絢子ちゃん

ニット帽をかぶるたび思い出す人がいる。
絢子ちゃん。元気かなぁ。
二十代の頃、転職活動の合間にパン工場で夜間の短期アルバイトをしたことがある。
白衣、衛生キャップ、マスクと毎日服装チェックが厳しく髪の毛一本もはみだしてはいけない規則だった。(当たり前)
夜通し働いて、早朝の更衣室でキャップを脱ぐと前髪に変な癖がついていた。頬にはマスクのあともしっかりついていて、鏡の向こうのわたしはかわいそうなくらいおかしな姿だった。早朝だし誰もわたしのことなんて気にしてないだろうけど、そういうことがとても気になる年頃だった。
なんとかごまかしつつも着替えを済ませ、駅までの送迎バスの中でさりげなく且つ強めに髪の分け目を伸ばしたりしていると、学生アルバイトの絢子ちゃんが自分の被っていたニット帽をはい、と手渡してくれた。いつもおとなしくてかわいらしい絢子ちゃん。降りる駅が一緒でなんとなく仲良くしていたが、数日一緒に働いただけの10歳近く年上のわたしに、わざわざ帽子を脱いで貸してくれたことにとても驚いた。
絢子ちゃんは前髪大丈夫なの?と見ると、オシャレな斜め分けになっていて、私は大丈夫ですと涼しい顔で帽子をわたしの手にぐんと差し出す。
今でこそアレだが、昔からあまり人の身につけたものを借りるとかそういうことは避けてきたわたしが、その時ばかりは絢子ちゃんの優しさに触れてすんなり借りることにした。(ってゆうか、本当にめちゃめちゃありがたかったし助かった。)
思い返すと洗って返せば良かったのかもしれないけど、そんなことは絢子ちゃんは望んでいなかったはずだ。(いや、自信ない)
次のバイトからはわたしも帽子を持っていく事にした。ニット帽だとかわいい絢子ちゃんとお揃いになってしまうので、何故か小洒落たキャスケットを選んだわたし。

あの頃から帽子好きになったし、帽子から出る前髪にけっこうなこだわりを持って被っている。

絢子ちゃんももうけっこうな大人だよな。
今会っても気づかないだろうな。
自分が被っている帽子を脱いでまで貸してくれたのは、相当わたしがへんちくりんな姿だったからだよね?って笑って聞いてみたいな。
とにかくあの時はありがとう。
元気でいて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?