作曲が得意じゃなくてよかった
言葉にしてみることが好き。
言い方にこだわることが好き。
ひとつの表現を、
何通りの仕方でも伝えられる人間という生き物が好き。
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書き手の自由な世界と、
読み手の自由な想像に委ねられる詩の世界が好き。
“定めること”を作りかねない言葉でも、
詩にすることで、
どこまでも奥行のある自由な世界を広げてくれるものになる。
詩に集約されたその人の表情がもっと見たい。
そんな詩という行為が好き。
・
メロディの波にのって耳に届く歌が好き。
言葉にたまたま音が聞こえてきているような歌が好き。
ひとつの詩に何通りもメロディがつけられてしまうのも、詩の自由さ。
そんなことができる歌が好き。
言葉を、詩を、
心の波長と共鳴させて優しくとどけることのできる歌が好き。
・
そして、僕はそんな歌にすることがへたくそだと思う。
詩を書くこと、それは好き。
感じてきたありとあらゆる情景をスマートフォンのメモに記してきた。
一言でも、1文字でも。
そして溜まった言葉を繋げて一人の僕を作る。
僕が集めた言葉だから、集めた時が違えど、
僕という人間で繋がった一貫性のある僕だった。
そしてある時から、詩を歌にしたいと思った。
人によっていろんな作曲の仕方があると思う。
メロディから先につくって、そこに言葉を当て込んでいく人。
言葉をメロディに乗せながら同時に口ずさんでつくっていく人。
そして、言葉、詩を先に記してそれを旋律に乗せていく人。
僕にはこのやり方が合っていた。
ただ、音楽のセンスがあるわけでも、
音楽の教育を昔から受けてきた訳でもない。
音楽ソフトを使いこなせる訳でもない。
拙いメロディばかりだと思う。
声とギター1本。それだけ。
シャワーを浴びながら、自転車を漕ぎながら、
家事をしながら、鼻歌を奏でる。
そうやって音を少しづつ探している。
言葉が先にあるもんだから、良いと思ったメロディでも言葉が入り切らなかったり、区切れが悪くなったり、
Bメロとサビの繋がりのバランスが悪くなったり。
浮かんでは録音して、歌ってみては首を傾げる。
音楽理論的な正解も分からないから。
そうやって試行錯誤しながら半年以上かけてようやく1曲できることが多い。
世に出ているアルバムというものを作ってしまうアーティストの人たちはほんとに凄いと思う。
名曲をいくつも、短い期間で作り出してしまう。
到底僕には手の届かない。
でも、こんなふうに時間がかかってしまうほど作曲が下手くそでもよかったと思うこともある。
もちろん、なかなか納得のいくものができなくて、もどかしい気持ちはあるけど、
その分自分の言葉と向き合う時間が伸びる。
何度も、何度も自分の詩を口ずさむ。
そこで気づく自分の言葉の色や形。
作詩当時は見えていなかった世界観の広がりに自分自身が気づき、
楽しんでいることだって多い。
旋律の正解を自分の中で見つける営みは、
自分の言葉から聴こえてくる音を探すことだ。
より自分に対する、自分の見ている世界に対する理解が深まる。
なんなら僕は、僕に挑戦したい。
人生をかけても歌にできない、詩を書いてみたい。
色も形も音も捉えられない美しさ、
儚さを言葉にしてみたい。
そして、なんとしてでもそんな言葉を、詩を、
人生をかけて歌にしてみる挑戦をしたい。
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