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空白の一年のこと

僕がミカエルからインストラクターに認定されたのが2008年。

今の活動母体となるシステマ東京を始めたのが2009年。

ここに1年のタイムラグがある。

インストラクター活動をしていなかった訳ではなくて、中島さんの動作術の会にお呼ばれしたり、朝日カルチャーセンターの講師をやったりなどしていた。外部団体主催の講座が主で、自分で練習会を主催することはなかった。

私が認定されたのは、棚からぼた餅のようなものだった。だから色々と準備が必要な気がしたのだ。

まずクラスをやるからには、ちゃんと本場のクラスを踏まえなくてはいけない。それまでモスクワやトロントでキャンプやクラスに参加したことはあったけど、唯一モスクワ本部のレギュラークラスだけは未体験だった。

創始者のお膝元で行われているクラスはどんな雰囲気なのだろうか。それを味わないことには、本場直系のクラスだなんて言えない。だから、モスクワに滞在して本部のクラスに参加した。

あとは当時、東日本で唯一のシステマグループだったシステマジャパンからメンバーを奪うことなく、新規開拓しないといけない。システマジャパンは古巣だし、恩義がある。ここがなければシステマを始めることもなかった。意見の相違で離れることにはなったものの、システマ東京の活動がシステマジャパンを妨げるのではなく、相互補完できるようなものでなくてはいけないと考えた。だからシステマジャパンが開拓できなかった層で、ある程度システマを周知する必要がある。システマジャパンの練習仲間に個人的に連絡して「新しくグループ立ち上げるから来てよ」なんて誘うのはもってのほかだ。お世話になったグループから引き抜くことになるばかりか、新しく開拓するべき層に対してグループを閉じてしまって「システマを広げる」というミッションの逆をやってしまうことになる。

システマブログや月刊秘伝を通じてシステマについて広く知ってもらって知名度を少しずつあげて、そろそろいけるかなというタイミングでシステマ東京を始めた。それに一年かかったという感じだ。

システマジャパンとは異なる場所、異なる曜日、異なる時間帯。結局、会場が見つかったのは神楽坂だったので高田馬場からそれほど離れてはいなかったのは、不本意だったけど、そこそこ新しい層を開拓できたんじゃないかと思う。今でもシステマ東京の活動時間が夜20時からと、少し遅めに設定されているのは当時の名残だと言える。

こうした努力が功を奏したのか、いまシステマ東京とシステマジャパンはとても良好な関係にあると思う。システマジャパン主催のセミナーにシステマ東京でシステマを始める人が多く参加しているし、システマ東京主催セミナーにもシステマジャパンのメンバーが来てくれる。同じ流派内で対立し、相互のイベントに一切の人の行き来がないという状況は珍しくない。そうならずにお互いに行き来できる環境が周知されているのは、とても嬉しいことだ。ただこういう関係は当たり前に成立している訳ではない。もちろんここには、我々全員の先生であるミカエルの作り上げた、システマコミュニティの包容力によるところも大きいだろう。それと同時に、代表同士による水面下での気配りも無関係ではないと思う。もしどちらかが他方をぞんざいに扱うようなことがあれば、成立しなかっただろう。

だから新しいグループを立ち上げようという人たちにも、そうした配慮をもってもらえればと思う。どれだけ仲が良い人であっても、既存のグループに所属している人を勧誘しない。既存のグループの邪魔をしない。できることなら助け合う。私は外部のセミナーに参加しても、「システマ東京に来なよ」と誘うことは一切しない。それは先方の主催者に対して非常に失礼だと思うし、何より自分がズルをしている気になるからだ。他のインストラクターが開拓した地でクラスをやることがあれば、そのインストラクターに挨拶のメールを送る。

全国どこでもシステマ計画を推進するには、そういう気配りが必要なんじゃないかと思う。同業者同士が内ゲバみたいに潰し合った挙句、ジャンル全体の衰退を招いた例ってたくさんありますからね。歴史の本を読んだって、内乱続きで国力を削りっぱなしの国は外国にあっけなく滅ぼされてしまうでしょう。

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