした支えを持たない。だが、記憶には歴史がない。伝承はかつて生きていたものにとっては記憶だ。私は失われた記憶を知っている。その記憶は完璧な歳月のように語る。望みが約束したあまりにも多くのことは、ただ時を空費させただけだった。天と地の和解はまだ実現していない。それは約束されているだけだ。最後には私はそれを現実のものとするだろう。なぜなら、私だけが生き残ったのだから。

 私はただ一人生き残ったものとして地上へと帰還した。私の歌はハデスの王を説得し、ペルセポネの悲哀を癒した。三つの首を持ち、青銅の声で吠える、絶えず腹を空かせた奇怪なケルベロスも、偽の牝牛を胎に宿したミノタウロスも、櫂で死者を永劫の暗闇の中、酷熱と極寒の岸へと送るカロンも、私の地上への帰還を妨げることはできなかった。

 オケアノスの氾濫が私を山頂へと打ち上げ、私は夢から覚めた。激しく燃える神聖な火を運ぶ松明を掲げ、純潔の花の杖を揺らし、イダの洞窟で作った牛の皮を張った太鼓を叩き、甘美な調べを奏でる横笛を鳴らしながら、パクトロス川を流れるミダスの黄金で身を飾り、艶やかな髪を色鮮やかな孔雀の羽根で飾った、イダの王に帰依する(28)気高く尊い狂った乙女キュベレーたちが、足取り軽く、凍った湖面の白鳥のように舞い踊りながら、山頂に向かって荒れ果てた険しい山の斜面を登ってきた。

(28) 「イデのゼウスに帰依する者、また、夜歩く牧夫ザウレクスを崇める者、となってからの日々は、純潔こそが人生であった。生のものを食べる祝宴(オモパギア)を終えて、松明を山の地母神へと高く掲げる、そう、クレタたちの松明だ、聖なる地へ向けて掲げ、バッカスをお招きするのだ」ーエウリピデス『クレタ人』断章(ポルピュリオス『禁欲について』Ⅳ・16)

 「大地に乳が流れ、蜜が流れ、ブドウ酒が流れる。幼子を讃えよ」キュベレーたちが囃し立てた。

 太鼓と横笛の響きに合わせて私を讃え、山頂へと登ってくるキュベレーたちの歩みが近づいてきた。彼女たちの歩みは、パクトロス川の黄金を落としていった。彼女たちの後ろをその信仰に従った無数の亡霊たちが付き従い、彼らは彼女たちの落とした黄金を身に付けた。彼女たちは死すべきものたちが不死なるものたちの目に見えるように彼らに黄金を纏わせ、歌い踊りながら世界中に信仰を広めた。神聖なるヘラスを旅立ち、豊かな黄金の国リュディアから貧しい農夫の国フリギア、そしてオアシスの国バクトリア、広大なメディアを巡り歩き、行く先々で異国のものたちを彼女たちの歩みに従わせた。彼女たちはさらにカウカソスを超え、驚異のインドを訪れた。彼女たちはブドウの栽培とブドウ酒の製法を広めた。ティタンはブドウを栽培して、その実を裂いて絞ったが、それはザグレウスが八つ裂きにされた姿の再現だった。

「ハデスの深淵が天の高さへと転回する時、運命が成就する。不死なるものが死に、死すべきものが不死なるものとなる時、ザグレウスとハデスが同じ一つの王となる(29)。ブドウ酒とその果実に、不死なるものたちと死すべきものたちを、あるいは天と地を婚姻させるザグレウス亡き後、私だけが天と地を婚姻させることができるのだ」

(29) ヘラクレイトス「断片」15, 62

 キュベレーたちは再び戻ってきた。弱い光を放って登る星座が夜の深みを進みつつ獲得するきらめき以上に、暗闇に燃える松明の光は威力を増していった。不死なるものたちの霊感が再び山頂を隈なく覆っていた。燃える松明を掲げたキュベレーたちが、二列に整列した。それは不死なるものたちに向かって並ぶ神殿の列柱のようだった。彼女たちは松明を大地に下ろし、私を取り囲んだ。そして、私を抱え上げ、天へと差し出した。

 それは太陽の光が最も輝く真昼だった。私は祭壇に身を捧げる犠牲のように、あらゆる光の中で最も強く輝く最初の光のために与えられた地点に身を差し出した。私が直視した太陽の光は、私の四肢の力を永遠に奪い、私の猛り狂っているが思慮深い意思を奪った。

 天の最も明るい光が私を見出した時、私の瞳は永遠の輝きを獲得した。私はまばたきもしないで太陽を直視する能力を授かった。長い歳月によって穿たれた岩窟に新たな光が差し込むように、暗闇に慣れたが突如強い光に晒された私の瞳は、月が燃える太陽に自らの暗い球体を投げ出すことよって獲得する光以上に純粋な太陽の光を宿した。それは触れることなく所有できるただ一つのものだった。

 私の瞳は再び天へと向けられ、瞳から放たれた太陽の光が雷雲を撒き散らした。輪郭の捉えがたい不明瞭な暗闇の中に現れた最初の星の光は、雲間から射し込む一条の光のように明るく、私の瞳に映った天の広大な空間を押し広げた。輝く太陽が鏡のような泉の水面に凍てつくように、天上へと向けられた私の瞳は夜の星々を照らす鏡となって、不死なるものたちの世界を反映した。

