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フットサルチームを15年以上運営してきた話

社会人になってからすぐに、フットサルチームに立ち上げから参加することになりました。それから15年以上、月に1回フットサルを開き、その会は今も継続中。15年のうち後半の10年くらいは自分が主催者として代表し、今も出欠を取って、毎月回しています。

レベルとしては、未経験者半分、経験者半分。経験者には小学校だけやってたとか、中学までとかも含みます。時期によっては経験者も多かった時期もあるけれど、大会出たい人は別のチームで出てね、というスタンス。とにかく月1回集まる、試合をひたすらやる。それだけ。あと酒を飲む。毎月飲む。

雨後の筍のごとく発生したフットサルチームが、15年以上経って存続しているケースもそれなりにレアなケースかと思われます。このチームの始まりから現在までを思い返すと色々あったので、ここにちょっと記録しておきたいと思います。


歴史

誕生期(1-2年目)

率直に言えば、最初は騙されてやることになりました。よく通ってた飲み屋のマスターにコートを借りるのに名前が必要だからと言われて名前を貸したら、次に会ったときに「ユニフォームのサイズと背番号何にする?」とニコニコ顔で聞かれたのだ。今思えば、1回もやらないうちからユニフォームを作ることを決める頭のおかしい人が発起人でしたが、まあそれくらいのイカれた行動力がないとなかなかこういうものも始まらなかったりするのかな、とも今となっては思います。ただ、いまだに騙したのは許さなーい!

最初は15人程度でやったような記憶があります。メンバーはほぼ20代で、30代はわずかでした。学生もけっこう多かったです。サッカーのルールは知っていたけれど、フットサルのルールは曖昧なところが多く、とにかく人数以外は適当にやっていたましたね。やっていました、というとなんか今はちゃんとやってる感じですが、今も適当にノリでやってます、ルールとか曖昧です。

そこから月1回、ひたすらに集まりを開きました。その頃、フットサルは流行っていて、やりたい人間には事欠かなかったので、一時期は人が溢れかえっていましたね。友達の友達の仕事先の上司とか、友達の友達の元カレとか、「もはやそれは他人では?」という人が入れ替わり立ち替わり参加して、この時期に誰がいたのかなんて本当に覚えてない。仕事終わりの泥酔したホストが革靴で参加したり、何も着るものがなくて革ジャンでキーパーしてた人がいましたね。誰だったんだろう、あの人たち。

そんな混乱した状況でしたが、楽しかったですね。メンバーに飲み屋系の人間がいて、それの繋がりで今でいうパリピが多数参加していたため、飲み会はめちゃくちゃ。フットサルに参加したのが15人なのに、飲み会は30人とかもあったりしました。飲み会だけ参加する女子とかもけっこういたので、それ目当てで来る男がかなりいましたね。そういう人らは異性をひっかけると、光の速さで消えていきました。そりゃそうだ。

マンネリ期(3年目以降)

結成から1-2年くらい経つと、狂騒はいったんやみました。元々フットサルをやりたいわけでもなく、ただなんとなく集まって騒ぎたい人が多数いたので、そういう人が消えていった感じですね。メンバーが次第に固定化されてくるにつれて、だいぶ雰囲気が落ち着いてきた感じです。

そうなると、漂うのはマンネリです。特に競技的な向上も目指さずにただただ集まってスポーツをやって楽しく飲む、というのが基本的なスタンスでしたし、私なんかはそれで全然満足だったのですが、やはり何も目的がないと落ち着かなくなってくる人はいくらかいるものです。そうなると、何が起こるでしょうか。

