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戦う君に送るエール

戦っている君は孤独だろう。

仲間だと思っていた人たちも、君の戦いにエールを送ったりしない。

遠巻きに眺めて、関わろうとしない。

さらには影で「あいつは変わってしまった」なんてコソコソ陰口を言っていたりする。陰口って言ってる側は隠れているつもりでも、言われてる側は分かるものだ。

だったら面と向かって仕掛けて来いよ。

なんて思っても、絶対に出てこない。なぜなら何も考えていないから。君に反論できる材料をもっていないから。親しい人が実はそんなやつだったってわかって裏切られた気分になったりしてるだろう。

でも君はみんなのために戦っているんだろう。陰口を言う連中も含めてみんなの地位を向上させ、生活を、人生を豊かにしようと奮闘しているんだろう。

でもそんな君の思いは理解されないどころか、後ろから石を投げられることさえある。

わかるよ。

その気持ち分かるよ。しんどいよね。

なぜそんなことになったのか。

それは君が強くなってしまったからだ。

強くなれば戦う力が生まれる。悪に立ち向かう力が生まれる。姿勢は整い、視野が広がり、未来を見通す力が身につく。

すると長いものに巻かれろ式に、悪に迎合せざるをえない人たちを敵に回し、目先しか見えない人たちと意見をたがえることになる。

君が立ち向かう悪とは何か。

それは無知、無理解、無知性、無力だ。

奴らは目先の感情で騒ぎ、未来のことを考えようとしない。

論理より感情、数字よりポエムで動く。

それが君の敵だ。

この敵は強大だ。実に強大だ。なにせ数が多いから。

君は自ら選んで、感情より論理、ポエムより数字で動くという茨の道に入ってしまった。

それは仕方ないことだ。

君は茨の棘をへし折る強さをえてしまったからだ。

だからいま戦っている君は強い。そしてさらに強くなる。

孤独かも知れないけど、同じように戦っている仲間はいるから大丈夫。

君のいるフィールドで戦っているのは君ひとりかも知れないけど、他のフィールドにも同じように戦っている人はいる。

だから大丈夫。

もっと学び、もっと鍛えて、もっと強くなる。

それが一番の道だ。孤独に耐えられる人だけが強くなれる。

仲間意識はむしろ敵だ。大衆に迎合する第一歩が、「なまぬるい連帯感」なのだ。

残念なことに君は強くなる運命に生まれしまった。

こればかりは運命としか言いようがない。

それを「ついてない」と思うか「選ばれた」と思うかは、君次第なんだけど、僕はたぶん後者だと思う。

選ばれてしまった。何者かに白羽の矢をあてられてしまった。

だからもう仕方ない。諦めて、強くなるしかない。学び、鍛え、行動しましょう。

つまりは「やりましょう」。

私は常に、「やる側」の味方です。

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