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Spring Songの雑感

公開からかれこれ4回観た。スッキリした話としてはUBWが、鬱エンドとしてはZeroが自分の中でトップにあり、Heaven’s Feelの劇場三部作はどちらにおいてもトップではない。

にも関わらず4回劇場に足を運んでいる。これが映画の持つ魔力なのか、というほど繰り返し観たくなる作品だった。

UBWは劇中歌が流れるあの場面で泣いた。今作、Spring Songでは120分の中で何回泣かされたか。

世界観にハマった最初のアニメは新世紀エヴァンゲリオンだったが、登場人物に自己を投影することはなかった(漫画版のゲンドウには多少共感できるセリフがあったが)。逆にFateは己と重ね合わせて見てしまうところが多い。

自己分析も兼ねてSpring Songの何が良かったのか考えてみる。

以下はネタバレが含まれますのでご注意ください。


士郎vsバーサーカー

最初にここで泣かされた。士郎の身を案じるイリヤ。腕を使ったら死ぬ、それに対して生きるために使うのだと言う士郎。

「士郎は何も悪いことをしていないのに」

アーチャーの腕を使おうとする士郎を涙ながらに説得するイリヤ。俺も泣く。UBWでは夜のマスターの顔と、昼の妹の顔の二面性が印象深く、士郎を心配する姿は想像できなかった。
聖杯戦争から降りることを勧めている場面はあるが、ここまでイリヤの純粋さが現れているセリフはなかったと記憶している。それは止めても下りることはないと悟ってのことなのかもしれないが。

そしてアーチャーの腕を解放する士郎。心象風景でアーチャーが問いかける。

「ついてこれるか」

それに対して「てめえの方こそついてきやがれ」と言い、アーチャーを追い越す士郎。その時のアーチャーの「それでいい」とでも言いたげな、安心したような表情はUBWを見ているからこそ泣ける。

天の杯起動

言峰綺礼との一騎討ちに辛勝し、止まらない大聖杯を前に最後の投影を行おうとする士郎。夢で見た死に様を思い出し逡巡する。本当に投影を使って良いのか。
そこに現れたイリヤが「門を閉じるのは私の役目」だと言い、アンリマユに向かっていく。士郎は止めるが、イリヤの「どんな形になっても生きていたいか」との問いかけに泣きながら肯定する。

まずもうここが尊い。衛宮士郎は正義の味方を志していた。己を犠牲にしても他者を助けるという在り方はアーチャーに否定され、それでも正義の味方を張り続けるとUBWで貫くことを決めた。
UBWの士郎であれば間違いなく投影をしていたはずだ。他者を助けることができるのであれば身の危険を顧みない。その在り方を桜が変え、薄れゆく記憶の中でも桜の味方になるという決断だけは忘れなかったのだろうと思う。

愛をテーマにした作品はアニメに限らず多いが、愛という言葉を使わずにこれほど愛の重みを描いたものはこれまでに出会わなかった。

士郎の答えを聞き、歩を進めるイリヤ。生きていたいけどイリヤを犠牲にしたくない士郎は何度も呼びかけるが、肝心の名前が思い出せない。イリヤは士郎に言われたセリフを持ち出し、自分は姉だから士郎を助けると告げる。その言葉を聞いてイリヤの名前を叫び続ける士郎。
バーサーカー戦と立ち位置が逆転しているのも感慨深い。

言峰綺礼と衛宮士郎**

Fateシリーズで最初に視聴したのはFate/Zeroで、当然自分の言峰像もZeroがベースになっていた。自分の在り方に苦悩し、英雄王の手ほどきによって自身の外道を自覚し認めていく。そういった変化が描かれていた。

今作はその10年後なので、自己を確立して随分経ったのだと思われる。外道に生まれながら良識を持っていた、という発言や羨望の吐露は、自身の歪みを受け入れなければできない。

士郎は言峰との共通項を戦いの中で見出す。どちらも己を罪人だと思い、一つの生き方に固執する。在り方は正反対でありながら、同族であると。ライダーの名前は忘れても言峰はすぐに名前が出てくるのは、互いが互いを認められないと意識しているが故なのだろう。

俺自身も生きる理由を探していた。そして意味のある死に方をするため、という答えに行きついている。士郎に近い考え方だが、今作の士郎は女ひとりのために全てを投げ打つと覚悟を決めている。
共感できたのは言峰の「お前たちを羨んでいる」という言葉の方だった。幸にして俺は良識を持つ外道ではないが、士郎のような常識的な愛も、桜のような病的な愛も持たない。

だからこそ言峰のセリフに共感するし、士郎にはあまり共感できない。もっとも言峰のように足掻く前にさっさと諦めてしまっているので、俺はどちらにも届かない半端者だが。

ライダーvsセイバー

素顔の尊さよ。ラストでもライダーは素顔を見せるが、魔眼封じのために眼鏡をしてしまっている。仕方ない、仕方ないのはわかるんだが眼鏡はない方がいい。

キレイ系のはずなのだが、宝具を展開する時のカットはアングルのせいかFGOのアナを彷彿とさせる。セイバーを煽るときの表情といい、綺麗でかつ可愛いご尊顔を見られるこのバトルは曲の盛り上がりもあって何回見ても飽きない。

この戦闘はライダーの美貌も含めて、言語化できないところが多い。これだけのためにもう1回観に行ってもいいくらいだ。
とりあえずFGOでライダーに聖杯を捧げることにした。


イリヤの犠牲を受け入れられないが故にシリーズの中で1番にはできないが、120分であれだけの情報が入ったくるとは思わなかった。
確実に言えるのは、一度でも観ておかないと後悔するということだけだ。

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