noteで学べるシステマ講座 第23回「サバイブが否定するもの」
サバイブが否定するもの
システマの根底にある「サバイブ」というコンセプト。
まず生き延びる。それを最上位に置くということ。
先日、こんなニュースが報じられました。
日本の実質GDPが-27.8%。
リーマンショックのときがマイナス18%くらいで東日本大震災では-5.5%。つまりあの地震の5倍、経済がダメージを受けたと言えます。それなりに情勢の影響を受ける立場にいる人なら「やばいな」という肌感覚を感じていることでしょう。明らかに消費税増税と自粛騒動のダブルパンチですね。自粛について思うところは多々ありますが、ここでは深く触れません。
ただ、システマの「サバイブ」の思想が、これまでになく重要な意味を帯びてきたのではないかと言えます。
日本において現役世代の死因No1は「自殺」です。
経済的、精神的に追い込まれて自ら死を選んでしまうのです。
かつては年間3万人を超えましたが、平成24年に3万人を割り込み、令和元年には統計開始後最低の20,169人となっています。(警察庁資料参照)
令和2年について言えば、7月時点の速報値で11,215人。その中には経済的な事情が背景にある方も少なくないでしょう。
老化で病気になって命を落とすのは、ある程度不可抗力です。人は誰しも死ぬからです。その意味で、病死と自殺は大きく意味が異なります。自殺は病死よりも防ぎようのある死なのです。
今年に入って自ら命を断った1万千人にもしシステマの「サバイブ」の思想が届いていたら。もしかしたら命を絶たずに済んだかも知れません。経済的な状況が即刻好転することはないと思いますが、「生きる」と決めることでなにか光明を見出すことができるでしょう。
生きる価値や意味なんてなくたって、とりあえず「生きる」ことを選ぶ。
それがサバイブの思想といえます。
「誰にだって生きる意味はある」
そういう言葉は耳障りが良いかも知れません。「そうか。自分にも意味があるのか」と思って、一時の励ましを得るかも知れません。でもその理論は、大きな危険をはらみます。なぜなら意味がなければ、価値がなければ、甲斐がなければ、生きていてはいけないのか? そういう問いに容易に反転できるからです。
自分には生きる価値がない、意味がない、甲斐もない。だったら生きていてはいけない。その合理的な帰結として、自死という結論が出てきます。また同じ問いが他者に向けられれば「生きる価値がない者は、死ぬべきだ」というロジックに容易にかつ整合性をもって発展します。「価値の高い者が優先的に生きるべき」という優生思想の論拠になりえるのです。
つまり「誰にでも生きる価値はある」「生きる意味がある」という耳障りのよい論理は、価値や意味を生の前提としています。だからその前提が失われた時点で、生そのものの意義が失われてしまうのです。極端な表現になりますが、生きる価値や意味を求める限り、「生きる価値や意味のないものは死ね」というロジックに帰結するのです。
そこに疑問を投げかけるのが、サバイブの思想です。
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