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約束破りの5ステージ

絶対にできっこない約束は最初からしない。どうせ破るのが目に見えている約束をその場の勢いでしてしまっても、誰の得にもならないだろうから。だから僕がする約束は、守れそうな約束ということになる。


少し前に、僕はドクターと約束をした。
いや、正確にいうと、自分自身と約束をした。

缶ビールは一日3本まで。
これが、僕が自分で設定して自分で勝手に誓った約束だった。

当初の僕は缶ビール(より正確にいえば発泡酒だが……)を毎日5,6本は飲んでいた。350ml缶×6なので、毎日2リットル以上も飲んでいた計算になる。数字にするとすごい量だ。
やはり実感としても薬の効きが悪かったので、言いたくはなかったけれども、その事実をドクターに話した。するとドクターは、当然ながらアルコールを減らすよう僕に告げた。

「せめて一日2本。理想は1本」

さすがにいきなり6本→2本にはできっこないと直感した僕は、「とりあえず、がんばって減らします」とだけドクターに答えた。
そして家に帰ってから色々と考えて、「よっしゃ、まずは一日3本までを厳守!!!」「で、慣れてきたら2本に減らす!」ということを自分に誓ったのだった。
自分にとってはぎりぎり守れそうな、守らなければならない約束だった。


では、その約束の日から2か月ほど経った今の僕はどうなっているだろう。自分と結んだ約束を厳守できているのだろうか。

答えはこうだ。
たまに4本目を開けてしまっている。むしろタガが外れたら5本目6本目に突入することもある、だ。

要は約束を破ってしまっている。
できると思って結んだ約束だったのに、みっともないことに今となっては約束を破る結果となってしまっている。

なんでこんなことになってしまったのだろう。
自分の心の動きを俯瞰して振り返ると、約束破りに至るまで、そこには5つのステージがあるように思う。


①前向き
約束してからしばらくは超がつくほど前向きである。この約束を守ればきっと健康になる、きっと今よりもっと楽しい生活が送れる。そんなことを期待しながら、絶対に約束を守ろうと決意する。

②自問自答
しかし時間が経つにつれ、「あれ?なんでこんな約束したんだっけ?」となってくる。当初は間違いなく危機感があり、納得があった。自分のメリットを感じていた。だから結んだ約束だった。でも時間が経つにつれて、その約束は果たして正しかったのかと自問自答するようになる。

③なりゆきまかせ
やがて、いちいち考えるのも面倒になり、「なりゆきにまかせればいっか」と思考を放棄する時期が来る。約束は当然大事だけれど、天気や気分なんかで気持ちが乗らない日には、たとえ約束を破ってもきっとバチは当たらないだろう……。あるいはどれだけ考えたところで、今日自分が突然死するかもしれない。となると、自然のなりゆきにまかせるのが一番良い気がしてくるのだ。

④自分よがりの調整
まだ理性は働いている……。だからこそ、なりゆきまかせで飲んでしまった翌日に思うのは、「昨日は4本飲んでしまったから、今日は2本にしておくか」という類の調整である。自分で勝手に決めた根拠のない調整にどれだけの効果があるのかはわからないけれど、直前の例でいえば、4+2本で結局二日で6本なわけだから、割り算すれば一日3本という計算になるわけで、大局的に見れば別に約束を守れてるじゃん?という自分勝手な調整が始まったりするのだ。

⑤正当化
そして最後に訪れるのは、自分の考えや行動に対する正当化である。そもそもの約束を破ったのが自分自身であるにもかかわらず、そんな自分を正当化することに躍起になってしまう。仮になりゆきにまかせて飲んでしまい、連日6本、6本、6本……と大局的な調整すら効かなくなったとしても、「今はストレスがたまってるからしょうがない」「リアルタイムでフジロックが配信されているのに飲まないほうがおかしい」ということで、約束を破った自分を正当化してしまうのである。


以上5つのステージを順当に歩んだ結果、僕は自分との約束を破ることとなった。こんな記事を書いているのだから、当然今も約束を破っている最中である。

また今回例として挙げたのは、自分自身との約束、飲酒量の問題だけれども、この約束破りの5つのステージは意外とほかのあらゆる約束事に通じている気もしている。


ちなみに僕がこの記事を書きながら意識したのは、エリザベス・キューブラー=ロスの名著『死ぬ瞬間』にある死を宣告された人が辿る5つの精神的ステージ。

①否認
②怒り
③取引
④抑鬱
⑤受容

この5ステージは、何も死に直面している人だけではなく、失業や失恋をした人にも当てはまるよう。

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