大方 風の噂で聞いた話で思い出した程度の興味で気安く、きまぐれな、春風

久方ぶりの走り書きですが。好きな二字熟語は渇望です、こんばんは。

いつだったか、あたくしめの好きな二字熟語を聞かれた時に咄嗟に歌舞伎揚と答えてしまい、その時頭を満たしていた空腹感と眠気には"好きな"を«早めに登校したガラガラの教室が並ぶ廊下を意味もなく巡回の先生の気持ちになって歩いた時に見つけた、恐らく毎朝早く来ているのであろう普段はすれ違いもしない3つ隣の教室のふんわりとした女学生に目を奪われてしまったが目が合った時の言い訳がたたないなと焦って泳がせた目線»と言う意味に錯覚させたわけなので、4文字であるだとか、食いしん坊だとかどうか大きな声で怒らないでいただきたいです、感性のベイビーが泣きだしてしまうので。

カワキという単語がずっと好きで、好きなアーティストがカワキヲアメクと言う歌を作っていたことを知った時のトキメキは2年たってもそうそう越えられないほどでございます。自然と滴る水のしらべに実感が持てない訳でもなく、誰かが施してくれた温かい水が染みていないわけでもなく、誰がカワキをもたらしたのか分からずとも此方を恨もうという訳でもない、ましてや自分への好感なんて関係ない。事象が、大きな根っこを張ったようにただそこにあるだけというカワキが、あたしをあたしたらしめているんだろうなと信じてやまないわけなので。

こうしてパルムも仰天のざっくりとした話をしているのは、夢を見たいわけでもポエムを描きたいわけでもなくて、感性のドッヂボールに巻き込んでいるだけなのです。語感を弄って時間の流れを意識させてみたり、文字数のまとまりを変えて終着点を意識させてみたり、そういう小細工をワクワクしながら組み込むあたしはお団子職人、焼き目がキレイに着くように少しずつ大事に焼いてみているのです。

ずんだ餅を美味しいものだろうなと思っていたのはよく行くスーパーでみたらし団子の隣にあったから。柏もちの葉っぱを思い切り齧ってみて特有の苦味を大人の味だと思い込むことは出来たのにわさびとコーヒーは10数年経っても食べれるようにならないし。そのくせ純喫茶ではコーヒーゼリーを頼んで写真も撮らずに淡々と食べて、ガムシロップでぷくぷくになったアイスティーをやけに大きな羽のついた天井を見ながら飲んでみてる、そんなあなたののどごしで満たして。

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