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札幌高裁・同性婚判決(2024.3.14)

札幌高裁判決(札幌高判令和6年3月14日)についてのメモ。

判決文はこちらから:[PDF] https://www.call4.jp/file/pdf/202403/04097ed5db19a01e5f19d1c99857d8be.pdf

① 判決の特徴

 本判決によると、憲法24条1項は「人と人との間の婚姻の自由を定めたものであって、同性間の婚姻についても、同程度に保障する趣旨(19頁、強調付加、以下同様)」であり、2項とともに立法裁量に対する統制規範であると解され、現行法はそれに違反するという。
 3年前の札幌地裁判決は24条について2項の内在規範性のみで立法裁量を統制するものとしたが、今回の高裁判決は1項を上乗せし、24条を全体として個人主義的な統制規範としたことが特徴といえる。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。(②③略)
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

② 13条と24条の循環

 婚姻の自由が13条の人格権を構成するかどうかについては、婚姻による効果が24条および関連法規による後 ‐ 制度的なものであることを鑑み、その可能性を認めつつも断定を避けている。
 「憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべき(16頁)」であることが24条の統制内容のひとつである以上、憲法上の権利該当性を判断する必要はない。ただ「人格権の一内容を構成する可能性があり(17頁)」といった記述や、24条は「個人の尊重がより明確に認識されるようになった背景のもとで解釈することが相当(17頁)」という記述からすると、慎重な書き方ながらも、13条が24条の解釈指針として上乗せされている。しかし本判決が24条1項と2項単独で個人主義的な規範性を認めていることからすれば、13条への言及は間接的であれ重畳となっている(加えて14条1項違反をいうには13条の権利該当性を認めたほうが素直なので、それが憲法解釈としての不備かどうかは別問題)。
 「個人の尊厳が家族を単位とする制度的な保障によって社会生活上実現可能(19頁)」といった記述を見るに、本判決は13条と24条を循環的に解釈している(24条の解釈に13条の個人主義を反映させ、13条の人格権の条件に家族形成をあげているということ)。さらに、その根拠の少なくとも一部を国民意識の変化といった外的事情にも基づかせている。
 仮に「個人の尊厳」にとって「家族を単位とする制度的な保障」が必要条件とされるのではなく、あくまで重要な条件の一つが同性愛者に保障されていないことを問題とするものであるとしても、個人主義規範と家族規範の緊張関係には言及されていない。両者はそう簡単に調和するものでなく、24条自体、一定の内的緊張を抱えた条文であることは明らかだが、本判決は重要な点を落としているようにも見える。
 [1] こうした循環が憲法解釈論として健全かどうか、また、ひるがえって内容的に [2] 13条の個人主義を弱めることになっていないか、という点は懸念される。

③ 関係性志向?

 婚姻制度の具体的なあり方が多様であること(したがって制度設計にあたって一定の立法裁量があること)が何度も述べられ、そうすると婚姻の制度目的もまた多様であることが推察される。にもかかわらず、次世代の育成といった再生産機能については、異性間・同性間の平等の要請が凌駕することがあっさりと述べられる(21頁)。
 これは地裁判決が「婚姻とは男女が子を産み育てる共同生活関係を保護するものとして創設されたもの(地裁判決42頁)」という国の主張を一顧だにしなかったことを踏襲しているが、本判決は、結論は同じであるものの、24条が強く個人主義的に解釈されたことの帰結となっている。
 本判決では「ほとんどの人の場合(12頁)」という留保をつけつつも「性的指向は意思で選ぶものでも、意思により変えられるものでもない(12頁)」ために合理的区別が許されないとし、個人主義的解釈のための強い根拠としている。しかし、これはそうでない性的指向をもった人々への保護を弱める論理と隣り合わせである――自分の意思で選べる事柄かどうか、ということを論点にすると他の人権にも波及するため、それを意識して、本判決では24条の固有の規範性を強調しているのだろう。
 また、家族形成による尊厳(25頁)や、「人としての営みに支障(26頁)」といった表現からも、性的指向および個人の尊厳を(親密な)関係性志向へと結びつけており、多様性を強調しているように見せて一定の本質主義的な見方がある。これは②の13条と24条の循環的解釈でもあるし、アメリカの Obergefell 判決のような、保守派との妥協戦略でもあるかもしれない。しかし、少なくとも14条1項違反をいうためには不要な主張である。そうすると、日本国憲法内在的に、24条を同性婚制度「要請」として強く解釈するために必要かどうかという問題が残る(禁止説・許容説・要請説という分類での)。本判決はおそらく、要請説に必要と考えてこうした厚い価値を述べているのだろう。

④ 「婚姻効果」ではなく「婚姻」

 パートナーシップ認定制度等、婚姻の代替的な措置が不利益を解消しうるかというと、現状では「自治体による制度という制約(21頁)」ゆえに不可能とされる。そうすると国家法レベルでの代替的な措置によって婚姻効果の平等が達成されうるだろうか。
 これについては「婚姻による効果は、民法のほか、各種の法令で様々なものが定められており、代替的な措置によって、同性愛者が婚姻することができない場合の不利益を解消することができるとは認め難い(26頁)」とされている。そうして婚姻の不平等は非合理な差別的取扱いとして14条1項違反と結論づけられている(26-7頁)。効果が「様々」であることが、なぜ代替的な措置では不足することの理由になるのかはっきりしないが、様々な制度をつなぎ合わせて使うのは当事者にとって不便ではあるから、効果を一括してもたらす婚姻が効率的な制度であることは確かである。
 根拠はともかく、「婚姻効果」ではなく「婚姻」の平等を14条1項の問題としたことは従来のいくつかの地裁判決と一線を画すところであり、パートナーシップ制度による代替を退けたことは、少なくとも「婚姻平等」の観点からは大きな一歩であるだろう(以下の朝日新聞の記事、棚村教授の見解も参照)。ただ、だとすれば19頁で「同程度に保障」というように他の制度での代替可能性を排除しない表現を使っているのはなぜなのか、疑問なしとしない(「平等に」のような表現でよいはずだ)。

⑤ 14条を過度に広げない

 14条1項違反と結論づけられているものの、本判決は、(1) 14条1項の射程を他の制度的保障一般に過度に広げないために、また (2) 婚姻平等が憲法上の権利なのか制度的に構築された特権なのかといった論点を避けるために、24条に固有の規範性をより内容豊かに論じている。その結果として24条に固有の②③の問題が生じてしまっているが、それは札幌地裁判決が (1) (2) の点で不明確であったこと(たとえば、国民が平等に天皇になれないことは非合理な差別的取扱いなのだろうか?)を踏まえたものと評価できる。

⑥ まとめ 

 全体的に、本判決はこれまでのいくつかの地裁判決にあった不備を修正し、法律論としてより緻密かつ明晰になったものといえる。そして、それにともなって、拠って立つ価値や解釈方法もまた明確になった。上で考察したように、それにはかなり問題含みのものもある。しかし、議論のステージがひとつ上がったといえるだろう。

参考

3年前の地裁判決についての考察。


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