そう、内紛です。

人は暇になってくると、内紛を起こすのです。いろんな内紛があるでしょうが、一つ例を上げると「もっと競技的に高いレベルを目指したい!」と叫んだ獣たちがいました。まあ、うまくなりたい、強くなりたいという欲求自体は真っ当なものだと思うのですが、経験者と非経験者では越えられない圧倒的な壁があり、そこに我がチームの非経験者の大多数はついていけなかった、という次第です。フットサルをやる前に謎の話し合いをしたりもしましたが、結局は競技志向のメンバーたちは離脱していきました。今となっては色々やりようがあったかもしれないのですが、当時は感情的なしこりもあって中々難しかったですね。あと、非常に重要な点として、競技志向を主導していた人物があまり人望がなく、ついていく人があんまりいなかったのは大きかったです。やはり、主義主張なんぞはどうでもよくて、結局人は人についていくんですよね。

この時期の後半くらいから代表的な立場になったので、その他にもありとあらゆるもめ事が私に降りかかってくることになります。覚えているだけでも「プール金を持ち逃げ未遂」「不純異性交遊」「個人間のいざこざで主要メンバーが目を合わせない」「飲み会の支払いがたくさん飲み食いする人とそうでない人で同じなのは不公平だと主張するやつ」「もう来なくなったのに謎の使命感でコートだけを数年取り続ける異形の怪物」「行方不明になって数年後に栃木で発掘されたメンバー」「あらゆるプレーに説教をしてくる元ヴェローナユースのイタリア人」「絶対にキーパーをやろうとしないけど別にフィールドもうまいわけではない初心者」「プレーを見た人類の中で一番サッカーが下手だったスペイン人」などなど、当時は何か事が起こるたびに間に入って取りなしました。そのたびに「なぜこんなに揉める……?」とうんざりしましたが、今となっては笑い話のタネですね。

氷河期(6、7年目以降)

上記のマンネリ期を経た後に、急速に参加者が減っていきました。理由としては、1.仕事が忙しくなってきた、2.ライフステージの変化(結婚、転勤、昇進)、3.揉め事にうんざりした、4.飽きた、などでしょうか。とにかく人が全然集まらなくなりました。特に2の要因が女性には多かったですね。結婚なり出産なりで次々と離脱する女性たち、それを目当てに来てた男もだんだんと離れていく、という悪循環でした。

それまでは最低15人くらいは平気で集まっていたのに、この頃になると試合できる人数を集めるのがやっとで、ひどい時には4人しか来ないときもありました。テニスダブルスでもやれっていうのか、いい加減にしろ。

この時期はつらかったですね。声をかけても全然人が来ず、せっかく出席した人のコート代の負担は増すばかり。試合をしようにも人数もぎりぎりか足りない。人数が少なすぎて揉め事すら起こらないので、もはや揉め事すら懐かしくもありました。

背に腹は代えられぬ、ということで、この頃から知り合いの他チームと合同開催をするようになります。コートはうちがとって、そこに常連の1チームを呼び、そのチームがまた他を呼ぶような形です。これでなんとか形を整えました。なんやかんや4チームくらいは毎月来ていましたね。この時期はいろんなチームと試合をして、楽しかったです。

ただ、2年くらい一緒にやった後、常連として来ていた知り合いのチームが、突然来なくなってしまいました。相手のチームの方が実力は上だったので物足りない感じがあったのかもしれません。ただ、最後まで本当の理由はわかりませんでしたね。せっかくその人数分を見込んで多めの時間コートを取っているのに、直前になって「いや、今月は」と繰り返し断るようになったために、決別しました。その頃には、いろんなところに声をかけまくってそれなりの人数が自前で用意できるようになっていたので、ぎりぎりなんとかなりましたが、普通に直前で断られたのでけっこう困りましたね。物足りないとか理由を言ってくれればこちらも対処できたのに、最後までそれはありませんでした。まあでも仕方ないです。

現在(10年目以降)

現在は15-20人程度が毎月集まっている状態です。代表として人数を集めることを常に考えているので、ちょっとでも興味を持った人間には片っ端から声をかけています。仕事関係の人、飲み屋で話した人、個サルで一緒にプレーした人、友達の夫、よくわからないおじさん、などなど。全然興味を持ってくれない人もいたり、1回だけ来てもう顔を見せなくなる人もいる一方、そのまま常連化して長くいる人もいますね。

