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普通にめっちゃ 「Bメロが一番耳に残ったりするんだよね」

た、助けて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

大人が「助けて」という言う時。
それは大体もう手遅れな瞬間が多いです。
助からないことはわかっているのに、ただ気休めのためだけに「助けて」と言う大人。
健気やね。

「明るさ」と「愛され」の因果の中で生きている人間が、本当に眩しくて誇らしくて大好きだという話。
この世で最高の因果じゃん。

【放棄する権利】を【得る】ことが大人になるということなのかもしれない。
何かを捨てる自己決定権と、それを行動に移す力が君を大人にするんだぜ。
今日の私は、12時すぎまでお菓子を食べ続け、4時も目前だと言うのに寝ずにこの文章を書くことで、【健康の維持】と【電気代の節約】を放棄しています。

「慢性的体調不良」Tシャツ作ろうかな

【モネ作品にマッシュポテト投げ】←最悪の二番煎じ
そんなことすな!!!!!!!!!!
マジですな。そんなことをしても何も解決しないんだから。

自分達の主張を大衆に訴えかけるための手段として導き出された答えが、「形あるものに対する攻撃」なのマジでロジックがないというか、思考の形跡のなさを感じる。
インパクトを求めて何かを破壊する行為って、考える力のない人がすることだと思う。

活動家の方々の行動原理としては、「社会に対して『芸術と命、どちらがより価値があるか』という問いを投げかける」ことがあるらしいが、正直な話、この世界でそんな極端な二択を強いること自体がナンセンスじゃないかと思う。

なんとなくではあるが、「価値」というものは、「問い正す」ものではなく、「自己決定」していくものであると思っているので。

人間に「正しさ」を追い求めてはいけない(追い求めるだけ無駄な)ように、価値にも「正しさ」なんて見出してはいけない。

「正しい」ということは、ある種人間の放漫さが生み出した暴力のようなものであるので。
何も正しくなく、何も誤っていない。本当にそうであればいいのにね。

私たちはグラデーションのように、ある部分は濃く、ある部分は薄く、そのように帳尻を合わせることでしか生きていけない。
その濃い色同士が混じり合ったとき、私たちはどうあるべきなのだろうか。
そもそも混じり合うべきではないのだろうか。
 
くたびれたショート丈のTシャツと、その下から見えるくびれが魅力的に写ることもあるけれど、
ふんだんな毛糸を使って編み込まれたぶ厚いセーターがやっぱり落ち着くし、性に合ってるなと感じる。
赤裸々でいることにずっと憧れはあるけどね。


自分に似合うものを知った者勝ちよ
いつまで与えられた衣装で踊ってるつもり?
(↑LE SSERAFIMの歌詞を予想しようの会 会長)




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