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NO.20 「主題と変奏」としての「子供の情景」

子どもの頃、夜眠りにつく前に長い冒険小説(例えば『十五少年漂流記』のような)を読んでいると毎晩決まった時間に遠くから「トロイメライ」の旋律が聴こえてきてそれが我が家での僕の消灯の合図になっていた。

それはもう少し物語の続きを読みたいけれど少し眠たくもなってくる絶妙な時間で、切ないようなそれでいてどこか至福の時間だった。

以来シューマンの「子供の情景」は僕には少し特別な音楽になった…

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昨夜、吉田秀和さんが1973年に書いたシューマンについての文章の中で、シューマンの「子供の情景」について「この曲全体が実は主題とその変奏としての構造を持っている」と書いているのを読んで「えっ」と声を出してしまった。

僕は今までこの曲が「出題と変奏」という構造を持っていると感じたことはなかった。
(吉田さん自身も先のエッセイで「10年以上前、レティの本を読むまでは、予感さえできなかった」と書いているから僕が気がつかないのはまあ致し方ないかも知れない)

吉田さんのエッセイには「子供の情景」13曲の出題が楽譜入りで掲載されていて、それを眺めながら(ケンプの演奏で)全曲を通して聴いてみると、確かに第1曲の冒頭の主題が全曲に使われていて、曲全体が緩やかな変奏曲になっていることは間違いない。

そしてわずか数音の第1曲冒頭の主題(写真参照。そっと掲載します)には、音階の上行、跳躍、下降によって「憧れと歓び」「悲しみと絶望」「慰めと許し」といった、シューマンの曲の随所に見られるテーマが含まれていることにもまた気づかされるのだ。

そしてこのテーマはシューマンの生涯(特に最愛の妻クララとの少しミステリアスな関係)を貫く重要なテーマでもあるのだけれど、それはまた別の機会に。

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