【121/200】出会いの機会も別れの機会も奪われる
ぐっさんです。
今日は久々にチビーズ(バイト先の子供ら)のレッスンを見てました。
流石に4年目にもなると、長らくいってなくても「教え子」なんてもんはいくらでもできます。
「おお、めっちゃ進級したなあ」とか
「身長伸びたなあ」とか
「会話できるようになったなあ」とか
割と目に見えて「成長」なるものはわかります。
今日も、長らく見てなかった教え子のあおり足(平泳ぎのキックを足の甲で蹴ってしまうこと)が、安全に直っているのを見て、嬉しくなりました。
そんなことを考えていると、(自分も含めて)就活生とか意識高い人たちとかがよく言う、「成長」ってなんなんですかね。
知らんけど。
話がそれましたが、僕のバイト先は某ウイルスの影響で1ヶ月ほど営業していませんでした。
それに加えて、僕自身は昨年の12月からバイトにはほとんど入っていない始末。
そんなもんだから、長らく子どもらに会うことなく、休業期間を迎え、久しぶりに出勤したわけです。
休業期間の前後で会員数が減っているのは容易に想像がつきますし、僕の教え子も辞めてる子はいるだろうとは思ってました。
そんなことを思いながら普通に出勤して、ふと名簿を見る。
そこには、よく知る教え子の名前と、「退会」の2文字。
なんともいえない感情がこみ上げてきました。
その子は、僕がバイトを初めて1年目の年、引率でサマーキャンプに行った時の、僕が担当した班の子です。
そりゃまあ、思い入れがないはずがない。
長い間バイトに行ってないからだとしても、別れの一言も言わせてくれないのかと、怒りに似た感情、もはや怒りがこみ上げてきました。
それも全部、某ウイルスの影響のせいだと思っておきます。
もちろん、これに限った話ではない。
身近なところで言えば、卒業した先輩たちも、別れの機会すらない方もいたでしょうし、新入生は入学式や新歓なんていう出会いの機会もなかったわけです。
出会いと別れっていうのは、自分にとって「あたりまえ」だと思っていることの一つでした。
でもまあ、こんなにも簡単に崩れ去ってしまう観念だったとは…という感じ。
あたりまえに思うことは、ありがたいことだと思って、生きていこうと思いました、というお話です。
では
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