22.学校

退院後は母の家でなく、父の家で暮らしていた。私と兄が使うはずだった二段ベッドや勉強机が置かれた、嫌みたいに生活感のない部屋に必要なものだけ置いていく。高校2年生の冬。もうすぐ受験があった。私の高校は県内で一番偏差値が高かったので、周りは皆勉強で忙しかった。

学校に行った私は浦島太郎のような状態で授業を聞いている。入院前は校内でそれなりに出来た方だったが、いつのまにか分厚い教科書も半分ほど進んでいて、ついて行けない。

化学の先生に質問をしに行く。どこまで知っているのか知らないけれど、悲痛な目で私を見た。何故か職員室を出た後も私についてきて、たわいもない話をする。英語の先生が極力私に当てないようにすると言ったこともあった。先生や周囲の生徒は私を同情の目で見るか、腫れ物を扱うかのような状態で、私は学校に行かなくなった。

出席日数が危ういということで、仕方なく保健室に行く。高校は携帯を自由に使っても良かったから、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、絵を描いたり、手記を書いたりした。保健室の先生が私の描いた絵を飾ってくれた。出席が危うい授業にだけ出て、当てられたらそれなりに答えられた。テストは白紙で出して、再試を受けた。模試は全教科集中力が持たずに、途中で抜け出した。

塾でも学校でも亡霊のように皆に混ざっている。私は皆に見えているのだろうか。あのとき死んだはずの私がなぜまだ生きているのだろうか。私は皆に正常に見えている?

入院前に付き合っていたK君と隣の席になったけれど、一言も話さなかった。情報の授業で一度だけ、K君があまりにもパソコンが出来ないので教えてあげた。K君が何を考えたかは知らない。


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