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私の血肉になったマンガたち

子どもの頃の私は、マンガに没頭しているいわゆるマンガ少年でした。

暇さえあればマンガを読み、親戚の家に行っても親戚とは遊ばずにひたすらマンガを読み、親が働きに出ている子どもが放課後に集まる児童館でも図書館でマンガを読み、新しいマンガを読むためだけに学校をサボろうとしたり、学級新聞に四コママンガを描いたりと、文字通り、人生の中心はまさにマンガ。

私の家は「貧困」ではありませんでしたが、経済的に裕福とは決して言えず、ゲーム機をはじめ、ほしいものを次々と買ってもらえる友人たちと違って、マンガは数少ない私にとっての娯楽と言えた。

当然、今の大人が「話題の作品だから」と気になったマンガを買うようなことができたわけじゃありません。できたのは、同じマンガをひたすらくり返し読む、ということ。

でも、だからこそ、マンガを人よりも「深く」読むことが多くなりました。

人生で一番くり返して読んだ、横山光輝『三国志』

そんな私が人生で一番くり返し、さらに深く読んだマンガが、故・横山光輝の名作、『三国志』である。

いまでこそ50巻を超えるマンガは珍しくなくなったが、私がその本に出会った今から25年位前は、『三国志』は長編マンガの代名詞であり、原作が大作家・吉川英治の長編小説ということで、「マンガを読むのは子どもだけ」という時代の、大人でも読めるマンガとして、マンガの域を超えた特別なマンガだった。

かくいう私も、最初はこの本を読むのに躊躇をしました。
当時中学生でしたが、ボリュームが多すぎるし、なにやら「難しそう」と感じたからですね。

しかし、その心配は読み始めたら杞憂だったことがわかったんです。

次々に出てくるキャラクター、すぐに変わっていく展開、難解な政治や戦争の話など、読む障壁はいくらでもあったはずだが、『三国志演義』由来の、主人公劉備と義兄弟の関羽・張飛を中心とした骨太のストーリーを、『鉄人28号』『バビル2世』などを描いた娯楽マンガの巨匠がうまくマンガに昇華しているので、読む内に、みるみるこの作品に引き込まれていきます。
杞憂していたことも、何度も読んでいる内に、わからないことがどんどんとわかっていくようになり、自然と解消していったんですね。

私は横山光輝の描く『三国志』の世界にどっぷりとハマり、放課中に『三国志』を貸してくれた友人とあーでもないこーでもないと「三国志談義」をするようになり、横山三国志のキャラクターの絵を描いたりしていたし、副次的?に中国故事にも詳しくなっていきました。

そこまでは多くの横山三国志ファンと似たようなものでしょうが、私の場合、一番『三国志』を読み込んだのは、他ならぬ、高校3年の夏休みでした。

受験勉強をしなければならない夏、私はひたすら横山三国志を読んでいました。

はじめは「現実逃避」だったかもしれませんが、当時、ニュースで流れていた世界の争い、政治の迷走、自分のことしか考えない人が引き起こす社会問題・・・それは、形は違えど『三国志』に描かれていたことでした。

三国志の時代より1800年近くも経つというのに、こういった形でマンガになっているというのに、そこから学ばない人たちがたくさんいることが悲しく、目先のことばかりを考えている人の方が多い現実に辟易していました。

でも、まさにそれが『三国志』の中で描かれる「英雄」と「英雄でない人」の違いでもありました。横山『三国志』21巻に、初めて、もう一人の主人公と言える、諸葛孔明の生い立ちを説明する回がありました。
(出典:横山光輝『三国志』潮出版社 第21巻)

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これは三国志のフィクション、三国志演義を元にしたお話であるから、実際に孔明がそう思ったかは定かではありません。

でも、そういった気持ちを持つ人間がいたことは確かだったと思います。なぜなら、少なくとも私は同じことを思ったからです。なぜ、人は愚かなままでいようとするのかと。なぜ、人に役立つことを優先しない人たちがいるのかと。

また、孔明が田舎に引きこもるようになった理由として、「目的を見失っている人たち」のことが描かれていましたが、それはまさに、なんのために勉強しているかわからない受験生のことであり、好き勝手言うコメンテーターや、今も迷走を続ける権力者の姿のことでもあるように思うのです。

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それから私が大学に入ってからも、社会に出てから遭遇したことも、驚いたことに、ことあるごとに読み返す『三国志』に、同じことが描かれていました。

多くの人間たちが織りなすドラマ『三国志』には、人間と社会の普遍的な姿が描かれていたんですね。

人間は変わらない。

その中で自分はどう生きるのか?

