デザインは楽しいですか?
こんにちは。前田デザイン室の室長だったり、デザイン会社である株式会社NASUの代表だったり、クリエイティブディレクターだったり、真の肩書きはデザイナーの前田高志(45歳)です。
今回は、ぼくのデザイナー人生のはじまりから、お話しさせてください。興味ないと思うけどなるべく面白く書きました。
平凡で苦しかった新人時代。
どうにか大阪芸術大学デザイン学科に1浪で入り、2001年に卒業しました。成績は中くらいです。新卒で任天堂株式会社に入社しました。そこから、ぼくの輝かしい?どこにでもあるデザイナー人生がスタートしました。
つくづく思ってしまうのですが、今も昔も平凡なデザイナーです。ほんとに思ってます。(そういえば、任天堂に入ってるのに凡人ではないだろう!と新R25の記事でプチ炎上しましたね)任天堂に入れたのは、たまたまゲームキューブ発売のときだったから人手が欲しかったじゃないでしょうかね。だって、ぼくと同じ大学から同年6人も入社しましたから。同級生から「任天堂って誰でも入れるの?」って嫌な言い方する人もいました。冷静に自分を見積もると中の中くらいのレベルだったと思います。
新人研修で、同期と比べて、あきらかに自分が社会人として劣ってるとわかるのがツラかったですね(笑)社外の研修で講師の人に笑いのネタにされたこともあります。そんなこともあって、自分にとって人並みにできることはデザインだけ。ぼくには「デザインしかない」って本気で思っていました。
仕事と、作品は別物だ。
入社してすぐ驚いたのは、デザインに置いて「仕事と作品」は別物だったということです。学生時代の自分の作品は自分だけで決められる。会社に入るとその会社のその会社の社員みんなのデザインになる。そんな当たり前のことがわかっていなかったんです。
その解決方法はスピードを上げることだった。ぼくはひとより思考が遅い分、手のスピード上げればなんとかなると考えたのです。
まずはデザインがうまくなるより、デザインが早くなりたかった。
広告クリエイターへの嫉妬と憧れ。
2000年初頭は、雑誌広告、新聞広告、中吊り広告、駅貼り広告。グラフィックデザイン、アートディレクター全盛時代。大貫卓也、佐藤可士和、佐野研二郎のスターラインが眩しすぎました。デザイン雑誌もいろいろ創刊されていた。ぼくは広告クリエイティブの大ファンでした。だから最近になって『デザインノート』編集長の三嶋さんや、広告クリエイターの書籍をたくさん作られている松永さんと話させてもらうと話が止まらなくなります。
いつか駅貼り広告のデカいかっこいいポスター作った!って言いたいって、ぼくは目をキラキラさせていました。
坂本龍馬を目指した20代。
少し話は時間を戻します。
就職活動の時に、人生を俯瞰して考えていた時、坂本龍馬に興味を持ちました。マンガ『おーい!龍馬』にどハマり、そして『竜馬がゆく』。ヒーロー的なものに憧れる童心・前田です。自分も日本に生まれたからには「日本のためにできることをやりたい」って真剣に考えました。志士です。前田高志に「志」が入っていますし。(若い……恥い)でも、何をしたら良いのかわからない。政治家には全く興味ないし。自分のやりたいことで日本のために何かやりたいだから。
坂本龍馬の物語の中で、龍馬は剣の腕が達人というのがかっこいいなぁと思って、ぼくも何かやれることが見つかるまでは“剣の腕を磨く”のが良いかもしれないと「デザインを極めよう」と考えました。(どこまでも幼稚で稚拙な考えで、今思い出すと自分の底が知れて嫌なもんです)
ただ、凡人なのに割となんでも「がんばればできる!」って思い込めるところが、ぼくの強みだったりします。
芸人論を語る芸人たちのように、ぼくも熱いデザイン論を語り合いたい。
任天堂に入って、配属されたのは「企画部」というCMを作ったりするプロモーションを担当している部署でした。希望していたところに入れてうれしかったのですが、同期のデザイナーたちはみんな開発に行ってしましました。身近にデザインの話をできる人がいない。
