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目的はどこから

こんにちは。高良です。

アドラー心理学において、トラウマの存在は完全に否定されております。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分自身の経験によるショック(いわゆるトラウマ)に苦しむのではなく経験の中から目的に叶うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。」

トラウマは存在せず、自分自身のもつ何らかの目的にそって経験に意味付けをしているというものです。

確かに目的論的な考え方で行けば、過去の一つ一つの経験に意味はなく目的にあったものを選び取っているということは理解できます。

それならば僕らの目的というのはどこから生まれてくるのでしょうか?

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思うに、目的もまた同様に過去の様々な経験の中から生み出されているように思います。

それは何か一つの特別な出来事が原因となって生まれてきたわけではなく、一つ一つの蓄積による経験の中から今の自分が最も心地よさを感じるであろうものを生み出しているのではないかという考えです。

例えば、ミスをして怒られてしまった場合、怒られたことで落ち込む人もいれば、無視をする人もいます。また素直に受け止め改善につなげるという人も中にはいるでしょう。

これが全く同じ怒られるというケースであったとしても、人によっては反応が変わります。こうした違いを生み出しているのが目的の違いです。

こうして同じ出来事でも目的に違いが生まれてくるのは、各々が経験してきたことに起因するのではないかと思います。もっと言えば、いかにして痛みを回避するかが大きいと言えます。どうすれば傷つかないかを考えることが心地よさにつながるということです。

目的を形成しているのもまた経験であるということです。


経験とは自分自身で意味づけできるものであり、原因に左右されないものであるとするのであれば、目的もまた自分で自由自在にコントロールできるといえます。

自分自身の思うように過去に意味づけができるというのは、潜在意識の書き換えにも近いことが言えるなという風に思います。

そうして自分次第で良いものにでも悪いものにでもできるのであれば、できるだけ良い目的を持ち続けていたいというのが理想です。

それは誰もが思うところで、人はそれぞれが自分にとっての善を行っているとアドラーは言っています。

ただし、その善が自分だけの善になることなく自分以外の誰かにとっても善となることが結局自分にとって一番の善になることのほうがこの世界では多いのではないでしょうか。

これもギブの話と通づる部分がありますが、きっとこの世界には普遍の真理のようなものが存在するのかもしれません。全ては人が行うことだからです。

それを本当に理解できるようになった時に、きっと生まれた意義を満たし誇れる人間になれるのかなと思います。

まだまだ未熟ですが、少なからず善い目的を自分の中に持ち続けられるようにしていたいものです。そのための思考は続けていたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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