年齢層は30代が中心で、40代も多め。60代も参加しています。若い子もけっこういますが、プレーのレベルはめちゃくちゃに低いということは確信をもって言えます。ただ、まあみんな楽しそうにやってますね。上手い人も空気読んで合わせてくれてるので、そういう雰囲気にできているのは大きいです。

みんな大人なので、揉めることはほとんどありませんね。若い頃にはバチバチになってたことでも、なんとなくみんな流せるようになってきました。まあ、これはいい意味でも悪い意味でも落ち着きが出てきたんですな。

昨今では、昔来ていたメンバーが息子を連れてやってくるパターンも出始めました。はえーよ、中学生。採れたてのエビみたいだな、あいつらとフットサルやると。

長続きした理由

さて、周りで終わっていった他チームを見ていると、だいたいは氷河期あたりで人が集まらなくなり、活動停止から他チームへの吸収というコースを辿っていました。では、なぜ、うちのチームは長続きしたのでしょうか。

その理由は、1つだけです。「常に余暇時間のある人間が複数いた」ということです。こういう人集める系のサークルが終わる時、揉め事や男女関係、お金、体力的な面が問題になることはほぼほぼありません。98%以上は「頭数が足りなくなる」で、残りの2%は「マルチ・宗教への鞍替え」です。とにかく人が来なくなることが、チームの運命を握っているのです。

幸いにも、うちは仕事・家庭を含めて時間のある人間が複数いました。土日も仕事、あるいは普段から仕事で疲れ切っていて土日に運動するなんて考えられない、という状態もあります。または、家庭で絶賛子育て中で全く手が離せないという人もいるでしょう(男性も多いけど、特に女性)。そういう人が、遊びのフットサルチームに時間を割くことは物理的にできません。どれだけ愛着や情熱を持っていても、です。我がチームには、家庭があったり仕事は忙しかったりするけれど、フットサルにも参加する時間が捻出できるメンバーがどの時代にも複数いたことが、持続した最大の要因なのではないかと思います。

同じ人物じゃなくてもいいんですよね。たとえば一時期中心だった人が消えても、その次が出てきて、そうしているうちに離脱していた人が復帰して、という風に、誰かがいればいい。ただ、これははっきり言って、運ですね。チームの雰囲気なんかも関係しますが、コントロールできるものではありません。うちよりよほどちゃんとしていたチームも、中核メンバーの離脱によって、次々となくなっていきました。それは別に努力や情熱が足りなかったのではなく、単に運がなかっただけです。

ただ、意図的にそういう余暇のある人を増やしていく、というのはやっていたので、そこは大きかったのかもしれません。

運営してよかったこと

というわけで、ざっと簡単に歴史を振り返ってみました。いやー、文章にするとあっという間ですが、いろいろありましたね。ここに書いてないけどもっといろいろありました。

単に歴史を振り返るだけではちょっと味気ないので、長年やってよかったことをあげてみようと思います。

不特定多数出入り自由の集団を管理し続けることの大変さを知った

まずはこれですね。高校の部活とか、大学のサークルとかの、新規に参入が容易ではなく、ある程度固定されたメンバーの集団とは違って、とにかく出入りが激しいので管理が難しいのです。毎月来てた若いのが転勤で来れなくなる、やる気のあった女性が付き合った彼氏の束縛で来れなくなる、よくわからないけど行方不明で音信不通になる、借金で首が回らなくなって来れなくなるなどなど、様々な理由で人が突然来なくなります。また、当日「すいません、体調が」と言ってドタキャンする(どう考えても二日酔い)奴もたびたびいますし、そうかと思えば「なんか急に友達連れてきたんですけど、いいっすか~?」みたいなノリで勝手に5人増えるという逆のパターンもありました。そういう集団をともかく管理してフットサルをやらせ、金を徴収して帳尻を合わせるというのは、地味に大変でした。人が少ない時は自分の金を持ち出したことも多々ありましたしね。