だから私はそこから学び取ったことを、私の生きている現実に落とし込むことで、様々な課題をクリアーしてきました。勉強を一生懸命やるよりも、ひたすら三国志で「人間」を学んだから。

今は中国との国交が正常化し、横山三国志よりも細かい部分の描写に力を入れている『蒼天航路』や、もっと古い中国を描いた『キングダム』などが人気ですが、では、人生で最もためになるマンガは? と考えると、やはりこの、横山『三国志』だと断言できる。

この作品は、私がこれまで一番読み返した本であり、これからも一番読み返す本になるでしょう。全60巻。

主人公が主人公じゃない『いいひと。』

『三国志』は、古典小説を元にしたお話だったが、『最終兵器彼女』で有名な高橋しんの連載デビュー作『いいひと。』は、(その当時の)ビジネスのお話です。

元々はいとこが集めていたマンガで、それをもらった兄が集めていたが、途中で挫折したので、私がそれを引き継いで集めました。

タイトルの感じと、著者が連載終了することを決めたキッカケとなったドラマ版の影響で、「いい人が、いい人らしい行動でなんでも解決しちゃうほのぼのコメディ」といった印象を持たれる人が多いが、キチンと読めば内容はもっと骨太であることがわかりまする。

『いいひと。』が描くのは、バブル崩壊後の日本の企業社会、とくに古い考え方の抜けない大企業の中で、「正しいこと」を実践しようとする人間として、ちょっと間抜けだけどいいひとな主人公・高橋ゆーじが登場し、「社会の常識」に縛られた人たちが抱える悩みや不安に対して、説教をするでもなく、損得勘定で動かないゆーじの行動を通じて、自分で気づき、成長していくというストーリー。

いわゆる「お仕事マンガ」に分類されるものになるんですが、内容は仕事というよりも、人間関係論的な内容。

とくに、タイトルにもあるような「いい人」についてのひとつの考え方と、人としてのあるべき姿を私に導いてくれたという意味で、私の人生観に大きな影響を与えたマンガです。

というのも、それまで私自身、「いい人」と呼ばれることが多く、それ自体は褒め言葉と感じることもなく、コンプレックスですらありました。
実際、『いいひと。』作中でも、「いい人と呼ばれたくない」と語る登場人物が何人も登場してきますが、その想いに非常に共感していたのを覚えています。

この作品に出てくる「いい人」は、主人公である高橋ゆーじのことを指すと思われがちですが、実際はそうではありません。この本の中に描かれているのは、「あなたも誰かにとってのいい人」でもあるということなのんですね。

古来より、政治的に「正しく見えること」は数多くあって、それぞれに違うものだれど、本当の意味で「正しいこと」は普遍的なもので、本質的なものです。

目の前の困っている人を助ける、ツラい想いをしているなら寄りそう、立ち上がろうとしていれば手を貸してあげる、など、日本に限らず、世界中のどこでも、いつの時代でも、普遍的に本質的に正しい、つまり「いい」ことは決まっていると。

『いいひと。』には、その、普遍的な「いいこと」を実践する人、正確に言えば、その普遍的な「いいこと」をしたときの人のことを、相手に投げかける「いいひと。」という言葉で表現しています。つまり、本質が大事だと。

決して、主人公・ゆーじのことだけを指しているわけではないんですね。

「あなたが誰かにとっての、いい人。」だということが描かれているんです。それって要するに、本質を大事にしましょうってことですね。

だから、この本の中に描かれている、普遍的に「いい」ことをする人たちの、人と人との繋がりを見ているとどこかホッとします。

主人公があくまで「媒体」となり、人々の、普遍的に「いいこと」をするような雰囲気を作る・・・そして彼ら自身が救われていく・・・そんな話を読んでいると、自分自身が「こんなことしていても何の得にもならない」という暗い気持ちになりそうなところが、「それでも誰かの役に立っているならそれでいいじゃないか」と思えるようになる。
周りに流されそうになっても、本質的なものを大事にする気持ちを、思い起こさせてくれる。

いつもいい人でいるより、自然とした「いいこと」を、誇りに思ってもいい。そんな「勇気」をもらえる作品であり、私が「報われない『いい人』」でもいいと思い続けられる教えを与えてくれたマンガであり、本質を大切にして生きることの大切さを教えてくれたマンガです。全26巻。

