田舎に暮らす社長

西日本の田舎で暮らす小さな会社の社長です。

田舎に暮らす社長

西日本の田舎で暮らす小さな会社の社長です。

最近の記事

違和感

誰も読まない、筆者を特定する手段もない。主たる目的は、その時感じた自分の感性を振り替えるためのツール。そんな目的で使うNOTEというブログは、その時の自分が社会的な立場上、周囲に言いづらいことを書き記すという側面も持ち合わせる。年齢を重ねて、何かの属性に組み込まれている自分は、とてつもなく不自由な存在だ。 そんな不自由な自分が、違和感を感じて誰かに話したいけれど、SNSで身分を明かして、わざわざ発言するまでもないような事柄が時々ある。先日見かけたこちらの記事についても、自分

    • ナラティブの悪魔

      安倍元首相への襲撃事件以降、俄然宗教と政治の関りがクローズアップされている。 この件については思う所もあるので、また思考を整理して書き綴るとして、今回改めて「宗教」というものを考える切欠を得た。 そして、宗教を考えていく中で、図らずとも地方創生という文脈との共通項を見出したので、思考がどこかに行ってしまわぬうちに備忘録のように取りまとめたいと思う。 そういう意味では整理された文章ではなく、後から見返して更に思考を発展させるための文章という事になるが、特に誰かに見せるものでもな

      • メメントモリ-死をわするる事勿れ-

        数年前まで、8月になると広島に行っていた。 試験を受けるためだ。 その試験は8月第一週の週末日に2日連続で行われるため、前入り含めていつも2泊3日の小旅行だった。 この時期の広島は、原爆の慰霊祭にむけて、全国からいろいろな人が集まるらしく、それに伴って宿を取るのも一苦労だった。 コロナが蔓延するより、少し前の頃だ。 そのため、時には木賃宿のような場末感のある宿しか取れなかった事もあった。 古い赤線地区の中を抜け、彫物屋の隣にある、古い置屋を改装したような宿だった。 慰霊祭に

        • マッチョ思考

          4月16日、早稲田大学の社会人向けマーケティング講座で吉野家の元常務が、若い女性を同社に呼び込む施策の一環として「生娘をシャブ漬け戦略」と発言し、問題となった。 この発言を耳にしたとき、大きく2つの気持ち悪さを感じた。 一つが、「吉野家」というファンに長く支え続けてこられたブランドに対する愛のなさ。吉野家で働くスタッフは、自分たちの提供するものが、自分たちの上司(しかも常務)からこのような扱いを受けることをどう感じるだろうか? もう一つは「気娘をシャブ漬け戦略」という、オ

          自由のパラドックス

          私たちは”自由”という価値観の中に生きている。 自由こそが、人類が守るべき最高到達点の価値観であり、何人にも侵されない個々人の絶対領域である。 自由を守るためならあらゆる障害とも戦うし、何なら誰かを傷つけることも厭わない。 でもいつからだろう。 自分が守るべき”自由”という価値観が、自分を縛る枷となっていたのは。 いや、それは枷ではないのかもしれない。 むしろ、自分を守る防波堤をやすやすと超えてくる津波のような存在なのかもしれない。 その津波の前にはあらゆるものが同様に流さ

          自由のパラドックス

          虚と実

          この世の中は分断されている。 そう感じるようになったのはいつからだったのだろうか。 アメリカで過激な共和党支持者が議会へ突入した映像を見た時、これは起こるべくして起きた映像だと感じた。 緊急事態宣言が出た東京の街を映しながら、人出が減らないと嘆くリポーターを見た時もそうだ。 いつも誰かが誰かを非難していた。 まるで自分は蚊帳の外のように。 人間には内なる世界がある。 誰にも侵されない内なる聖域。 人はその聖域から外を見て、そこで見た出来事を内側へ持ち帰り、整理し、咀嚼す

          僕がNOTEを始めた理由

          NOTEは僕にとって、机の上に置いたまま忘れていた日記のようなものだ。 誰に見せるでもなく、でも誰かに伝えたい日々の思考を綴るもの。 時に書きなぐり、時に整理し、時にすべて消してしまいたくなる。 誰の目にもふれず、でも偶々誰かが偶然目にすることを望む。 そんなアンビバレンツな、若い日の自分に戻ったような場所。 40を超え、いつしか、たった一つの言葉さえも誰かの顔を気遣いながら絞り出すようになった。 実社会と紐づいたSNSは、今や社会へに帰属するためのパスポートのようなもの

          僕がNOTEを始めた理由