ただ、今になって思えばなかなかこれは得難い経験だったな、と思います。トラブルへの対処能力は確実に上がりました。これは仕事でもプライベートでも非常に役に立ちます。仕事場でお客さんが「肩に霊を背負ったので動けない」と言い出しても、以前に「毎月法事があるからフットサルに行けない」とあるメンバーから来れない理由を聞かされることがあったので、「法事なら仕方ないですね」と同じように「背負ったんなら仕方ないですね」とスマートに対処することができました。結局、仕事のトラブルって大半が人間相手のものなので、人相手の場数が割とものを言うんですよね。全然レベルも深刻さも違いますが、ともかく場数だけは踏むことができました。

いろんな人と会えた

普通に仕事をしてただけでは会えなかった様々な人と出会えました。仕事の同僚とか、大学の友達のツテとかだと、いい意味でも悪い意味でも同質的になっていくんですよね(大卒以外はいない、とか)。その点、このチームに集まってくるのは、雑多でした。飲食店経営もいるし、現場で働く土建業もいるし、歯科医もいたし、野球選手もいたし、数年参加してるけど何をやってるのかよくわからない人もいました。

1度でも参加したことある人を数えていけば、100人は優に超えているんじゃないでしょうか。昨今ではSNSを介して実際に会うことも多いので、気軽にいろんな人と会えますが、昔はネットを通して人と会うことにかなりのハードルがあったんですよね。そのため、こういういろんな連中が集まる場というのは中々貴重でした。

「別にいろんな人と関わらなくてもいいよ」と思うかもしれませんが、これはかなり重要な経験でした。やっぱり学歴、収入、職業などが同じような人とだけ付き合ってると、物の考え方ってのがやっぱり画一的になっちゃうんですよね。私はオフィスワーカーですが、全然違う職種の人と仲良くして、そういう人たちがどういうものの考え方をするのか、というのを知ったのは確実に世界が広がりました。

あと、単純に楽しいですよね、いろんな人と話すの。ある男から聞いた「裸族の女性と付き合ったら部屋で自分も裸族を強制され、その状態で天ぷらを揚げたら腹を火傷した」って話は死ぬほど笑いましたし、その他にも笑い転げた話がめちゃくちゃありました。笑えれば勝ちです。

運動が楽しかった

当たり前ですけど、これですよね。体を動かして集団競技をするという機会が毎月1回は確保されてるのって、やっぱり重要なわけです。高校、大学までは、部活だのサークルだの体育だのがあって、最低限体を動かす機会ってあるんですが、社会人になると自発的にそういう場を見つけない限り、皆無になるんですよね。通勤の階段昇り降りが一番負荷の高い運動っていう事態にもなりかねません。あと、単に走ってるだけとかで集団競技やらないと、運動してても集団競技の勘ってあっという間に消えるんですよね。そういう意味で、月1とはいえ集団競技の場が確保されたのは大きかったです。

体を動かすのって本来的には楽しいんですよね。学生の時の体育の授業で、下手なことを笑われたりして運動を嫌いになってしまうことも多々あるんですが、それは本質的には運動が嫌いなのではなく、体育が嫌いなんです。経験者はある程度気を遣えるようにしてもらって、初心者も楽しくプレイできる極限までゆるい雰囲気を作ることで、割と多くの人が集団競技としての楽しさってのを味わうことができたんじゃないでしょうか。もちろん、こんだけゆるゆるでもやっぱりダメという人も多数いたでしょうし、逆にゆるゆるすぎてダメという人もいたに違いありません。ただ、すべての人は救えないのです。

許容量が増えた

幹事なりなんなりっていうのは非常に面倒なんですよ。場を用意して、人数集めて、支払いして、金を徴収する。私も自分がただの参加者だった時には、そんな面倒くさいことやりたくなかったし、今でもちょっと面倒だったりします。普通にこなして当然だと思われるし、ミスったりするとやたらと責められたりしますしね。

