粘り強く続ける
粘り強く続ける
№153 2022.05.16
「茗荷(みょうが)を食べ過ぎると物忘れがひどくなる」
「茗荷」という名の由来は、お釈迦様のお弟子であるシュリハンドク(周梨槃特)のお墓に生えてきたからとも・・・
「周陀」の名で『法華経』にも登場するシュリハンドクは、自分の名前さえも覚えられず、名前を書いた看板を背負っていたほど愚かでした。(「茗荷」=「名(茗)を荷(にな)う」)
そんなハンドクにお釈迦様は、1本のホウキと「チリを払わん、アカを除かん」の言葉を授けます。ハンドクは「チリを払わん」を覚えると「アカを除かん」を忘れ、「アカを除かん」を覚えると「チリを払わん」を忘れ・・・それでも雨の日も風の強い日も毎日毎日休むことなく20年もの間、一生懸命に掃除を続けました。
その間、1度だけお釈迦様から「お前は何年掃除しても上達しないが、上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることはもっと大事だ。」とひたむきな精進を誉められました。
いつしかハンドクはその実践を極めることにより、『心の塵を払い磨いていくことで、心にたまった欲という垢をとり除くのだ』との境地から阿羅漢に達し、高弟の1人となったのです。
「雨垂れ石を穿つ
(あまだれいしをうがつ)」
中国の『漢書』「枚乗伝」の一節です。
軒先からぽたぽた落ちる雨のしずくでも、長い間ずっと同じところに落ち続けると、硬い石にさえも穴をあけてしまうということです。つまり、どんなに小さな力でも、根気よく続けていればいつか大きな成果が得られるということを表しています。「石を穿つ」という結果は、はじめから期待できるものではありません。あきらめずに努力を続けることで、結果は後からついてくるものです。
努力した者が必ず成功するとは限りません。しかし、成功した者は必ず努力しています。やはり、大切なのは、小さなことからコツコツと取り組む姿勢を持つということだと思うのです。
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