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『東京都同情塔』を読んで

芥川賞の受賞が発表された直後、作者が生成AIを駆使して書き上げたという点に関して否定的な意見が多く見られた。だけど僕自身は読んだ後、作者である九段理江さんがこの本を書くにあたって生成AIを駆使したこと、さらにそれを(あえて受賞時に)公言したことに納得がいった。

理由は単純で、そもそも生成AIはこの物語において重要な小道具なのだ。

物語は、「もしザハ・ハディッドが設計した国立競技場が実現していたら?」という仮想の舞台設定ではじまる。その世界でも、やっぱりコロナウイルスは蔓延している。一方、オリンピックは予定通り2020年に開催されている。

物語の主人公は建築家。彼女は、頭の中で描いたドローイングが現実の風景として形になる瞬間に、大きな喜びを感じている。同時に、いつかその建造物が破壊される運命にあることも、深く理解している。

読者がその運命の対比として感じるのが、物語をはじめとした文章・言葉だろう。それらは、本というメディアを介してその所有者がいる限り永遠に残り続ける。更に驚くべきは、メディアが崩壊しそうになった時、複製を作ることで文章や言葉は崩壊を回避できるのだ。
風景として現実に立ち上がるという点は建造物に劣るのだが、人の人生に与える影響は同じくらい強力で、建造物と違って未来永劫にわたって残り続ける可能性を持つ。

そして、そうした文章・言葉を一瞬で膨大な量吐き出す生成AIは我々にとってどんな役割をもつ道具になるのだろうか。その言葉もまた僕らの人生に影響を与えてくるのか? 本書が問いかける問いの一つだ。

受賞時に語られたように、本書はその5%程度に生成AIを活用したという。もし中学生の頃にこの本に出会っていたら、僕は小説家を目指していたかもしれない。というより、今の僕が中学生で、この本を手に取っていたら、間違いなく小説家になる夢を抱いていただろう。(もちろん隣にはAIを携えて。)

それくらい、建築物と対比することで浮かび上がる物語・言葉が持つ魅力に強く共感をした。


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