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謝礼の行方

ヴラディミアがトロント本部を設立した頃、無料セミナーをやったそうだ。

驚くほど多くの人が集まったけれども、結果的には悔いの残る内容だった。

そのことがあってか、ヴラディミアからもヴァレリー夫人からもしばしば「無料でシステマを教えないように」と言われる。

まあそういう規約で縛られているわけではないので、ただでやるのは勝手なのだけど、ヴラディミアやミカエルらの意向からはそれることになる。

無料で教えないほうがいい、というのは本当にそうで、無料体験を受け付けてしまうと、冷やかし参加が増える。まあ参加してくれるのは悪いことではないのだけど、きちんとお金を払って真面目にやっている人とはやはりモチベーションが違う。それでお金を払った人の妨げになる。

だからシステマ東京では体験参加の方からも、参加費をいただくことにしている。それはクラスを担当するインストラクターであっても例外ではない。多少のディスカウントやその他のケアはあるものの、クラスやセミナーに特別に無料で参加させてあげるようなことは一切ない。鋼の錬金術師じゃないけど、等価交換の法則というのはやはりある。何かを得ようとするなら、何かを手放さないといけない。だから無料とは相手が何かを手放す機会を奪うということになる。それは相手が何かを得ることを妨げることになってしまうのだ。

そうしたことから、クラスの謝礼はきっちり受け取ることにしている。

これはなかなか覚悟のいることで、覚悟が決まるまではなかなか時間がかかった。確かに無償で教えるのは美徳に思えるかも知れないけど、経験からしてもお互いのためにならないということだ。そこにはロジックがある。

お金をもらわないという宣言は、裏を返せば「私の提供するものには、お金を払うような価値はありませんよ」と宣言していることになる。

無価値なもののために、相手の時間を奪う。だったらより有意義なことに時間を使ってもらったほうが良い。その意味で相手にとってマイナスとなる。

それにミカエルが創始し、ヴラディミアが広めたシステマを「無価値だ」と言い切ることになる。これは自分の恩師への侮辱以外の何物でもない。

そのロジックに気づいてから、私は覚悟を決めて謝礼を受け取ることにした。謝礼をもらう、ちゃんと受け取るシステムを作る。そしてもらった以上の体験と知恵を伝える。そうやって価格以上の価値を提供しようと心に決めた。

かつてミカエルと、日本武道の現状について話したことがあった。

日本では武道家たるもの清貧を尊ぶべきで謝礼を受け取るなんてもってのほかなんて文化がある。なんてことを言ったら、ミカエルはこう答えた。

「では日本の武道家はどうやって食ってるんだ?」

僕は言葉に詰まって「野草を食べて、水を飲んで暮らすような武道家が尊敬される」とこたえた。

それを聞いたミカエルは大爆笑。

「価値のあることを教えるなら、ちゃんとお金をもらわないといけない」

僕が幼少期を過ごした街には、何かの武道の町道場があった。おそらく剣道とか柔道とかを教えていたのだろう。買い物で通うスーパーの裏にあったのだけどとても立派な建物で、子供心になんだかそこには計り知れない別世界があるような気がしていた。一度も中に足を踏み入れたことはないけれども、あの建物が放っていた独特の雰囲気は、僕が武道に興味をもつ一因だったように思う。でも成人してからは潰れて、跡地は拡張したスーパーに飲み込まれてしまっていた。「七帝柔道記」などで有名な増田俊也さんらが指摘するように、「武道家たるもの清貧たるべし」という世間的なイメージのせいで道場維持費を確保できず、道場を畳まざるを得なかったのだろう。

失われたのは道場だけではない。そこに刻まれた教えや知恵もまた、永遠に失われてしまうのだ。

お金より大事なものがある。

そういう耳障りの良い言葉がある。しかしお金がないがために失われてしまった知恵や技術がある。現在、古流武術の多くが後継者不足に悩んでいるという。それも経済的な事情が少なからず関わっていることだろう。

そうやって貴重な知恵が失われてしまう現状を改めたい。それにはマネタイズできる仕組みが必要だ。ミカエルやヴラッドは、そういうマネジメントについても事細かに教えてくれる。それをもとになんとか運営してきたシステマ東京のノウハウはとてもささやかなものだけど、いろいろな分野や人に役立ててもらえればと思う。失われるにはあまりにも惜しい伝統が、世の中にはたくさんあるのだから。

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