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生き方と在り方〜嵐の活動休止に見る新時代の価値観〜

いろいろな世代の人たちと話をさせてもらう仕事をしているのですが、うちの仕事のメイン層は30代経営者で、設立5年以内の企業。
最近はさらにその後輩へとご紹介が及び、どんどん若い世代だらけになっている今日この頃です。
そのため、同世代よりも彼らの感覚の方が理解できるようになってきて、共感も覚えるようになってきているのだけど、私の感覚的には今がちょうど新しい価値観への転換期で、間違いなくその世界は彼らが作っていく時代だと思うのです。
今日はそんなお話。
サブテーマは『嵐の活動休止』です( ̄∀ ̄)

嵐の会見と30代後半の苦悩

たまたま会見を見ていたのですが、それで若干の感動を覚えFacebookに書いたところ、なかなかの反響があった。
それが『世代間考察』

前提となる話がこちら。
https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-189/
(初めて見たジャニーズ事務所の企業サイト)

まあ、興味ない人は興味ないだろうから掻い摘んでいうと、『嵐の活動に一旦区切りをつけて、やりたいことをやってみたい』という大野くんの発言を発端に全員で年単位の話し合いを続けた結果今回の『活動休止』という結論になったというもの。
大野くんはデビューさせられそうになったので、事務所からの電話を着拒し続けたという逸話の持ち主だし、おそらく初めから無理しながらやってた部分はあったんだろうな、と改めて回顧。そのときに、40手前というのは非常にセンシティブな年代なんだと思う。

若い時ほど言えない『こうありたい自分』

30代後半というのは難しい。
企業でいえば管理職に入ってくる世代。
そして、家庭を持てば子供が成長し、お金も必要になってくる。
そうなると、簡単に『こうしたい』が言えなくなってくるのだ。

それと同時に、20代はひたすら目の前のことにがむしゃらで、『これでいいのか?』なんて振り返る時間もお金もなかったのが、ふと、俯瞰で見れるようになって、『自分が本来どうありたかったのか』も明確になってくる世代。
難しいことにこれが同時に起こりうる世代なのだ。
もちろん、これが一致していたらこんなに幸せなことはない。
でも、大半の人がそうでもないんだよね笑

昨日の飲み会で大学の仲間と話していたけど、『もう今更転職もできないし、このままですよ』となるのが40代なのだ。

仮にそういうものすべて放り投げて自分を通してしまうと『無責任』と言われてしまう…それならそこそこ幸せだし、まあいいかな?
となるよね😅

強制力の限界

そこそこ幸せならそれで良いけど、社会的地位があればあるほどそのギャップを埋めるのは難しい。そして、ひとはそんなにギャップに耐えられないのだと思う。
自殺、疾患、パワハラ、セクハラ、幼児虐待
今、日本で話題になるニュースの数々はこのギャップから生まれてきてるのではないかと思う。

ほんとはこうしたかった。でも、できなかった。

今の労働市場の上の層はひたすらやらされることを受け入れざるを得なかったバブル世代とやることがなさすぎて、必死にやれることを探し続けたロスジェネ世代。

『自分がどうありたいのか』

なんて、概念がそもそもなかったのだ。
その象徴が皮肉にもSMAPなのかなと。
彼らはバブル後の日本で、仕事がない中を一生懸命新世代アイドルというものを作り上げ仕事を作り上げたバブル後半からロスジェネの世代。無理をすることが価値観の中で生きた人たちだ。
でも、無理はどこかでハレーションを起こす。
それがあの衝撃的な解散なのかもしれない。
我々世代は『自分がどうあるべきか』を社会との調和を持って貫くという手段を知らなすぎるのだ。

放り投げる無責任

嵐の会見で出てきたキーワードに『無責任』という言葉がある。
詳しくはこちら。

https://sirabee.com/2019/01/28/20161979402/

心無い記者の質問として、物議を醸した話題。
嵐の返しが見事すぎて、質問に対する批判が集中しすぎて、もはや『無責任』というキーワードで検索するだけでこの話題がヒットするのだから、質問した側はしてやったりなのかもしれない。
ただ、この質問が出た背景を考えると、これがおそらく今までの日本の価値観だったのではないだろうか?と思う。

社会的責任のある立場で、『自分の在り方』を通すことは『無責任』である

この考え。
実は、私もこれはわかるのだ。
我々の業界は繁忙期ともなれば、休日出勤、深夜残業当たり前、それが何ヶ月も続いたり、慢性的に人が足りない事務所だと、その終わりが見えないことすらある。
でも、自分が放り投げた途端、ほかのみんなが共倒れになる。だから、逃げられない。
今思えば、なんで?、と思うけど、そういう、時代だった、としか言えない。

今の若者にこんなこと言ったら『意味わかんないし』とか、言われるのかな?笑

自己実現と責任追及

今は『やらなければいけないこと』ではなく、『やりたいこと』をするべき時代だという。
国や会社や地域が最適化を考え、人は与えられた道を歩んでいくのが幸せだと思われていた時代が終わり、国や社会がなんの保障もしてくれない今、『自分がどうあるべきか』を問われる時代。それが現代なんだろう。
そんな時代であってもこの責任論は問われてしまう。その解決策は実は対話だ。

嵐の活動休止による経済的損失はもはや1000億円にも上ると言われている。
この金額を出されたら、どれほど思いがあったとしても怯んでしまうのが普通ではないだろうか?

そのことを理解して、それでも『こうありたい自分』を貫くため、徹底的に年単位の対話を繰り返してきた、それが嵐の責任追及に対する答えだ。
そして、これこそがこの自己実現と責任追及という相反する問題に対する最も模範とする正解なのではないだろうか?

自分の人生を諦める必要もない、それでもきちんと自分の与えられた立場に対する責任も放棄しない、これを成立させるにはとにかく自分がどうしていきたいのかを情報発信し、多くの人と対話し、一人でも多くの賛同者を得ることなんだろう。
責任とは、失望させないことなのかもしれない。その失望とは、自分応援してくれている人に対する失望だ。
納得してもらうには時間がかかる。だから、長い間をかけてでも自分はどうしていきたいのか発信し続けて行く必要はあるのだ。

どんなに自分がやりたいことであったとしても、周りの人が誰一人賛同してくれなければ、成功しない。成功しなければ、きっといつかその選択を後悔する。だからこそ、このプロセスが重要なのだ。

貯信時代の生き方

今回の決定に賛同の意見ばかりか、ファンですら悲しいながらも彼らの決断を前向きに捉えているのはまさにここまで誰一人置いて行かずに徹底的に対話した彼らに対する信用があるからだ。
それがわかってるから、『無責任論』を唱えた側へのバッシングの方が強くなる。

この会見後、ファンクラブの会員は10万人も増加したというから、前代未聞。
まさに、信用さえあれば生きていける、“‘貯信時代“の代弁者だ。
これからは個の時代になり、より一層『自分の在り方』が問われる時代になると思う。
この先振り返った時に、この会見がきっと、お金の時代が終わり、信用が最も優先的な価値観になっていく、そんな新しい時代の幕開けを告げる、エポックメイキングとして語られる会見となるのではないだろうか。

#嵐 #活動休止 #無責任論 #信用経済 #貯信時代 #大野くんの夏休み




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