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平埜生成さんWSに参加しました


ITの会社員をやりつつ趣味でダンスや絵を描いたりしています、TKKです。
本日平埜生成さんのWSに行ってきたので言語化をしてみようと思います。


舞台関係の人と交流を持つのも、ダンスや絵以外のWSに行ってみるのも初めてだったのでどんなことをやるのかと緊張してスタジオに向かいました。
どんなことをやるんだろう、上手くやれるかな、何が見つかるんだろうと言った具合に、興味と緊張とが混ざっていました。
幸い、当日は天気が良かったので(生成さんとも話していましたが)どこか開放的な気分でスタジオまで歩きました。

早く着くと入り口に生成さんがいらっしゃいました。
なにせ私TKKがダンスを始めたのも、初めて舞台を見に行ったのも生成さんがきっかけだったので、ここでもやはり緊張と興味で頭がいっぱいでした。
(遅刻したらどうしよう、という不安はここで拭われました)
もう一人、早めに着いた方と生成さんと世間話をしつつ、スタジオが空いたので入り準備をしました。


WSが始まると、まずは手と手を擦り合わせて体を少しずつ温めるところからスタートしました。
ダンサーのアップといえば、怪我のないようにストレッチをしたり、とにかく体を動かしたり、リラックスさせて緊張をほぐしたり、というものばかりだったので、手先まで自然体で演技をするためのプロセスなんだろうな、と色々と考えながらさまざまな部位を手で擦り、確認し、発見していきます。
途中、コロナ禍でいろんな部位の筋肉が衰えていることに気がつきました。
日々仕事や絵の制作に明け暮れているので、「不健康な体にしてごめん」と思いました。
末端冷え性で夏場でも足先が冷たい私でも、丁寧に摩ることで体がポカポカしました、とても効果的ですし、自分の体と向き合える作業でした。

歩きながら出会った人と短い時間だけど丁寧に、自己紹介を終えた後、人と自分とを意識して、均等な人の感覚になるようにスタジオ中を歩き回ります。
歩く時、常に下を見ていることに気がつきました。
いつも街を歩く時はいろんな対象に目を向けているのに何故、と考えていると、街を歩く時、私は無意識に全ての物体を警戒していたことに気づきました。
危ないものほど観察する癖がある私なので、ひと時たりとも不安分子の観察を怠りたくないのです。
つまり、短い時間の自己紹介の中で私は全く面識のない参加者の方々を信用に足る人間とみなしたのだと思います。
純粋に演劇が好きな人、新しいことにチャレンジしたい人、表現しか残されていない人、様々でしたが、不思議と打ち解けられました。

スタジオ中を歩き回りながら、順を追ってさまざまな工程が増えていきました。
握手をする、名前を名乗る、名前をおうむ返しする、名前を交換していく。
基礎的な挨拶から初めてやることまで様々で、ここでもまた言葉数は少ないのに参加者の方々とどんどん打ち解けていきました。


「わたしはあなたに話があります」


この言葉をいろんな形でいろんな方と交換しました。
どんなシチュエーションでも合いそうな含みのある言葉で、人によって表現の方法が異なりました。
初めて交換した時「私はダンサーであって役者ではない」と殻に閉じこもっていたものが、皆さんの表現で豊かになっていきました。
コソコソ話すように、一世一代の告白のように、上司が部下に言うように、どんどんいろんなシチュエーションが浮かびました。
電気を消して目を瞑って言葉を交換してみるとまた感じ方が変わります。
今まで自分がうまく出来なかった間の取り方や表現がうまく行ったり、または行かなかったり、相手の呼吸の仕方、相手のニュアンスがより豊かに聴こえるようになりました。
相手の目を見て観察し、聞き取り、それを返していたのが、相手の呼吸を聞いて、体温を感じて、相手の位置を把握する作業に変わりました。

中でもびっくりしたのは、音楽が流れ、自由に動ける空間になるとそれらが最大限活かされたことです。
私はダンスをやってきた人間なので、自由に動けるとなると今まであった足枷がすぽんと抜けました。
これなら自由だ!と思った反面、言葉だけでは私はまだ成り立たないんだという悔しさも芽生えました。


そんなWSを経て私が思ったのは「演劇って楽しそう!」ということです。
ただ台詞を覚えて監督さんや俳優さんの解釈で演技する、という俳優さんのイメージから、言葉を自在に操り、表現し、相手を感じ、その時間、その人たちでしか作れない世界を作る人たち、というイメージに変わりました。
きっと今、今まで見てきた舞台を見たら視点が180度以上変わると思います。

私がやってきたダンスはショーケース的なものがほとんどで、自己表現が全てで、個性が全てでした。
誰かになってみることもないし、誰かとコミュニケーションを取ることもありません。
いかに自分をぶつけ、相手の上をいくか、そんなダンスでした。
(本当にそういった精神文化のジャンルなので…!笑)
なので相手の呼吸を感じたり、相手を観察して自分が返す、ということは本当に長らくやったことがなかったんです。

目を瞑って踊ってみたら?
回転させる腕のつくりや踏ん張る足をもっと理解してみたら?
いつも踊る時に見えない何かにぶつけている感情をダンサーの友達に向かって踊ってみたら?

いつもやっていることにほんの少し足してみるだけで、まだ見ぬ何かが見つけられそうです。
今回のWSは違う畑に出かけたら訳がわからないほど大きい、でも実態がない収穫があって興奮冷めやらぬまま帰ってきた、そんな感じでした。


私が絵やダンスを休憩するまで演劇の世界に飛び込むということはないかもしれませんが、その時まで表現とは何か、どうやって表現するのかをダンスや絵の世界でじっくりと育てていきたいです。
このような素晴らしい機会をくださった平埜生成さん、豊かな時間を作ってくださった参加者の皆様、本当にありがとうございました。

これからも応援しております。

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