【短編小説】わたしの地層
気づいてしまった。人生って大抵が無駄なことで出来ている。
いやそんなわけ、いやいやそんなわけが、いやいやいやそんなことないはずだと思いたかったけれど、自分の中の冷静さがその考えにぼろ負けしてしまい、私は仕事帰りのバスでちょっと泣いた。
私が毎日心を削りながらやっている様々なこと、それもまた無駄なことなんだと思うと我慢しても涙が出てきた。家に着いたら落ち着く予定だったのに心臓はずっとはやくて結局枕も濡らした。
そんなときに幼なじみから電話があり、ぬくもりに飢えていた私は深呼吸を一回してそれに出た。彼はのんきな声で、「上野に行かない?」と私を誘った。
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幼なじみの牧野とは、私の母が通っていたお料理サークルがきっかけで七歳のときに出会った。そのサークルは託児所が併設された施設で活動を行っていて、母達がビーフストロガノフだとかをつくっている間、二人でよく遊んだものだった。当時はまだ男子も女子もいっしょくたで、ポケモンのうそ裏技の話で盛り上がることも、たった二人でかくれおにをすることも、まったく恥ずかしいことではなかった。
小学五年生くらいになってからは母のサークル活動へ行かず、家で留守番をすることの方が多くなっていた。それでもときどき母に同行すれば牧野はサークルへ来ていたので――いつのまにか牧野も料理をしていたからだ――話す機会はあったのだけれど、中学生になったら私が部活に入ったこともありますます接点は失われ、高校生のときはせいぜい誕生日にLINEスタンプを一つ送る程度の距離になっていた。
私と牧野の仲が今でも続いているのは、大学に入ったことが大きい。私達は偶然にも同じところへ入学したのだ。学部は違ったし、ばかでかいキャンパスの端と端の建物で勉強に励んでいたけれど、牧野の方がときどき私の元へ顔を出していた。
曰く、牧野はグラフィック的ななにかをとても気に入ったそうだ。
私が入ったのは、某県にある総合大学の芸術学部、さらにその中のグラフィックデザイン専攻だった。牧野は確か、理系の、地層だとかを学ぶところだ。都内の美術大学に比べたら私の作品はお遊びみたいなものだったけれど、牧野は学期末の講評会に忍び込んでは、すべてが終わってから「うまいなあ」と褒めてくれた。私の作品も、私以外の作品も。
私たちはずっと、年齢とそのときどきの距離感がちょうどいい関係だった。
四年の大学生活終了後、私は渋谷にあるデザイン事務所へ就職した。牧野は大学院に進学し、それから一年間のアメリカ留学ののち、今度は一年間休学をとって自転車で日本横断をしていたのだから私とはまったく違う道を進んでいる。知り合いのほとんどいない講評会に入れるようなやつなので――牧野は、私がとっていない授業の講評さえも見ていたらしい――そういう度胸が私よりよっぽどあった。
■
牧野と待ち合わせたのは上野駅の公園口改札前だった。平日の昼間になったのは私の都合だ。午前中にクライアントと打ち合わせ後、デザイン事務所としては珍しく本当にやることがなくなってしまう予定だったので、午後休をとって牧野と会うことにしたのだ。日本横断を終えた牧野は復学予定まですこし日があり、土日よりも平日の方が空いていて良いと電話越しに笑っていた。
「おー、こっち、こっち」
待ち合わせ場所に着いた途端、牧野の声が聞こえた。おじいさんやおばあさんばかりで溢れる中、背の高い牧野が手を振っている姿はよく目立つ。牧野は顔や話し方こそ柔らかな印象の人だが、髪型は金髪の坊主、年中自転車で移動するから肌はいつだって健康的に焼けていて、その手でA4サイズほどのいかつい黒のセカンドバッグを持っている。だから一見すると彼が持つ柔らかさよりも先に怖さが勝ってしまう。ふらふら歩いていたおじさんが牧野の横を通るときだけは真っ直ぐ歩みを進め、またすぐに左右を知らない足取りになる。牧野がそれに気づいていたら、たぶんでっかい声で「酔ってるの? 休めば?」と聞いていただろうけれど、牧野は手を振ることに勤しんでいたのでおじさんには気づかなかった。
「牧野、なんかまたムキムキになってない?」
牧野の傍へ向かい、飛び込んできた二の腕を見て私は言った。
