作業用BGMっている? そこにいるためだけに必要な音
無音よりかは、ならば雑音のある方が作業が捗る。学生の頃から勉強をするときは家族のいるリビングで取り組んだ。しんと静まる図書館や、人の気配のない自室では集中ができなかった。
執筆活動においても同じだ。一人暮らしの自宅で落ち着かなくなると、印刷した原稿とiPadを抱えて、ファミレスやカフェに逃げ込む。マシンがコーヒー豆を挽く音や、客や店員の話し声をBGMに行う作業が、一番落ち着くのだ。
作業用BGMは、意味を含まなければ含まないものほどいい。ラジオ番組や好きなアーティストの楽曲などは、意識をそちらに持っていかれるため、BGMとしては不向きだ。
雨音や葉が風にそよぐ音など、自然の音もいい。が、遠くに聞こえる誰かの会話や、時折起きるドアの開閉音、注文を受けて伝票が発行される音など、どこかほんの少し人間の気配が感じられると集中が増す。
人の存在があることと、且つ音がすることというのは私の中で密接に繋がりを持っている。人がいるのに物音を起こせない空間は居心地が悪い。僅かな音でも求めたくなるのか、誰かがシャーペンの芯をぽきりと折る音に神経を注ぎたくもなる。が、その前に眠くなってしまう。
人の気配がある中にいながら、そこに意図や意味などは持たず、その渦に巻き込まれることのない距離感。そんな音に包まれていたいのだ。それはつまり、カフェやファミレス、家族がくつろぐ実家のリビングに存在した。
社会人になってからは、外に出て作業することが増えたのもあり、コーヒー代が馬鹿にならない。
「これは浪費でなく、投資だ」
このコーヒー代で、集中できる空間と時間を買っている。そう割り切ることにした。
それでもどうにもコーヒー代をケチらねばならない財布の状況もある。その時は大人しく自宅へ帰り「一時間の勝負」に挑む。インスタントコーヒーを淹れ、YouTubeで焚き火の映像を傍に流し、その音を聞きながら作業をする。
「せめて一時間頑張ってみよう」
せいぜい四〇〇字詰一枚程度の成果だが、やれないよりかは全然いい。積み重ねの甲斐あって、以前よりも心なしか自宅で作業するのが苦でなくなってきた気がする。このままいつでもどこでも集中できる体質になれればいいのだが。
がやがやしているところで集中できない、という人も多くいる中、同じ空間でパソコンやタブレットを広げる仲間もいる。同じ音に抱かれながら、みんなひとり。共有などしない。ただそれぞれ自分がそこにいるために「音」が必要なのだ。