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錯覚

今年もあの方からクリスマスカードが届いた。
たった2年ほどの交流だったのに、内地に引っ越してきてからも毎年年末年始にお便りをくれる。
その文言からは、常にではなくても気にかけてくれているのが分かり嬉しくなる。そして遠回しに心配してくれているあのことに関しては、相変わらずです、としか返せないのがなんだか申し訳ない。

カードを裏返して聖句を読み解くとき、いろいろなことに重ね合わせて考えてみる。
重ね合わせたり、裏返しにしたり、様々な角度から、片眼で見てみたり、思い切って切り離してみたり、今の自分なりの解釈が、幼い頃、園長先生に聞いて素直に飲み込めたこととどのくらい違いがあるのだろうか。
また、あの2年ほどの間に考え過ぎて諦めてしまったことも、今ならフラットに考えられるかもしれないと真理を求めたくなる錯覚に陥る。
カードも届いたし、こんな世の中だし、自分自身もこんなだし、たぶん錯覚だ。

とりあえず、イブ礼拝でリコーダーの演奏で楽しませてくれたことを思い出しながらあの方に返事を書こう。



こう燻っていると、仕事をしながら間違えるんじゃないか、さっきの間違ってるんじゃないかと急に不安になったりする。忙しくないのに落ち着かない。だめだだめだだめた。

神様たすけてやばめやばめやばめやばめ。

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