ある日、同期のひとりに「サントリーのサンアドみたいにニンアドやりたい」ってロゴ作ってメールしたことがあって、なんの返信もなくてこれには相当凹みました。
あー、社内で求めスルーたされると傷つくし、今後その人のこと避けちゃって。全然その人のことに腹たったりはなく、その人も悪いわけじゃないしね。でも、会社内で熱量ミスマッチが起こるのはツラいなと思った。その時代、今みたいにオンラインコミュニティなんてものはなく、結局ぼくがすがるところは、デザイン系セミナーの懇親会くらいでした。しかし、なかなか同じくらいの熱用を持っている人とは出会えずでした。
ダメ人間を救うのは剣。“剣しか勝たん”
ぼくは「坂本龍馬は実は剣の達人」を目指していた。ダメ人間でも救われるのは誰もがすごいと思える腕(技術)しかない。ストイックで、強気で、負けず嫌いで。(しかし、そこまで突き抜けてはいないのでそこをつっこまれるとツラいところですが)デザインについては本当に真剣でした。
任天堂の新人時代。同じ熱量くらいの先輩や後輩が、欲しいと思ったこともありました。開発部には毎年たくさんデザイナーが入っていくし、先輩も多いんですよね。デザインにおいてはかなり孤独感がありました。もちろん、0ではないんです。むしろ、同じ部署の師匠や上司、先輩たちの熱量はむちゃくちゃ高かったです。ただ、デザインにおいてもそういう人がもっと欲しかったんです。
いや〜、しかし今回のnoteを書いていて思うのですが、求めてばっかですよね(笑)恵まれているのに。求めるのはいいけど、“改善”すればいいだけだ。今思うと、そこが僕の弱点だったのかもしれない。そんなぼくでも当時やっていた改善は、セミナーと本にすがることでした。京都広告塾というところに通っていた時も、人見知りを発動してあまり仲良くなれなかった。それもデザインすればよかったのに。生活においてのデザイン力が足りてなかったですね。
ちょっと仕事ができるようになってきた。
3年くらいたってようやくちょっと仕事ができるようになってきた。スピードにこだわったのは大正解でした。その頃には「え、はや!」って言われるのが楽しかったです。「え、はや!」の中には「はやいのにいい!もうできてるやん」が含まれていたからです。
アートディレクターに“全振り”します。
広告デザイン界隈は華やかなアートディレクターの時代。ぼくはアートディレクターになりたかった。実は、ぼく大阪芸術大学の面接で「アートディレクターになりたい」と言ったんですよね。現在、それに近い仕事をしていて夢は叶ったわけです。これは素直にうれしい。
その時は、アートディレクターがどういう仕事するかは全くわかっていなくて、絵の予備校時代の先生がグラフィックデザイナーの先にはアートディレクターという職業があると言うのをなんとなく聞いていて、そこを目指そうと思ってただけなのです。でも、そこから有名なアートディレクターである大貫卓也さんを知っていて、衝撃を受けた。やっぱりアートディレクターを目指していきたいと決意しました。
一方、アートディレクター全盛時代ですが、(2001〜2010年あたりまで)Webデザインの時代でもありました。紙を使ったデザインは今後衰退していくからWebを学ぼう!みたいな流れがデザイナー界隈でありました。当然、ぼくも焦って勉強したことはありますが、どうもしっくりこず、Webもアートディレクターという立場なら関われるぞ!と思ってアートディレクターに全振りすることにした。関係ないけど、防御全フリのアニメが好きです。タイトル忘れた。
アートディレクターになるにはアートディレクションを経験しないといけな。特にアートディレクターという役割にたどりつくには会社組織では時間がかかる。アートディレクターになるんだって言う意識で仕事をするしかなかった。もっと役割が責任がある仕事を、もっと早く責任ある立場で経験したい。そんなふうに考えるようになりました。だから、前田デザイン室では若くからスキル関係なく手を挙げればプロジェクトリーダーを経験できるようにした。
ゲームの広告ばかり作ってていいんだろうか。
