とても人には見せられない日記

もう20年近く日記をつけている。内容はその日あったことや思ったことで、とても人に見せられるものではない。書く媒体は、自分だけ見られる形で保存していけるPCのアプリ、もしくは紙の手帳。その年その年の気分によって書き分けていて、比率はだいたい半分くらいである。

今チェックしてみると、2019年1月くらいからはずっとアプリのほうに日記を書いている。ときどき1月分くらい抜けているので、その期間だけ気まぐれを起こして紙の手帳に日記を書いたのだろう。

そして最近、久しぶりに紙の手帳に日記を書きたいかも、という気分になっている。

紙の手帳に日記を書く場合に、僕が考える「イケテナイ点」は2つ。

1つ目は、書けるスピードが遅いこと。僕はせっかちなので、自分の頭の中に湧き起こる「書きたいこと」を、なるだけ思考と同じスピードで書いていきたい。そう考えると、PCのタイピングで書けるスピードはちょうどよくて、手書きだと遅いのだ。でもこの点、表していくスピードが遅いのもちょっといいかも、と最近思っている。遅いから網羅できなくて、隙間ができてしまうのだけど、それが今の自分にはいいのではないかと。

もう1点、それは最終的に紙の手帳を「どうすればいいのだ?」ということである。アプリに記録された「とても人には見せられない日記」は、いつの日かそれを管理する人がいなくなっても、きっとずっとそのまま、誰にも見られないでそのままである。いつの日かそのデータは消えてしまうのか、永遠にインターネットのクラウドという空間を宇宙の塵のように漂うのか。100%の信頼をするわけではないけど、ひとまず、副題に -大変恥ずかしい日記- と銘打たれる日記が物理的に発見される事態は避けられそうである。

これに対して紙の日記は、それを管理する人が違う世界に旅立つ前に、必ず、適切に、処分されなくてはいけない。この世に読める形で残してしまえば、それはいつか、必ず「発見」される。というようなことを考えると、紙の日記、よいんだけどちょっとなあと思うのである。

人はいつ違う世界に旅立つのかわからない。
「旅立ちそうだな、その直前に処分することにしよう。どこかの河原に何十年分の日記を持ち出して、泣きながら燃やそう」
そんなことを決意した翌日、あなたは違う世界に呼ばれ、「◯◯がちょっとだけちょめちょめしてうれしかった」だの、「今日見た夢では◯◯が出てきた。なんと、あんなに◯◯な感じで、djadsfdsgekkk…」そんな日記が発掘されることになるのである。

紙に日記を書いている人、どう考えてますか? それともプライベートな日記とはいえ、みなさん「とても人には見せられないようなこと」は書かないのですか?

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