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消費されるインフルエンサー

声が大きい人の意見は通りやすい。
会社員でも飲み会でも。こんなもんは周知の事実だろう。

例えば、

「明日はディズニーランドに行こう!!」

「いや、映画がいいな」

「ディズニーランドの方が絶対にいい!!」

「え…でも歩くの疲れるし、やっぱり映画の方が…」

「ディズニーに敵うものはこの世にない!!!!」

「いやでも…スパイダーマ…」


「ディズニーディズニーディズニーディズニーディズニー!!!!」


さて、この話し合いはどちらに決まると思いますか?

大きな声で他の人の発言を妨げて、自分だけが発言してる状況にし、大きな声の人の考えをベースに話を進める形にする。周りの人は萎縮する。声が小さい、それだけで意見は通りづらくなる。声が大きいだけで自信がある意見に見える。自信がある意見は正しい意見にも聞こえる。だから結果的に、声が大きい人の意見は通りやすくなります。


いやだねこーゆー人。大体が体育会系。上記のやりとりだけ見ても声がデカイ方はデブで角刈りなのが眼に浮かぶ。多分タンクトップ着てる。嫌いです。声がデカイだけで嫌い。どれだけいいやつでも声がデカイと言うただそれだけで嫌い。デブも嫌い。


自分の正しさを理屈ではなく肉体で表現する。デスノートのLがどれだけ頭よかろうと模木さんに本気で殴られたら死ぬ。いくらLが殴っても、模木の筋肉でLの骨が折れて結局死ぬ。Lとキラが本気で頭脳戦を繰り広げていようと模木さんが金属バットで両方ぶっ叩いたら連載が終わる。つまりそーゆーことだよ。模木さんがディズニー連呼してるの想像したらウケる。

声が大きい人は言うなれば、暴力だよあんなもん。

…と、ここまではオフラインの話。

現在、この現象と全く同じことが、オンラインの世界でも起こっている


そう。それがインフルエンサーです。
インフルエンサーを今更解説するのもなんだから簡単に言うと、ヤクザで言うところの鉄砲玉のことです。攻撃も賞賛も一手に引き受ける的です。



インフルエンサーの価値と信用


インフルエンサーが注目された経緯としては、いわゆる広告(CM、電車の中吊り、ポスター等)の効果が弱まっていることが背景にある。当たり前だよね。発信元からの広告には世間一般はかなり疑惑の念を持っている。売り手はそりゃーいい事言うってみんな気づいてますからね。


そこで効果を発揮したのが、口コミです。例えば、あなたは飲食店を探すときに、食べログで星評価と、口コミを見ると思う。これを見る心理は、実際に行った第三者の目線を知りたいからだ。


そしてもっとも強力な口コミというのが、知ってる人の口コミというわけだ。


どこの誰かも知らないやつの評価より知ってる人からの評価の方がいいよね。そして、みんなが共通して知ってる人。こう言った経緯で注目されたのが、インフルエンサーというものです。


ちなみにですが、ここまで全て、なんの参考文献もない完全な憶測で話してます。これからもその形で進めさせて頂きます。よろしくどうぞ。


そういった経緯で、いろんな企業がインフルエンサーを利用して、マーケティングを行うようになったわけだ。


みんなが知ってる人、そして信用している人がオススメする商品ならそりゃー買うよね。だって信用してるんだし。さて、ここからが本題です。インフルエンサーは影響力という名の「信用」で生きているわけです。


信用とは何か?

信用とはつまり、その人の良いというものは、無条件で「良い」と思える事だ。
その信用の先は、その人の作るコンテンツであったり、TwitterやInstagramでのキャラクターだったり、知識だったり、センスだったり、そう言った部分から、この人の感性は正しいと思えるということ。


逆に言えば信用がなくなったら終わり。不祥事であったり、後述の理由だったりでその人が良いというものを、周りが良いと思わなくなったらインフルエンサーとして成り立たないわけです。なぜならどれだけフォロワーがいても影響力を持たなくなるから。


例えばキングオブコメディのあの人が、欲求を抑えるのに最適!という商品を紹介しても誰も買わないよね。信用がないから。お前欲求抑えれてないじゃんってゆう。逆に【正しい女子校の忍び込み方】なんて本を書いたら買うけど。忍び込むことに関しての信用は抜群だし。


信用は消費期限ありの消耗品


最近まではこれで結構成り立っていた。1万10万人のフォロワーを抱えるインスタグラマー、ツイッタラーが利用されて、広告塔として、料金をもらって「オススメ商品」を紹介していた。


ただね、徐々に徐々にそれが通用しなくなってきてるんです。
なぜか?


