見出し画像

コーヒーを飲みながら考えを吐き出して0から再スタートする

◆買い過ぎたコーヒー豆

 2021年が終わる。今年は、行動する前に先の事を考えるよう意識した1年だった。考える事に比例してやりたい事が増えていく。対して出来ることは徐々にしか増えない。理想と現実が少し離れ過ぎているので、文章にする事で状況を整理したくなった。

ー考え過ぎる事は果たして正しいのだろうかー

◆手動のコーヒーミルで豆を挽く

今年何を考えてきたのか具体的に挙げていく。

・考① 生活環境について

 これまで私は妻と息子(2歳)と3人暮らしをしていた。スーパー、ドラッグストア、ホームセンターが近くにある賃貸のアパートであったため、困る事もないが特段秀でて住みやすいわけではなかった。しかし数年住んだ後、家賃負担、自動車道開通による利便性を鑑み、車で30分離れた妻の実家に住むことになった。それによって私の職場も遠くなってしまうが、通勤時間の1時間と家賃を天秤にかけると移住に踏み切る事になった。
 住んでみると少しずつ気になる点が浮かび上がる。家は広いが物が多い。服〜布団全ての布にカビが生えている。特殊な手順を踏まないとお湯が出ない。シャワーが使い物にならない。食品を買うがほぼ腐らせる等々。
 これは育児する上でかなり厳しい環境である。腐った食品を価値観の問題で幼児に与えられては困る。手の届く範囲に危ないものが置いてある。ほぼ全てにおいて改善点があった。

・考② 仕事について

 高校を卒業後から約8年間勤務した職場は、土日祝日完全休み、給料とボーナスは公務員並みという待遇だった。小規模な事務所で、担当にもよるが、営業・事務・福利厚生・給与関係・庶務をしなければならなかった。とはいえ仕事量は完全に定時で終わる量で、所謂ホワイトな企業であったと思う。
 話は変わるが、妻は菓子製造の国家資格を所持している。幼い頃からの夢はパティシエであり、いつかは個人の店舗を構えたいと思っている。
 正直私は今の仕事に一切やりがいを感じていない。いつか妻の店舗を構えるなら、住宅兼店舗とし、住環境と仕事環境を密接にすることで、子育てとの両立がしやすくなると考え、私も昔から興味のあったシステムエンジニアの勉強をし、夫婦で在宅の個人事業をするために勉強中である。

・考③ 人間関係について

 20代も後半に差し掛かり人間関係も整理されてきた。気の置けない仲のいい友人、頼りになる友人、尊敬できる方、繋がっているだけの関係。全て大事な関係であるが、この他にも田舎ならではの「許容しなければいけない関係」がある。
 妻の実家の近くにある居酒屋に行ったところ、そこは地域住民よく集まる場所らしく、顔見知りに一杯飲まないかと誘われ、快諾すると広い座敷に案内された。話を聞いていると、地域独自のコミュニティの集まりだったらしく、引っ越してきた私は今後の展望について軽く問答があった。全員が40代以上のコミュニティだったこともあり、真上から注がれる意見ばかりであったが聞いていると、気持ちを重んじること、商売を成功させる方法をどうやら教えたいらしかった。しかしながら内容的には地域住民に支えてもらうことが前提の話で、近年総人口約3000人となり平均年齢も高いこの地域では成り立たない。夫婦の個人事業についてもこの地域には合わないとのことだった。なぜ地域内だけで完結させたがるのか、この地域のコミュニティが閉鎖的でいいのか聞くと、感情論で諭されてしまった。この時点で意見は対立し、言い争いのような物だった。翌日、答えのない議論だったので自分にも非があったと少々反省もしていたのだが、周りの反応を聞いて驚いた。前日の言い争いは、私がこの地域の方針に反対しているというような見られ方をしていたらしく、全くもって意にそぐわない物だった。お互いこの地域をよくしていくことを前提に話していると思っていたが、この地域住民に従わない若者となってしまった。そして徐々に、「ああいう人だから大人しく聞いといたほうがいい」「もう少し人の意見に耳を傾けないと」という事を言われるようになった。
 この地域では、全員自分の事を肯定してくれるから自分が正しいと錯覚してしまい、同時にこの地域が正しい道を進んでいると盲信し、外野の言葉を全て拒んでしまうようだった。
 一刻も早くこの地域を出なければいけないと思った。