「いや、最近YouTubeにハマってて。すごいんだよYouTube。筋トレ動画めちゃくちゃあるし、水樹にもおすすめ」
「私はヨガ通ってるからいいよ」
「ヨガか。ヨガの動画もいいかもな」
なんでもいいやつだなあ! 牧野は昔からそういうところがあるので、万が一のため私は自分が通っているヨガスタジオのことは内緒にしようと心に誓った。牧野は良い友達だけれど、ヨガスタジオの私は寡黙な女で通しているから、牧野がいるとそのイメージが壊れてしまうと考えられた。
本日の牧野の目的地は予想通り国立西洋美術館だった。牧野は常設のジャクソン・ポロックの絵がなぜかとにかく好きで、真似事のように白いTシャツを絵の具でびちゃびちゃにしたこともある。企画展のチケットは買わず、常設展の安いチケットだけを牧野は購入し、建物の中に入った。そんなチケットの買い方をする人、私は牧野くらいしか知らない。牧野、コルビジェはこの建物をつくった人だよ? それでも企画展に今日は行かないらしい。たぶん、一人でそのうち行くのだろう。いつもそうだから。私とは行かない。
これは牧野が私を上野に誘うときのルーティンのひとつだ。国立西洋美術館でジャクソン・ポロックを鑑賞するなど、色々する。それからいつ行っても混んでるスタバでほうじ茶ティーラテを買い、ベンチに座って遠目で大道芸を見る。今日もおおむね同じことをするのだろう。平日だから、大道芸はやっていないかもしれない。
常設展示のエリアに入った牧野は、モネの絵の写真を撮ってからジャクソン・ポロックに向かった。もう何回も見ているのに、それでも鼻先をくっつけてしまうのではないかという至近距離まで寄ろうとするので、私は慌てて牧野を引っ張る。大きな体だけれど簡単に動いた。
「おれもさ、なんでこんなにポロックに惹かれるのかはわからないんだよね」
牧野が呟く。絵からこちらへ視線が移っていたので、首を傾げながら私は考える。
「自由さ、とかじゃないの?」
「自由さなんて色んな作家にあるだろ? なんだろうな……むしろこう、ポロックにおれは歴史を感じるんだよ」
「はあ」
「おれも現代美術とか勉強したらわかるのかな」
「私必修でやったけどだいたい忘れたよ」
牧野が顔をくしゃくしゃにする。鼻の上にしわが出来た。
「えーっ、忘れるなよ」
「忘れるよ。人間って容量決まってるから」
「そういうもんかな……。やっぱ一枚欲しいなあ」
牧野は、一応芸術の勉強をしていたわりに無知な私をばかにすることはなく、ただただポロックの絵を欲しがって鑑賞を終える。いつも同じような話をしている気がする。現代美術の勉強がその間にいくらでも出来そうだったけれど、私も牧野も学ぼうとはしていない。私は仕事に忙しかったし、牧野は美術館で遊ぶけれど、本質的に好きなのは留学するほど勉強し、日本横断して多くを見てきた地層の方なのだ。絵が好きなのも結局歴史の積み重ねに興味があるのだと思う。
展示を後にする。出入り口付近で牧野が立ち止まった。ミュージアムショップに興味を持ったからではない。牧野はエコと健康のためだと言い張るが、どこかケチなところがあるから自転車移動を、なにより無料のYouTubeを好むので、普通の店より高い折りたたみ傘が売っているようなところに入ったりはしない。
再び牧野のルーティン。彼の注目を集めるのは、チラシスタンドだ。次回の展覧会や、他の美術館のフライヤーが詰まったそれ。
「知らないのが増えてるな」
牧野の声がすこし弾む。品定めするようにいくつかのフライヤーを抜き取ると、セカンドバッグの中からクリアファイルを出す。
「まだそれ集めてるの?」
「まあね」
「大学のときからでしょ。かさばって邪魔にならないの」
「いや、確かにこれはかさばるかもしれないよ。正直、結構棚とか圧迫してるし」
牧野はファイルに挟んだフライヤーを丁寧に鞄へしまっていた。私はその、一番上に重ねたものを見ていた。
「そういうの、とっといても無駄でしょ」
自分でもまあよくそんな言葉が出てくる。牧野が一瞬不機嫌な顔をするが、私を見ると目を逸らした。それから、セカンドバッグを撫でる。