信用ってね、消耗品なんですよ。


そりゃあだって、インフルエンサーと言われて広告ばっかりしていたら、こいつ広告しかしねーなってなるのは当たり前だ。そうしてその人のコンテンツそのものに興味が減っていく。


つまり、信用は何かをオススメしたり、紹介したりするたびに消費されていくんですよ。だから自身のコンテンツとうまく折り合いをつけてというかコンテンツ9割、広告1割ぐらいじゃないと無理だし、むしろ今の時代、広告じゃないフリして広告とバレたらその瞬間に無理。


消費者もいい加減バカじゃないから、「こいつ金もらってオススメしてる!」と思った瞬間に一気にファンが離れる。その瞬間から、その人の信用はなくなる。


そうならないようにするには、大々的に「広告」と銘打ってしまうか、絶対にバレないように広告するしかない。


ただ、「広告」と銘打ってしまうと、その分広告効果は当然減る。それでも広告に価値を出せる人なんて10万単位のフォロワーがいる人ぐらいだろう。以前ヨッピーさんとかその界隈の人が、PR記事にPR表記を入れるかどうか的な論争があったけど、あれは要はPRと書くと広告効果が下がってしまうことを懸念してのことだ。


当然企業は広告効果が減ることを懸念して、PR表記をせずに、インフルエンサー自身が自発的にお勧めしてる形を求める。


するとどうなるか?
インフルエンサーはお金を求めて、広告表記せずに色々な商品をおすすめする。
そうなるとあら不思議。どんどんその人の信用は消費されていくわけだ。本人も気づかないうちにね。


なぜなら、
例えば、なんでも美味しいとしか言わない人がオススメする食べ物を、美味しいそうとは思えるだろうか。カニを食べても肉を食べても青汁を飲んでも手放しでなんでも褒めてる人の褒めるもんなんて、信用できないんですよ。だって、お前なんでも褒めるじゃんって。なんでも褒めるのは結局は何も言っていないのと一緒なんですよ。


数年前の話だが、グルメ番組で、誰だったかは完全に忘れたし、この記事とその芸能人の名前は全く関係ないので、思い出す努力をするつもりはないのだが、そもそもグルメ番組ではなく、ニュース番組のワンコーナーだったかも。詳細はまったく覚えていないのだが、確か生放送で、どこかの料理をその芸能人が食べるシーンがあった。


そして一口食べた後、「こんな不味いもん食えない」と言った。
流し見だったのだが、思わず俺も「えっ」と声が出た。


番組内も異様な空気になり、確か三流芸人あたりが、
「いやー!私は好きですけどねー!でも好みが別れる味かもしれませんね!」


みたいなことを言ってはぐらかしていた。数年前だったので詳細は全く覚えていないのだが、まぁそんなようなことを言っていた。俺はかなり驚いた。芸能人がグルメレポートではっきり「不味い」って言うことあるんだ。と。


すごく俺の中では衝撃的な出来事だった。
要は、これこそが信用を作る方法なんだなと思った。だって、不味いものを不味いと言える人はそれだけで信用できる。


テレビなんて普通「美味しい」としか言えないんだもん。だから不味いものを不味いと言う、こんな当たり前のことをするだけで、その人をめちゃくちゃ信用できるようになった。


つまりね、やっぱり誰かに依頼されて何かをおススメし出したインフルエンサーはもう終わりなんだよな。自発的ではない「いいね」をした瞬間から信用が一気に消費される。


だから、自発的でない商品紹介をするインフルエンサーは、信用が消費され無くなっていき、どんどん価値、影響力がなくなる。



そうなったとき、企業はどうするか?


当然その人に頼まなくなり、別の人に依頼、そしてその人の効果が無くなったらまた別の人へ。もう完全に消耗品だよね。タバコの火を揉み消して次のタバコに火をつけるように、味がなくなったガムを銀紙に包んでゴミ箱に捨てるように。


はい。使い捨てインフルエンサーの出来上がりです。信用があるうちだけ使いまわして、信用がなくなったらボロ雑巾のように捨てられるわけです。これどこのヤクザ事務所ですか?まさに鉄砲玉ではないでしょうか??


あなたはそれでもインフルエンサーを目指しますか?


さて、今現在、Twitter、Instagramその他各SNSでは、インフルエンサーを目指してフォロワー集めに勤しんでいる人がいっぱいいますね。


でも、よく考えて欲しいんだが、
あなたが憧れているインフルエンサーは、一体いつまでインフルエンサーでしょうか?


いいことを教えてあげます。世の中の8割の人はアホです。ただのアホです。
そしてアホほど、人が金を稼いでいることに敏感です。


だから、例え自発的に何かを紹介していようと、「これ広告じゃね?」と思われた瞬間から、あなたの信用は下がっていきます。そして叩かれます。
ステマ騒動で芸能人の信用が失落したのと全く一緒。今はその方法が巧妙になっただけです。


さて、個人的な話なんですが、俺はインフルエンサーを利用したステルスマーケティングがめちゃくちゃに嫌いです。明確にインフルエンサーから評価をもらって拡散してもらうなら良いけど、お金で動いてもらうパターンがめちゃくちゃ嫌い。
なぜなら、そんなことをされたら人が何を信用して良いかわからなくなるから。


そう言ったことが広まってしまうと、それこそ上記のように、人が本気でオススメしたいものすら、疑念の目で見られる文化になってしまう。誰も彼も疑いの目で見なきゃいけなくなってしまう。


そんな世界になって欲しくないので、インフルエンサー各位及びインフルエンサーを目指す人、そして彼らを見ている人も、普段から良いものだけを良いと言って、悪いものは悪いとはっきり言う世界になって欲しいなと思います。


本日は以上。
それでは。




実はこの記事、僕が書いたものじゃないです。書いてくれたのはこの方。

僕はヒノウさんの文章がめっちゃ好きなんですけど、たまたま「俺!無料で記事書くよ!」って言ってたのでDMさせてもらいました。

私はこの方の「強い文章」が大好きです。


わたし(高木)から一言。

虚装。一過性で大衆に消費されるゴミ。
行動や言動に根ざした思想はない、哲学のないインフルエンス。

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