ギャグと暴力の狭間でしか描けない不変『今日から俺は!!』

ドラマ化されたことで人気が再燃した『今日から俺は!!』も、私に強い影響を与えたマンガの1つです。

本作はご存じ、ゆる系のヤンキーギャグマンガ(マイルドヤンキーと言うらしい)。よく80年代というけれど、実際には90年代のマンガなので、後半は「チーマー」なども出てきます。

しかし、これを私に薦めてくれたのは、ヤンキーとはほど遠い、何度も学級委員を務め、両親が教師で、自身も教師になった、典型的なマジメ少年、同級生の神谷君でした。

神谷君はマジメな子だったが、「シャレのわかる」マジメな子で、カタブツではなかった。

だから、皆から好かれていた。

そんな彼が気に入っているエピソードが、主人公・「金髪の悪魔」三橋の相棒である、トンガリ頭の伊藤のいとこが、学校でいじめられているから伊藤の家で登校拒否をしているから、三橋が「修行」をつけるという内容。

三橋は気に入らねーものはブチのめす、という唯我独尊タイプだが、この作品はそれをコミカルにまとめているので、このいじめられっ子に、ほぼほぼ意味のない修行をさせて、痛い想いをするとすぐ泣くいじめられっ子に、「泣くんじゃねー!」とすぐ殴ったりしていたのですが、あまりにも殴られ続けている内に、いじめっ子のパンチなんて全然効かなくなり、結果としてイジメがおさまっちゃう、という、いかにもギャグ展開。

でも、案外、そういうことってあるよねっていう部分を見せてくれるのが、この『今日から俺は!!』の見所。

いじめ対策も大人が色々考えて、カウンセラーとかなんとかとかやるけれど、結果的に「その子がいじめられなくなれば」いじめはなくなるってことも事実。

『今日から俺は!!』は、タイトルの通り、「今日から」ツッパリになろうとしてツッパリになった三橋と伊藤だからこそ、世の中の理不尽に対して怒って、その結果としてアウトローになった人たち、またはそういったよくあるヤンキーマンガのキャラクターとはちょっと違っています。

ヤクザを見たら「コエ~」と思うし、それをコミカルに描いてすらいる。
(出典:西森博之『今日から俺は!!』小学館 第4巻)

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それでも、いざという時はやる。相手がヤクザだろうが、仲間を傷つけられたら怒り、殴る。

そこにあるのは、よくある「自分のメンツ」「プライド」よりも、真剣にやっている人間やマジメな人間を傷つけた事への「怒り」だったり、自分はツッパリだけど、形は違えど自分を貫こうとしている(つまり、ツッパっている)人たちに対するリスペクトもあって、ヤンキー世界だけが中心じゃなく、あくまでも「在り方」として彼らがそうしているという姿。

だからこそ、マジメな神谷君がこのマンガを絶賛し、自身も「人は人、自分は自分」という形で、お説教臭い人間にならず、かといって道を踏み外さない、人に好かれるマジメ少年にもなったわけだろうし、それは少なからず私にも影響を与えています。

まぁ、私の場合はどちらかといえば、三橋のようにとか口が悪くなってしまったという悪い影響の方が大きいかもしれない・・・。全38巻。

教科書的じゃない女心がわかる『正しい恋愛のススメ』

これは大人になってから読んだものだが、私の、女性に対する考え方、接し方を大きく変えたマンガである。

作者の一条ゆかりは、実写映画化もされた『プライド』、ドラマ化された『デザイナー』など、働く女を描くことの多い少女マンガ界の大御所。

この『正しい恋愛のススメ』は、その「働く女」がとにかくブッ飛んでいて、美人の人気脚本家・玲子は、一人娘は高校生で、元旦那はゲイ・・・くらいならまだ驚きませんが、娘の彼氏である、主人公・竹田博明とくっついちゃう・・・というそれだけ読むととんでもないお話。むしろ、どこが「正しい恋愛」なのかと。

ですが、かなり男前な性格で、「後悔は死ぬときにまとめてする」という信念に基づき、娘の彼氏と知らずに出会った博明と恋仲になり、娘の彼氏と知った後も続けてしまう。

博明も博明で、イケメンでいいよる女ばかりで、押されて今の彼女とつきあっているけれど、真剣な恋愛をしてこなかったときに、出張ホストで出会った玲子に本気の恋をする・・・普通に考えたら極めてインモラルな話ですし、「こういう恋愛があってもいい」と言うのもちょっと違って、まさに、感情と直結した「悪いと思っているけど止められない」恋愛を描いているわけ。
(一条ゆかり『正しい恋愛のススメ』集英社)