ただ、そういう立場に立つことでしか得られない経験値って絶対にあるんですよ。まあそんなのいらないよって言うかもしれませんが、そういうことを今までの人生でやってこなかった人ほど、経験してみるべきです。明らかに人間の許容量が広がります。許容量が広がるとどうなるかというと、空いたところにさらに人が転がり込んできて、さらに許容量が広くなります。いわゆる”器”がでかくなるっていうことですね。私なんかはたいしたもんでもありませんが、これは金でも買えないし、勉強したからってすぐに身に着くようなものでもありません。

苦労は買ってでもしろ、なんてことわざは今のコスパ時代には全然響かないと思いますが、事実なんですよね。自分もそんなこと意図して引き受けたわけじゃありませんが、結果としてはそうでした。もちろん仕事でそういう経験ができることも多いですが、職種によっては無理ですしね。目先の損得だけを考えてはいけない、長いスパンでのコスパのよい経験でした。

なぜフットサルを主催し続けるのか

でもね、大変なんですよ、運営するの。対人関係のトラブル仲裁、人数を確保し続けるプレッシャー、金銭の管理、あとは予定の自由が利かなくなる、ということです。ありていに言えば背負わなくてもいい苦労をしているということで、得たものはあるし、毎回楽しいんですけど、単純な苦労と楽しさでいったら、苦労の方が多かったと言えるかもしれません。知り合いからは「よくもまあわざわざそんなことを長年続ける」的に呆れられることもしばしばです。

それでも、今のところは続けられるだけ続けていこうと思っています。え……そんな苦労をわざわざするなんてマゾなの……?と思うかもしれませんが、そうではありません。苦痛はジェフユナイテッド千葉とニューヨーク・ジェッツの応援だけで充分です。

苦労がそこそこあるのにイベントの主催を続ける理由は、こういう場が何かの救いになればいいかな、と思ってるからです。救い、なんてのは大袈裟だし、何様なんだって話ですね。定期的に誰かと会うことのできる居場所、みたいなものですかね。

若い頃って、だいたい環境って似たようなもんなんですよね。働き出したばかりとか学生で金もなくて、まだ結婚してなくて、違いと言えば彼氏がいたり彼女がいたりとかそれくらいですか。ただ、年を取ると状況は千差万別です。結婚をした人、子供がいる人、結婚してない人、離婚した人、再婚した人、仕事がうまくいってる人、仕事がうまくいってない人、めっちゃ元気な人、体調崩している人、メンタルおかしい人、借金背負ってる人、などなどいろいろな人がいるわけです。もしかしたら、FAすることを戒めとして他球団に移っちゃう穂高もいるかもしれません。

そういう風に状況が変わってくると、なかなか遊びに誘いづらかったり、誘われても行きづらかったりしてくるんですよ。人生うまくいくばっかりじゃありませんからね。ただ、そうやって誰かと接しなくなると、どんどん人は孤立していってしまうわけです。何年も会わなかった昔の友人に偶然出くわしたとき、別人のように対人スキルがなくなっていたのにショックを受けたこともあります。そもそも、音信普通や行方不明になってしまった人も多数います。

そうならないためにも、人たちが緩やかに繋がりを持っているような場所ってのは必要だと思うんですよ。強制ではない、それでも定期的に何か開かれたりしていて、なんとなく行きたいな、行けば誰かに会えるなって思えるような場所や集団があるのっていいじゃないですか。

昔だったら、こういう繋がりって家族(親も含めた)だったり地域だったりしたわけですよね。でも、最近では家族を持たない人は増えているし、地域の繋がりなんて今となってはもうほとんどない。そしたら疑似的にでもそういうものが必要になってくるんです。そりゃ、家族とか地縁みたいに強固なものではないですよ。ただ、むしろそういう緩さのほうが時代的に合っているかも。TwitterとかインスタとかのSNSでの繋がりも、究極的にはそういうことだと思うんですよね。

と、たいそうなことを言いましたが、続けられるかわかりませんし、終わっちゃったら「あー、そんなのもあったね」くらいかもしれません。もしかしたらフットサル以外の別のものに変わってしまっているかも。それでもやれるだけは続けていこうと思っています。こういうことを続けていくのが、人間の営みってことだと思いますし。

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