 私が地上で最初に見た、太陽の光に照らされて周回する月の天は、天の階層の中でも地球から最も近い場所にある最も小さな天であり、その天は不死なるものたちと死すべきものたちの境界だった。私はそこに天を流れる乳白色の光を放つ川の流れを見た。私の瞳に力を与えた太陽と月は、地球に近い下位の天だった。しかし、天の中心にある太陽こそがすべての天の運動を統制し、指揮していた。この太陽の天には、それぞれが球体をなしている水星の天と金星の天が従った。その上位に火星、木星、土星の天が、それぞれ下位の天を包括しながら周回していた。これら互いに対応し、等しく光り輝く七つの天と一二宮が浮かぶ黄道は、不死なるものたちと地上のあらゆるもののすべての繁栄と衰退、豊穣と困窮、栄光と困窮、幸運と不運、世界の運命を支配し、その行く末を決めている(30)。地上の栄光は諸々の天の階層に対応し、七つの天と一二宮が浮かぶ黄道が、地上のむなしい栄光を、時が経つにつれ、東へ西へ、あるいはまた北へ南へ、ある世代から他の世代へ、ある民族から他の民族へ、死すべきものの知恵が及ばない領域で移るように定めている。あるものの栄光は他のものの悲惨であり、またあるものの幸福は他のものの困窮である。私は死すべきものの王として、天の定めを知り、それによって天体の運行が死すべきものに与える運命全体を、自らの運命に一致させようとした。

(30) 『メーノーグ・イー・フラド』第8章 17−21

 私は天上における知性の循環を見た。知性は天の循環に似ている。光を宿すものは天の定めに従い、天の定めに従うものは運命を知る。私はオケアノスの水が世界の涯から落下する轟音を、地球が不動のままにつねに同一の場所でその音を聞いているように、死すべきものたちの耳には決して捕らえられないほど大きい、天の調和が生み出す一つの霊妙で巨大な交響曲を、天の中心で聞いた。太陽の周回は一二宮の星座の一つを覆い隠し、地上の夜の暗闇からその星座の光を隠す。私は太陽の運行によって移り変わる星座の配置から、天体の交響曲の楽譜を読み解き、天の調べに習いつつ、再び天上へと立ち返るべき道を開いた。

 間隔を等しく隔てながら全宇宙を迅速極まりない速度で周回する天体の運行は、宇宙に正しい音階を生み出している。諸々の天は異なった音階の七つの音を発している。より迅速に周回する最も高い土星の天の軌道は高く鋭い音を発しているが、より遅く周回する最も低い月の天は最も低い音を発している。それら一つ一つの天が放つ音は単調だが、七つの天の音は調和によって無数の旋律を生み出す。私が麗しい和音を奏でる緩やかな旋律に乗って、七つの天を抜けると、突然音楽が消え、私が最初の歳月を過ごした洞窟のような静寂となった。そこには七つの天の外側にあって、七つの天をすべて包括する、不死なるものたちの中でも最も偉大なものたちが住まう原動天と恒星天があった。天は九層をなしている。それら二つの天は最も高いところにあって、七つの天の球体とは逆方向に周回し、七つの天の球体の運動が放つ音はもはや届かなかった。

 私はすべてを揺り動かす世界の精神を内なる世界に見た。そこでは、死すべきものたちの身体が、天からその本性を付与された死滅することのない霊魂によって駆動されているように、再生と消滅を繰り返す世界が、天によって駆動されていた。始まりも終わりもないその運動は永遠に続く。私の瞳の太陽は、天体の永遠の炎を回し続けた。

 私は全宇宙に秩序を与え、天を諸々の階層によって区分した。私はまた、天と地の平衡を守り、星座の運行を支配した。私は死すべきものたちの運命を支配した。しかし、私は<父>の決して語られることのなかった不死なるものたちへの命令を語ることはできない(31)。

(31) プラトン『クリティアス』121。『クリティアス』は、ゼウスが神々をオリュンポスへ集めたところで中断している。

<参考文献>
レナル・ソレル(2003)『オルフェウス教』脇本由佳訳,白水社.
ヘシオドス(1984)『神統記』廣川洋一訳,岩波書店.
ヘーシオドス(1986)『仕事と日』松平千秋訳,岩波書店.
ホメーロス(1992)『イリアス』松平千秋訳,岩波書店.
ホメーロス(1972)『オデュッセイアー』呉茂一訳,岩波書店.
ウェルギリウス(2001)『アエネーイス』岡道男・高橋宏幸訳,京都大学学術出版会.
オウィディウス(1981)『変身物語』中村善也訳,岩波書店.
エウリーピデース(2013)『バッカイーバッコスに憑かれた女たち』逸見喜一郎訳,岩波書店.
ダンテ(2010)『神曲』平川祐弘訳,河出書房新社.
プラトン(2008)『饗宴』久保勉訳,岩波書店.
プラトン(1979)『国家』藤沢令夫訳,岩波書店.
プラトン(1975)『プラトン全集<12>ティマイオス・クリティアス』種山恭子・田之頭安彦訳,岩波書店.
ニーチェ(1967)『ツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣訳,岩波書店. ニーチェ(1966)『悲劇の誕生』秋山英夫訳,岩波書店.
(1990)『ホメーロスの諸神賛歌』沓掛良彦訳注,平凡社.
田中美知太郎(1985)『古代哲学史』,筑摩書房.
池田英三(1963)「『スキピオの夢』研究」,北海道大学人文科学論集,2:p1-32.
野田恵剛(2005)「メーノーグ・イー・フラド( I I ) パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓) 書」

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