デザイナーとして上を目指すなら他の業種のデザインをやったほうがいいんじゃないか。仕事がちょっとできるようになってくると、そんなふうに思い始めました。ぼくは、つくづくわがままな人間です。任天堂に入ったのはひとつのことを深く追求できるからと言うのもあって、先の考えには矛盾をしています。ただ、欲がだんだん出てきてしまい。このままでいいのだろうか?と考えるようになりました。
土日にダラけてしまう自己嫌悪。クリエイターストレス。
仕事ができるようになるにつれ仕事中にアイデアを思いつくようになってきた。仕事以外で作品を作りたい。でも、「いいこと思いついた!土日に作ろう!!」と思っても怠惰な自分には無理だった。土曜日になると朝からダラダラして『せやねん』といいうトミーズ雅が司会の情報番組を昼間まで見てごはんをたべて、昼からドラクエをやって夜22時ぐらいにふと我に帰って、「あー、今日も何もやらなかったな」と自己嫌悪。次の日のおれは違うと奮起、結局人間は弱い。日曜日も同じサイクルを繰り返し、再び自己嫌悪。そして、次の日会社に行くのです。そして、週末はだいたい同じ。だんだんだんだん「このままでいいんだろうか?」という気持ちが強くなりました。
ぼくはどれくらい成長しているのだろうか?
そうしているうちに、その悶々は「ぼくは成長しているのだろうか?」と思うようになった。デザイン雑誌に載っている同年代の人たちにはどれくらい差をつけられているのだろうか。
だから、くまモンを作った水野学さんのgood design companyを受けたり、転職活動したり、転職をあきらめ、老後みたいなゴルフやゲームばっかりやって趣味に生きる期間を設けてみたり、迷走している時代がありました。20代後半から30代前半くらいのころの話です。
デザイナーとしての大きな転機。
その後、父の認知症がきっかけで、任天堂を辞めるという大きな決断をしました。任天堂は辞める理由がなかった。それくらいの大きなきっかけがないと辞められなかったわけです。
その後、最初に入ったのがブログのオンラインサロンでした。この世にはいろんな人がいるんだなといい社会勉強になりました。サバンナだ。
そして、その後、編集者・箕輪厚介さんのオンラインサロンに入りました。ここに入って新たな自分が覚醒します。今まで土日の怠惰で、何もできなかった自分。そんなぼくが仕事以外でのデザインが楽しくなった。ぼくは人からのリアクションがガソリンだった。
人の反応がないとモノを作れないと判明した。
あーこれだ。
「コミュニティ」
自分が悩んでいた事はこれでぜんぶ解決する。どうせなら自分のコミュニティを創りたい。
それで生まれたのが、前田デザイン室です。
ぼくはインフルエンサーでもない。
超・突出した能力も持っていない。そんな自分がオンラインコミュニティをやる。じゃあ、ちゃんとそのコミュニティはなぜ必要なのか?前田デザイン室の存在意義がなければ存在してはいけないと考えました。
その答えは「仕事とは真逆に行く」ということでした。
仕事と同じことをしても意味がない。というか、やりたくはない。とにかくものづくりをもっと楽しみたい。もっと面白いことをやりたい。クオリティー重視ではなくアイディア重視どんどん大量投下していく。そんなコミュニティにしたかった。
そう考えているうちに「悶々としたデザイナーあつまれ」というワードが生まれました。これはまさにぼくが20代の時に悶々としてたので、作りたいけど作れない“クリエイターストレス”を感じでいる同じような人がいるんじゃないか?という仮説からでした。
その仮説は当たってました。なんだかおもしろそう、新しいことがしたい!という人が入ってくれました。みんなどこか「クリエイターストレス」を感じていたのかもしれません。
誰もがクリエイターを目指すきっかけは、なんだかわからないけど楽しそうだったはずです。それが仕事に入ってみるとツラいと感じる人の方が多かったんじゃないでしょうか。「デザインを楽しむ」のには技術が入るのかもしれません。それも解明していきたいところ。
しかし、ぼくはデザインは楽しんでる人と一緒にものづくりをすることが1番のデザインを楽しむ習得方法だと思っています。
