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現代イタリア法哲学と恐怖新聞

1. イタリア法哲学の存在感

Torben Spaak & Patricia Mindus, eds., 𝙏𝙝𝙚 𝘾𝙖𝙢𝙗𝙧𝙞𝙙𝙜𝙚 𝘾𝙤𝙢𝙥𝙖𝙣𝙞𝙤𝙣 𝙩𝙤 𝙇𝙚𝙜𝙖𝙡 𝙋𝙤𝙨𝙞𝙩𝙞𝙫𝙞𝙨𝙢, CUP, 2021 という、法実証主義の辞書みたいな論文集はいろんな国の法実証主義の議論状況をまとめていて有益なんですが、そのなかにイタリアのもある。現代イタリア法哲学というのは法実証主義/リーガルリアリズム系統の議論ではジェノヴァ学派とかボローニャ学派とかずっと存在感があって、最近だと「法の人工物理論」は Corrado Robersi などが先導していてとても熱い。

この論文集には Riccardo Guastini, "The Italian Tradition of Legal Positivism" という記事が載っていて、戦後イタリアの重要な法哲学者たちをざっと紹介している。ラテン系だから?かどうか、アルゼンチン法学とのつながりが深かったりする(特に Giovanni Tarello 門下生たちを中心とするジェノヴァ学派)のも面白い。現代に至るまで多士済々なんですが、その元祖のように位置づけられているのが Norberto Bobbio (1909-2004) で、法哲学者としてはケルゼンの議論を受け継ぐ人みたい。グラムシの政治思想などを論じた本で何冊か日本語訳もある。

2. ボッビオ「法と力」(1965年)

実はそれとはまったく関係なく……別の論文*1 を読んでいたところ、たまたまその Bobbio の "Law and Force," 𝙏𝙝𝙚 𝙈𝙤𝙣𝙞𝙨𝙩 49(3), 1965 が古典的なものとして引かれていたので、どれ、と思って読んでみた。内容としては、ケルゼンが法を強制規範の体系としたことについて、それは公職者による強制を規律する二次的ルールの法内容である、と論じるものです。一次ルール/二次ルールの区別を明確に行ったハート『法の概念』初版が1962年ですが、すぐそれを用いているわけですね。

強制を二次ルールの問題とする発想、今風にいえば(?)「二次ルール的転回」は、古くはイェーリングから始まったとされている。これは本当かな。いずれにせよそれはケルゼン、オリヴィエクローナ、ロスといったリアリズムの流れで受け継がれ、最終的にハートが明確に定式化したことになる。法にとって強制が必然的であるという「法の強制説」はいろいろ難点を抱えている(たとえば私たちが日常生活で法に従うとき、そうそう強制されて法に従っているわけではないことをどう考えるか?)。しかしボッビオによると、それは具体的な直接の命令(一次ルール)のレベルで考えてるからおかしくなってしまうのだ。強制はあくまで一次ルールの手続きにかかわる「二次ルール」の内容(公職者の強制力発動の正当化ルール)と考えれば矛盾は生じない、と述べる。ケルゼンのいう法=強制規範説は(本人がどれだけ明確に述べていたかは別として)二次ルールの話であると。

もちろん、法を公職者による強制力発動を正当化する二次ルールと考える場合、一般人が現実に従っている一次ルールが本質的でなくなってしまうという反直観的かつ無駄にわかりにくい話になる。たとえば刑法の書き方が裁判官に向けられている(「○○した者は、△△の刑に処す」)からといって、一般人に何も言ってないというようでは――こういう見方はクール?なためか人気があるのだが――、まあ普通はおかしい。しかし、これは法体系全体を力の支配のルールと捉えることで回避されるそうだ。……とはいっても、それがどういうことなのか、このあたりの記述は簡潔すぎてちょっとわかりにくいので留保しておく。

いずれにせよ、ボッビオは単なるケルゼンの祖述ではなく、北欧リアリズムやハート『法の概念』といった当時の最先端の理論水準でかなり独自なことをやっているのがわかるし、僭越ながらとてもえらいと思った。英語で書いて国際誌に発表すれば広く読まれますね。現代イタリアの法哲学者たちもだいたい英語で書いてくれるのでありがたいし、それが世界レベルでの存在感につながっている。元祖みたいな人が早くから英語で書く志向を持っていたのは後の世代にたいへんすばらしい影響を与えたといえそうだ

話を戻すと、ボッビオは法の強制説にとって代わろうとする従来の理論が、北欧リアリズムの一部のように心理的事実に還元するなどして、結局のところ強制を密輸入しているという。それを指して「強制はドアから追い出しても窓からまた入ってくる」とかっこよく述べている。現代の強制説の論者フレデリック・シャウアーは「法の強制の武器庫にあるのは制裁だけではない」とこれまたかっこよくいうのだが*2、この言葉はそういう恐怖新聞みたいな力のことだろう。はい、恐怖新聞といいたかっただけでこんな長く書いたのだ!

(注)
*1
Ludvig Beckman (2021) "Three Conceptions of Law in Democratic Theory," in  𝙎𝙩𝙪𝙙𝙞𝙚𝙨 𝙤𝙣 𝙩𝙝𝙚 𝙗𝙤𝙪𝙣𝙙𝙖𝙧𝙮 𝙥𝙧𝙤𝙗𝙡𝙚𝙢 𝙞𝙣 𝙙𝙚𝙢𝙤𝙘𝙧𝙖𝙩𝙞𝙘 𝙩𝙝𝙚𝙤𝙧𝙮, ed., Paul Bowman, Institute for Futures Studies, 2022.
*2 Frederick Schauer, 𝙁𝙤𝙧𝙘𝙚 𝙤𝙛 𝙇𝙖𝙬, HUP, 2015、当該表現は三浦基生「強制性と法の概念:フレデリック・シャウアーの The Force of Law」『一橋法学』19巻1号(2020年)を参考にした。
*3 ヘッダー画像はこちらの素材サイトから。


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