「水樹は変だと思うかもしれないけど、おれはこれを綺麗なものとして捉えてるんだ。触り心地とかいいし。なんというか、心遣いが好きなんだよ。この人に見てほしいなとか、この人が喜んでくれるかなとか、そういう気持ちが込められてる感じがするんだよね。そうじゃないものもたくさんあるけどさ。でも、おれが選ぶものはすくなくとも誰かの心を感じた、素敵なものだよ」
牧野が耳の後ろを掻く。視線を数秒泳がせてから、わざとらしくため息をついた。その口元は、隠しきれず口角が上がっている。
「まあ、なんというか、これを集めてる人間もいるよ。それにほらこれ、積み重ねると歴史を感じるんだよな。おれの棚の地層だよ、こいつらは」
照れ隠しのように付け足した牧野を私は直視出来ない。
代わりにトイレに行くと言って、極力ゆっくりその場を離れた。自然に見えるように。
牧野に、私が泣いていることを気づかれていないといい。
■
大学時代、牧野が私の学部を訪れるようになったきっかけこそが展覧会のフライヤーだった。色んなデザインがあって、こだわりも見え隠れして、しかも無料。芸術を学ぶ場所だけあって私が勉強していた芸術棟にはそれのためのスタンドが通常より大きなサイズで置かれていた。大量に用意、定期的に入れ替わるフライヤーに魅了された牧野はいつからかその収集をはじめ、なんとなく講評会にも興味を示すようになった。
私の就職先が、そういった展覧会の企画に携わるデザイン事務所になったのも、牧野の影響があるかもしれない。
正直、今この世界にあるデザインは圧倒的に消費されやすいものだ。次々に新しいものが生まれては消えていく。そのことに気づいては悲しくなり、必死に考えないようにして、でも結局考えてしまう。
無駄なことばかりの中でも、誰か一人は絶対にそれを認めてくれる。出来れば私の信頼する誰かが惚れ込んでいるものを作りたい、そうしないとこれから先デザインをやっていられないと私は思った。
牧野にはデザイン事務所で働いている話のみで、私がつくっているものの話はしたことがない。牧野のことだから変な気遣いはないとしても、話してしまえば私の方がきっと牧野を意識しすぎて仕事を疎かにすると考えたからだ。
誰が見ているのかもわからないフライヤー。一定期間で消えてしまうもの。多くはきっとごみになってしまう。電子化の進む中、そもそもの存在意義をこれから問われていくはず。
それでも作りたいのは、それを集める牧野が、私のフライヤーも彼の地層に加えてくれる瞬間があることを知っているからだ。
目元を冷やしてトイレから戻れば、牧野はもう一度スタンドを見直していた。この日は偶然にも私が関わったフライヤーが二枚そこにあり、一枚はすでに牧野の鞄の中にしまわれている。牧野が今手にしているのは、もう一枚の方。それもより私がデザイナーとして深く携わった仕事の方だった。
牧野は紙の裏表を見て、手触りを確認し、何度かそれを顔から遠ざけたり、再び近づけたりしていた。緊張して戻ったことを告げられないまま、私は牧野の行動を見守る。
牧野は――フライヤーを戻した。これは牧野のお眼鏡にはかなわなかったらしい。
「まだやってる」
「あ、水樹。早かったな」
「もういいでしょ。スタバ行くんなら早くしよ」
「そうだなあ」
牧野はもう満足したのか、あっさりとその場を離れた。私の鼓動はいまいち落ち着かない。さっきのはどうして気に入らなかったの? そもそもあんたのフライヤー選びの基準ってなによ? 牧野にたくさん話しかけたくなる気持ちを抑えて、彼の後を着いていく。
牧野が私を待つことはない。でも、ときどき振り返って私がいることを確認している。
やっぱり牧野はこの距離感だ。繋がりはあるけれど縮まり過ぎない。その時々の、ほどほどに良い関係が変わらない。
私はいつか、牧野に自分の仕事の話をするのだろうか? するとしても、きっとそれは私が自分の仕事を自分でも無駄じゃないものに出来たときだろう。私がつくったフライヤーの一枚一枚を積み重ねて、私の歴史が出来たとき。何歳でそれを達成出来るのかはわからない。気が遠くなるほど先かもしれない。
そのときがきたらまた、牧野は私を上野へ誘ってくれるかな。いいや、牧野が誘わなかったら、私が誘ってやってもいいんだ。ジャクソン・ポロックを見に行こうと言えば、牧野はわかってくれるはずだ。
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