見出し画像

「望」の月を傾けた王子さま

僕にはどうすることもできなかった。

この痛ましい光景も、悲しい叫び声も、息を止めたくなるような耐え難い匂いも。

立ち尽くすばかり。

前に一歩踏み出そうにも、裸足で。
飛び散った硝子の破片が辺り一面にきらきらとしていた。

あぁ。空が飛べたら。


月明かりに照らされたガラス片。
空も地も光り輝き、そこはまるで宇宙だった。


この月は東の線から登りはじめて、
今ちょうど僕の脳天に垂直な光を刺している。


飛んでいる鳥が見下ろせば、

きっと今僕の頭には、
天使の輪の冠が乗せられているに違いない。


なんてことを思い浮かべながら。

でも、こんな夜中に空を飛ぶ鳥なんていないだろう、と不機嫌を独りごちてしまった。


全部が照らされれば見えてしまう悍ましげな光景も、
この月明かりのせいで幻想的にみえた。

そう幻想だ。

僕は今ここの美しさに見惚れているようで、
ただ、ただ現実から目を背けているだけだった。

本当は探さなければいけない人や、ものたちがたくさん。

彼らが僕の希望だったはずだ。


この月明かりが静まれば、
この銀河と引き換えに見えてくるものがたくさんあって、それはきれいなものでなくても、
きっと“真実”だろう。

真実はそれだけで美しさを孕んでいる。
補足など必要のない、運命の結果。


陽を待っている暇はなく、一刻も早く、
真実に目を向けるべきだと強く感じ、

僕は月を西へ西へと傾けた。
精一杯の力を込めた。

すると月はその光をいっそう強め、
その光がまるで硝子の先が皮膚に当たるように、
僕の目も体にも突き刺さった。


それでも、負けじと傾けた。
まだ残っている一縷の望みのために。

真実に目を向けたとて僕にはどうにもできないかもしれない。

でも、今夜ばかりは月と喧嘩。

仲直りするまでは何百年もかかりそうなほど力を込めた。

沈む月とともに、
見えてくる真実がたとえ今より残酷なものでも、
今だけは全ての望みを心に込めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?