◆少々蒸らして抽出を始める

・そもそも考えを3つに分ける必要がなかった

 生活環境を変えることなど簡単な事で、引っ越せばいいだけの事だった。実家暮らしである程度お金は貯まっているのだから。仕事も人間関係についても同じことで、変えようと思えばすぐに変えられるものだ。具体的には、今いる場所から離れて店舗兼住宅を購入し開業すればいいだけの事だった。

ー完璧なスタートよりも対応力をー

・まとまった考えの中で最小限の行動を

 課題に対応するにあたり最低限の知識が必要になる。最小限の知識を得るためには、これだけはやっておいたほうがいいという先人の教えを乞うのが最善な気がした。これについて最も適している人はいない。開業している人であれば誰でも正解でしかない。開業してから起こる問題は環境によって異なるため、正解なんて無いと開き直ってしまったほうが心身にとっても考え過ぎてしまう性格にとっても相性がいいと気づくことができた。
 気づくことができたと書いたがこれは本当のことで、今書いていて読み直して本当に書いている今気づいたことだった。


ー始めるということが正解で、対応力に正解は無いー


◆ケーキセットでコーヒーを嗜む

・一人の考えた結論を出すことは勿体無い

 前述してきたことは全て一人で考え込んできたことだった。思えば誰かに聞いてみようと考える前に、同じ問題に直面した経験がある人などいるのだろうかと躊躇してしまっていた。奇しくも私の周りには個人事業主は数人いたのにも関わらず、全く同じ業種では無い人から何が得られるのだろうかと、凝り固まった偏見を持ってしまっていた。先ほど自分が離れようと思った地域と同じ考え方が頭にあったことを猛省した。


ー自分で出した結論は自分の経験の範疇でしか導き出せないー


◆コーヒー豆の品種も変えてみる

・今やりたいことを別の環境や業種に置き換えた場合

 例えば今勤めている会社の成り立ちを知っているだろうか。そもそも目的があり、それを達成するための知恵があり、それに向かって行動した人が創業したものだ。これが個人事業と遜色ないことに今更気づく。本当に凝り固まっていたものだと恥ずかしくなる。
 

◆器具・食器の手入れ

・不満があるなら自分の行動の遅さを疑う

 日々の生活は、どんなに華々しい職業に就いていても切り離せない物だ。生活と仕事、その他の両立をするために便利な家電を揃えたり誰かに頼んだりして切り抜けていくしかない。その便利な家電を揃えるという行動は不満や興味から起こるもので、現状に満足していれば現状維持で済んでしまう。しかし不満に関していえば、不満に気づけない場合は何に対して自分がストレスを感じるのか把握できていない。視点を変えて、常に再認識という行動を起こさなければ、本来回避できたはずの問題を抱え続ける事になる。

・気付くきっかけに感謝を

 不満に気付いた時、もっと良いものがあるなら最初から知っていたかったと思うかもしれないが、その時点で不満が無かったらその良いものを知ることもなかったと言える。何か納得のいかない出来事があったり、不満を抱えてしまったときは、よりよい行動にシフトするきっかけをくれたことに感謝し、それ以上深く憤る必要はない。これに今書いていて気づけただけで幸せになった上に、頭の中や感情の整理がついた。
 改めてこの記事を書いてよかった。記憶と記録に残るこのような媒体があってよかった。考え過ぎて、無理だと思う前に気付くことができて本当に救われた。


ー誰かに執着して不満を言う愚かさー


2021年が終わり2022年が始まる。今日は友人と飲み会があるのに外は雪が降っていて気力が削がれる。この雪のように、逃れられない弊害に直面することがきっとこの先訪れる。これに気付いたことで自分がどう変われば雪から逃れられるのだろうか。そんなことばかり考える2021年だった。

この記事が参加している募集

書くために本を読みます! 本の経済が潤いますように!