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Letting Up Despite Great Faultsと共演した夢のような話

少し日が空いてしまいましたが、4月23日(日)新代田FEVERのLetting Up Despite Great Faultsの来日公演にサポートアクトとして17歳とベルリンの壁でライブをしてきました。1番手にも関わらず沢山の方々に見てもらえて本当に感謝です。ありがとうございました。

色々と思いが募って長くなってしまいましたが、この日のライブのことをnoteに綴って振り返りたいと思います。

Letting Up Despite Great Faultsのこと

2010年に自分が大学4年の頃にエレクトロニカ系の音楽を漁っていた時に出会いました。当時、シューゲイザーやドリームポップには疎かった自分にとっては、Letting Up Despite Great Faultsの1stは衝撃そのものでした。Our Younger NoiseのMVは何度見たことかわからないし、2011年にリリースされたPaper CrushのEPも何度聴いたことか。それこそ毎日のように聴いている時期すらありました。

我々のライブのMCでVo&Gtの鶴田も話していましたが、Letting Up Despite Great Faultsはまさに我々世代にとってはリアタイで出会うことの出来た青春のバンドそのものなのですよね。Wild Nothingやexlovers、The Pains Of Being Pure At Heartといった自分たちを虜にした2010年代のドリームポップ・シューゲイザーのまさに中心にいたバンドでした。

自分は2014年の渋谷O-NESTのLetting Up Despite Great Faultsの来日公演を見に行ったことがあるのですが、偶然にも当時まだ知り合う前のVo&Gtの鶴田も同じ会場にいたという。確か仕事終わりに観に行ったのですが、自分はテンションが上がりすぎてビール片手にスーツで柄にもなくフロアで踊り狂ってましたね。そんな思い出話をつい語りたくなるくらい、大好きなバンドなんです。

to’morrow musicのこと

今回、Letting Up Despite Great Faultsを招聘した主宰のひろせ君とはかつて渋谷club乙で遊んでいた10年程前に出会った友人です。彼がアメリカに行ってからは会う機会が少なくなってましたが、たびたびお酒を交わしたりして仲良くさせてもらってました。2013年からto’morrowというイベントを続けていて、冷たい指輪をイベントに呼んでいたことをよく覚えています。2013年にはすでに自分は脱退済みでしたが、元々冷たい指輪でギターを弾いていた縁で彼とは知り合ったので、10年経ってイベントに声をかけてもらえたことがとても嬉しかったです。

ライブのこと

17歳とベルリンの壁は2022年10月以来、半年振りのライブでした。新代田FEVERへの出演も3年半振りでしたね。ここ最近は自分も含めたメンバーの環境の変化もあり、制作活動メインで活動していました。

自分は3月に息子が生まれたばかりで、しばらくは表舞台から遠ざかるつもりでした。妻にはなかなか相談しにくい話ではあったのですが、今回を逃したら次は無いだろうとのことで特別に出演をOKしてもらいました。出産前のタイミングでの相談だったので、この点は本当に感謝しかないです。

Twitterには当日のLetting Up Despite Great Faultsのライブでステージから風船を飛ばしている動画がいくつかUPされているのですが、本当に楽しそうに笑顔で踊る自分が映っているんですよ。かつて2014年、渋谷O-NESTの時と同じように。まさか自分がフロアではなく、ステージから風船を飛ばす日が来るとは思わなかった。感無量というか、感慨深いというか。

それこそ色々と思いがこもった日ではあったのですが、この日は特別な編成での節目のステージということもあり、とても気持ちのこもった40分間のライブとなりました。

自分たちのセットリストの最後の曲で演奏した「ハッピーエンド」という曲。もう何度も演奏した曲ではあったけど、不思議と初々しい幸せな気持ちで一杯になりました。初心に戻った気持ちというか、バンドはやっぱり楽しいなって。
この日は20代の青春を思い返すというか、すっかり忘れかけていた青々しい気持ちが蘇った夜だったなと思います。まだまだバンド続けていきたいし、これからもメンバーと共に良い景色を見続けていきたいなと思います。

長くなりましたが、改めてLetting Up Despite Great Faultsを日本に呼んで17歳とベルリンの壁と引き合わせてくれたto'morrow music、本当にありがとうございました。