前田デザイン室はもう4年以上やっています。周りを見渡しても、ここまでいろんな様々な制作物を絶え間なく続けて作り続けているコミュニティーはそうそうないと思います。これをずっと続けているから、前田デザイン室は唯一無二の存在になってきていると感じています。
コミュニティーは進化させてはいけない。
前田デザイン室はこの4年で様々な進化を遂げてきました。小さな掘っ立て小屋だったのは大きなビルに育ちもっと大きく進化しようと思ってました。ぼく自身がデザインを教える人になることによりたくさんの人を無作為に募集して入ってくれたはいいけどちょっと自分のとは違うと感じて辞めていってしまうという、ミスマッチが起こったりしました。
「コミュニティが大きくなることは良い。そこを目指すべきだ!」は思い込んでいたのです。しかし、それは大きな間違いでした。コミュニティーは進化させてはいけない。コミュニティーの本質が壊れてしまうので、絶対進化させてはいけない。コミュニティは生き物。「小さな変化」は必要だと思う。
もう一度、前田デザイン室を設立当初に戻します。いや、最初よりも、もっともっと前田デザイン室の本質に戻します。成長から、大きくなりすぎたものを抑えるためにシンプル化。それを今は“”磨く”フェーズ。
前田デザイン室は、デザインの楽しさを追求するクリエイター集団。デザインは楽しんだな!って気づくと仕事でも大きく変わります。
任天堂培ったものづくり精神を持つ前田と、一緒にものづくりを楽しむことで開花します。
前田デザイン室は入りにくくなる。
前田デザイン室は8月1日からリニューアルします。
大きく変わるのは、4ヶ月に1度募集・審査制(アンケートと面談)になります。審査っていうと上からな感じに思われるかも知れませんが、「能力を見る」という意味ではなく「コミュニティや前田デザイン室に合っているか」という観点で見させてもらいます。
入ってからなんか違うってなったりすることもなくしたほうがいいので。ミスマッチングをなくしたいのです
※ちなみですが、今入ると審査なしです。
“落書き”特化のアートブックを作りたい。
9月からは落書きのためのアートブックをつくります。落書きは、楽描き。ぼくにとって小学校時代一番クリエイティブな時間は授業中の落書きでした。(だから勉強ができない)
アートブック。芸術の秋です。
ぼくにとってデザインの定義は、アートの力を使って目的を達成させるわけです。ですから、アートを全力でやることはデザイン力を上げるということです。これを来年の東京アートブックフェアにも出店しようと思っています。作ったモノをお披露目する。学祭みたいで楽しい。青春なんですよ。
興味ある方は前田デザイン室でお待ちしています。2022年8月6日(土)にリニューアルのオンラインイベントを開催するので前田デザイン室にちょっとでも興味ある人は観に来た方がいいです。→こちら
(こちらのイベントは終了しました。ご参加いただいたみなさんありがとうございました!)
今のぼくは、20代の時よりも20代だ。
ぼくは任天堂で仕事してきて、デザインができるようになってきたらすごく楽しくなりました。まずデザインを楽しむにはある程度できるようにならないといけないんですよね。ただ、もっとデザインの楽しさを知っていたら、もっと早くデザインがうまくなってたんだろうなとも思っています。ぼくは、今45歳。若い時はデザインの仕事は感性やセンス。だから、おじさんになったら良いデザインはできないだろうなとか、何歳までデザインの仕事できるんだろうと思ってました。でも、ぼくは20代の時よりも圧倒的にデザインを楽しくて、楽しんで。何より成長している。今のぼくは20代の時よりも20代だ。デザインが楽しいからです。
さて、最後にあなたに質問です。
デザイン は 楽しい ですか ?
(コメント欄にくれるとうれしいです)
おまけ(前田デザイン室でデザインの楽しさを知った人たち)
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