本心に気付く時
「こちらです」
そう言ってシグルドが立ち止ったのは、廊下の端っこ――角部屋の前だった。
コンッコンッコンッと軽くノックをして、そのまま返事を待たずに扉をあける王子様。
「マリン、待たせたな」
部屋を覗くと、マリンちゃんは窓際にある木の椅子に腰かけていた。
私たちが来たことに気付き、愛くるしい笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
「マリン!」
王子様はあわてて部屋に駆け込み、次の瞬間には王子様が倒れ込むマリンちゃんを抱きかかえていた。
「無理をするな」
私の目には王子様の背中しか見えなかった。
けれど、声の調子からどれほどマリンちゃんを心配しているかはわかる。王子様にとってマリンちゃんが大切だということは、それはもう痛いほどに伝わってきた。
王子様はマリンちゃんを抱き上げて、もといた椅子に座らせると、ようやくこちらを振り返った。
「慌ただしくしてしまって、すまない。マリンは――」
そこでいったん言葉を切り、マリンちゃんのほうにもう一度目をやる。何かをためらっている様子の王子様。
マリンちゃんは軽く微笑み、うなずいた。
「マリンは……足が悪く、それに……口も利けないんだ」
私はハッとしてマリンちゃんを見つめた。
人魚姫の物語はよく知っている……つもりだった。
けれど知らず知らずのうちに、人魚から人間になったお姫様にはどこかしらに違いがあって、一目で人魚姫だとわかるもんだと思い込んでいたのだ。
だから私は気づきもしなかった――このマリンちゃんこそが、私が今までずっと、助けたい助けたいと思ってきた人魚姫だということに。
「マリン、紹介するな。こちらの美しい姫君が俺の婚約者のヒメカ。で、こっちのおまけが、ヒメカの世話係のシグルドだ」
「おまけとはなんですか、失礼ですね」
「世話係なんだからおまけで十分だ」
シグルドと王子様が先程と同様のくだらないやり取りをする中、マリンちゃんはただただ微笑んでいた。
マリンちゃんは私のことを一体どう見ているのだろう。
私がマリンちゃんの立場なら、きっと悲しくて悔しくて……とても笑って見ていることなんてできない。ましてや結婚できないと死ぬという状況に身を置いていたら、なおさらだ。
私のことを疎ましく思っていないのだろうか……?
ふと、マリンちゃんと目が合った。
そんな事を考えていただけに、まっすぐなエメラルドの瞳を見つめ返すことができず、あわてて顔を背けた。
自分のとった行動を客観的に考えると、酷いことだと理解できる。けれど、とてもじゃないけどマリンちゃんの顔を見ることは出来なかった。
「なんだヒメカ、気分でも悪いのか?」
シグルドとの(子供のような)口げんかを止め、うつむく私の顔を覗き込んでくる王子様。
「王子様……」
顔をあげるとそこには王子様の顔。髪の間から覗く二つの青い瞳は、色に反して燃えるような輝きを持っている。
「王子様はやめろって! もうすぐ夫婦になるんだぞ。ルカって名前で呼んでくれよ」
「ルカ…………王子」
「お前なぁ……」
ルカ王子は呆れたようにそう言った。
「それじゃあ嫌だ……けどしょうがねぇな、今はそれで我慢してやる」
夫婦になるのだからルカと呼べ。そう言われて、ルカと呼んでしまったら、もう後戻りはできない気がした。
私は卑怯だ。この世界に残る勇気も、元の世界に帰る勇気もなく、ただこの都合のいい状況を維持しようとしている。
シグルドと一緒にいたい。でも、決して結ばれることはない。私がこの世界に残れる条件は、王子様との結婚なのだから。
自分の思考に驚かされた。
『帰れる条件』と考えていたはずなのに、いつの間にか『残れる条件』と意識がすり変わっていたのだ。
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ルカ王子」
「いや、そんなに真剣に謝ることじゃねぇけど……」
何度謝っても足りない。けれど、私には謝ることしかできなかった。
だって――私の気持ちはもう決まってしまったのだから。
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