第21日・イラン、マシュハド居候生活
イラン人にとっては、昼食が最も重要な食事なのだそうだ。トラビネジャドさんの娘夫婦も昼には仕事から帰ってきて、家族とともに食事を摂る。この家では午後の2時ぐらいが昼食どきのようだ。
キャバーブは薄切りの玉葱と一緒に食べる。トマト・レタス・きゅうり・人参を細切れにしたサラダ、ヨーグルトと粉にしたクルミと野菜を煮込んだスープ、それからプロウと呼ばれる米の飯を山盛りにして、黄色いサフラン・ライスを香り付けに使い、さらに茶色いおこげも傍に載せる。彼らはおこげこそが米飯の最上の部分であると考えているらしくて、客である僕にはたくさん盛ってくれる。ただイランのおこげは、ぱりぱりというよりむしろにちゃりとした食感で、僕はそんなに好きになれなかった。
▲イランには煮込みスープが多い。シーラーズにて
昼食のあとはチャイを飲む。インドでチャイと言うとミルクティーが出てくるけれど、イランではストレートの紅茶だ。角砂糖を口に入れて、チャイで溶かしながら飲むのがイラン流らしい。お茶請けには甘いパイ菓子や、干した棗椰子の実が出てくる。棗椰子の実は英語ではデーツ(dates)と呼ばれていて、イランだけでなく中東地域でよく食べられているそうだけど、ねっとりと甘く、何杯でもチャイがほしくなる。イランではチャイはサモワールという、独特の形をした蛇口つきの大きな湯沸かし器を使って供されているので、その場にいる全員が、出涸らしになるまで何杯もお茶を飲むことができる。上部にティーポットを置いてお茶っ葉を煮出し、濃いお茶を蛇口の湯で適度に薄めて飲んでいるようだ。
ダイニングを出ると、昼寝の時間だ。たらふく食べてから昼寝なんかしているせいか、ある程度の歳のイラン人はたいがいでっぷりと膨れた腹をしている。娘夫婦はさすがに少しだけ休んだあとは仕事に出掛けているみたいだ。残った僕と老夫婦は5時半すぎに目を覚ました。
▲マシュハド最大の見所、エマーム・レザー廟複合施設。非ムスリムが入れるのは一部のみだけど、無料の英語ガイドが親切に説明してくれる
アリーさんが「出掛けるぞ」と言って、数分間車を走らせて着いたのはトラビネジャドさん一族の家族経営をしている自動車ディーラー店だった。アリーさん自身も数年前までは働いていたが、今は年金暮らしらしい。
店にはアリーさんの弟、息子、甥、従兄弟といった親戚の男たちが10人ぐらいいて、あとから来た者はサラームと言ってその場の全員と握手していく。「フビー?」と訊くのは、元気かという意味だそうで、元気だと答えるほうはフバムと言う。
英語を流暢に話せるのは一族ではアリーさんだけのようで、弟さんがロシア語を話せるほかはみんなペルシア語しかできない。しかしここまでひたすらイラン人たちにペルシア語で話しかけられてきて、何か知らないけども質問の雰囲気をなんとなく摑めるようになってきていたし、十数単語ぐらいは意味がわかるようになっていた。コジャー(どこ)という語が聞こえればアズ・ジャーポン(日本から)と答え、ナーム(名前)と聞こえればサトーと言う。イラン・フーブ?(イランは良いか)と問われたらヘイリー・フーブ(とても良い)と笑顔で答える。ジャ行とハ行の子音にはそれぞれ2種類があるので注意が必要だ。
アリーさんはじめ一族の人々は僕にペルシア語を仕込もうとしてくる。マン・何々・ハスタム、私は何々です。何々・ダラムと言えば、私は何々を持っています。どうやらペルシア語の動詞一人称単数形は-amで終わるみたいだなと思いながら、ヒンディー語よりもペルシア語をやっておくべきだったと後悔する。
親戚の14歳の男の子が、自分の名前を日本語で書いてくれと言う。名を聞くとアラシくん。もちろん「嵐」に決定。なんとか漢字を書こうと頑張っていたけれど、やっぱり難しいらしい。横画を右から左に書くのはさすがにアラビア系文字の国だ。
▲トラビネジャドさん宅のサモワール
厳格なイスラーム法の支配するイランでは、談笑のお供はもちろん酒ではなく、チャイだ。仕事も片手間にしているようだけど、ほとんどの時間はチャイを片手に親戚連中とわいわいしゃべっているだけみたいだ。
夜の10時半ごろまでだべって、アリーさんと僕は店を後にした。さようならは「ホダー・ハーフェズ」。
商店街で胡麻油と鶏肉を買ってから家に帰るらしい。イランでは同種の店がみんな同じ通りに集められている。車屋は車屋の通り、油屋は油屋、肉屋は肉屋というふうに並んでいる。油屋は店の裏で油を絞っているし、肉屋も裏で解体をしているようで、そういう専門店街を見て回るのも楽しい。肉屋では日本よりもかなりあからさまな姿でいろいろな部位が売られていて、羊の生首と目が合ってしまい思わずぎょっとする。
けど考えてみたら、鮪なんかの魚の首や目玉は普通に食材として受け入れられるのに、牛や羊は無理というのも変な話だ。このあたりは、日本の肉食の歴史がまだ浅くて慣れきっていないということなのかもしれない。エマーム・レザー廟の近くで食べた羊の腎臓の串焼きはすごくおいしかったし、以前ペルーのクスコで腎臓のアンティクーチョ(ペルー風串焼き)を食べて以来僕は腎臓こそ一等おいしい臓物だと思っているのだけど、わが国では腎臓はまだそれほど一般的になっていない。昔からの肉食の国には、まだまだ及ばないところもある。
▲ひつじさんの頭と脚は、エスファハーンで食べたような煮込みにする
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