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「愛」という文字を使わない愛情の話

行いの真価は、

何をしたかよりも、“何のために”したか
ということにあると思っている。

そして、
そこをどれだけ汲み取れるかが人に対する想像力だと思う。


子どもの頃に読んだ絵本
『おまえ うまそうだな』

物語中盤。
父母とはぐれたアンキロサウルスの子どもだった“ウマソウ”は、父親としてともに過ごしていたティラノサウルスを喜ばせたいと思い、ティラノサウルスが寝ている間に、
危険を冒してまで木の実を取りに行った。

翌日ティラノサウルスは危険なことをしたウマソウのことを叱った。
でも、ティラノサウルスは自分のために取ってきてくれたその木の実を食べた。

草が好きじゃないから代わりにということで取りに行ってくれた木の実だったが、
肉食だったティラノサウスはきっとそれも苦く感じただろう。

でも自分を喜ばせようと思って健気に想い、
届けてくれたウマソウのその木の実を食べて涙を流した。


子どもの頃に読んだ「おまえ うまそうだな」という絵本。
僕はこの絵本からこのことを教わったのだろう。


もちろん、世間や社会というものから認められるためには“結果”というものが全てかもしれない。

でも、1人のあなたとして向き合うとき、
僕はその人の奥底にある想いとそこから生まれた行動について知る努力をしたい。


成功か失敗かの2通りしかない行動の結果の部分になんて正直なところ興味は無い。


そして、いくら結果は成功したものだとしても、
行動の動機が独りよがりなものであり《続ける》のであれば、その灯は誰かの一息で簡単に消されてしまうのだと思う。

動機善なりや、私心なかりしか

京セラ創業者 稲盛和夫


逆にまだ結果は失敗に終わり続けている人でも、
その行動が良心からのものであるなら、
その行動をちゃんと見てくれている人がいるはずで、

彼は、結果で“心”を動かす人になれているんだと思う。

表面的な結果の及ぼす影響よりももっと狭いところかもしれないけど、
それは深いところで、熱いところ。


人の心に温泉を掘り当ててしまう人。



僕もそんな人になれたらいいなと思う。


僕は独善的で自己中心的だ。
だから音も声も言葉も濁る。

本当に美しいものが作れない。


だから、まずは誰か側の行動の背景にある
“何のためにしたか”
という想いの心を汲み取れることに誠心誠意努めていきたい。


もしかしたら、
あなたを通して本当に美しいものに出逢うきっかけを得られるかもしれないから。

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