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私も含め、男の場合だと、恋愛は感情だけど、他とはつながっていない別物と考えているところがあって、自分は自立してるから正しい、ちゃんとしている、ちゃんと恋愛できる、みたいな思い上がりがあって、それで結果的に痛い目をみるわけですが、女性の場合は、基本的には感情があって、それが根底にあるから結果的にも恋愛に繋がって行く・・・というような所を、まさに学ばせてもらった・・・という作品。

その結果、玲子ほどカッ飛んではいませんが、「死ぬときに後悔したくないから」と、女らしさとか周りの目とか気にせずに、自分を楽しんで生きている今の奥さんと出逢うことができました。

玲子をはじめ、自分の恋愛感情に素直になった女性たちに免疫がついてなかったら、とても一緒になるのはムリだっただろうなと笑。全5巻。

素朴な、それでいてホッとするギャグマンガ『ボンボン坂高校演劇部』

最後の一冊は、メジャーどころで『頭文字D』かとも思ったのですが、これは残念ながら次点かなと。

あくまで、私自身、それがなかったら違ったかもしれないという視点に立てば、自身の意思で買い集めはじめた、高橋ゆたかの『ボンボン坂高校演劇部』が、最後の、「私を構成する5つのマンガ」かなと。

これは週刊少年ジャンプ黄金期に、常に後ろの方に掲載されていた1話読み切り型のギャグマンガで、巻数は12巻。

内容は、演劇部のマドンナ(今は使わない表現)である日比野真琴に、主人公の順菜正太郎が恋して演劇部に入ったはいいものの、変態的な性格のオカマの部長*に気に入られてしまって、受難の生活を送るドタバタ学園ギャグ。
*オカマだから変態なのじゃなく、性格も体格もとにかく変態。

主人公・正太郎は、純情を絵に描いたような青年で、想いやりもあり、だからこそ部長につきまとわれ、意中の真琴から「異性同士の愛を応援する」と言われてしまう悲惨な学生生活を送りながらも、時折真琴とのラブコメチックな展開もあり、読んでてホッとしたり、クスッとしたり、大爆笑することは正直ありませんが、毒っ気がなく、とても読みやすい。

絵柄も、ギャグマンガにしない方がよかったのでは?というくらいの美麗さで、キャラクターも個性的で、しっかりとした「世界観」があるので、「楽しそうな学園生活」を追体験したくなるような内容。

とはいえ正直、『頭文字D』の方が圧倒的に面白いですし、このマンガを万人に勧められるかといったらおそらく勧められないと思うのですが、それでもこのマンガには、作者から読者に対しての想いやりが非常に感じられんです。

たとえば、マンガって、単行本をまたぐエピソードって結構ありますよね?

とくにジャンプのような週刊マンガは、翌週への「ヒキ」を作っておくのがセオリーと言ってもいいと思うんですけど、このマンガにはそれがありません。

基本1話完結型のギャグマンガとはいえ、時には合宿に行ったからと2・3話にまたがるエピソードだってあるのですが、それぞれのお話はそれぞれでの場面で完結しているし、単行本をまたぐことなく必ずその巻で完結します。

また、第100話「星になった約束」も、100話ということで、ギャグ要素ゼロだけど、しんみりしちゃうような良い話になっていたりもしますし、最終刊の巻末作者コメントで一言だけ、「たまには読みかえして笑ってやって下さい。」と、作者の強い我とかクセとか、そういったものを感じないので、とても読後感がよく、とびっきりの薬にはならないものの、一服の清涼剤としてはとても優れた作品で、どんな感情の時でも読めて、そして気持ちが落ち着いてくる。そんな不思議な作品です。

だから、これより「面白い」本は数あれど、結局売ってしまったりしましたが、この本は未だに私の手元に残っています。

また、単行本のみ、本編と関係のないおまけマンガ、『わん!わん!クンクン』という、人語をしゃべる犬が主人公の4コママンガが収録されていますが(2巻から)、これがウィットが効いていてとてもお気に入りです。
(出典:高橋ゆたか『ボンボン坂高校演劇部』集英社 第5巻)

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「言っちゃいけないけど、言っちゃいたい」ことをサラッと言える犬のクンクンだからこそ、人間の本音と建て前が面白く感じます。

作者によると、自身の性格はこのクンクンにそっくりだそうですが、正直者だからこそ、毒っ気のある作品は描けないかもしれないけど、読み手を優しい気持ちにさせてくれる作品を描けるんだろうな・・・ということを勉強させてもらった作品です。全12巻(文庫版は8巻)。


以上が、#私を構成する5つのマンガ でした。

何かの参考になれば幸いです。

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