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フランスのマンガのマチエール

 マンガは印刷されてはじめて完成します。原画は版下にすぎません。印刷された紙面はツルツルしてたりザラザラしてたり細かな違いはありますが、油絵のように絵具層の厚さで物理的な凹凸を作ることはできません。

 そんなマンガにマチエール(画肌)はあるのかというと、物理的ではなく視覚的ですがマチエールに近いものはあります。フランスのマンガでは特に凝ったものが多いです。

 日本のマンガは印刷会社への入稿時、白黒をハッキリとわけたモノクロ印刷されることが多いです。欧米のものはカラー印刷、ハードカバーが多く日本のものよりも高価になります。

 モノクロ印刷で最も美しく印刷される画法はペン画です。だから日本の作家はインクにペンを使ってきました。ペンは線をひくと、ひいたところは真っ黒になります。かすれや濃淡もあるはずですが、作者もそれはエラーだと解釈し、真っ黒であるという前提で絵を描いてます。ではグレーはどう表現するのでしょうか。二通り方法があります。

 ①一つはクロスハッチング。斜線を重ねてゆき影を作る方法です。

 ②もう一つは網点。むかしは作者が印刷所に指定を出して、印刷所で網点を打ってもらいました。モノクロ印刷にうつらない青鉛筆かなんかで塗って指定したり、原稿の上にトレーシングペーパーを重ねてそこに指定をしたりしたはずです。

 「薄墨を使えばいい」と思う方がいらっしゃるかもしれません。薄墨はモノクロ印刷をするととても汚く写ってしまいます。薄墨を/もしくは鉛筆で描いた絵や線を、自宅のスキャナで読み取ったりFAXで送ったりした経験がある方も読者の中にはいらっしゃると思います。するとどちらも思った通りに写らなかったはずです。とても見辛いものになってしまうのです。

 その薄墨をモノクロ化したときの汚さを、あえて利用した作家もいます。たとえば菅野修はある時期から頻繁に薄墨を使い絶妙なグラデーションを描きだしました。その薄墨の佇まいはモノクロ=ペン画を原則とするマンガ観からはエラーに見えるはずです。さらに言うと異化効果を醸し出しています。この異化効果から醸し出される画面の視覚的な抵抗感はモノクロ印刷のマチエールと呼べはしまいか。描かれている絵の内容よりも印刷された元の原画に描かれたインクの表情、それ自体が読者に迫ってくる経験は、油彩画におけるマチエールを認識した瞬間の感覚と近いものがあると思います。菅野修がこういう描法を選択したことは、彼が洋画家を志望していたことと無関係ではないはずです。

 フランスのマンガは元々カラーが主流ということもあり、ペン画以外の描画材を試すことのハードルは日本よりも低いはずです。それにフランスのマンガ家には絵や彫刻などを大学で勉強していた方が多いことも関係があるはずです。これはアカデミズムだから偉い、という話ではなく、鉛筆とペン以外の描画材に扱いなれている、(下書きの)鉛筆/ペン画以外の描画材によって描かれる絵画観を知っているということです。

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CHRISTOPHE DABITCH 、JORGE GONZÁLEZ『Mécaniques du fouet
Vies de Sainte Eugénie』(2019)

 このマンガ表紙からして怪しい感じですが、独自の存在感がありますね。アクリル絵具か油絵具かはわかりませんが、ペン画ではないです。

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  この画像はモノトーンで描かれてますが中間色があります。これは白黒印刷ではなくカラー印刷です。太めの鉛筆(コンテ?)に技法はわからないのですがグレーでトーンを作っています。こういうタッチで続くのかと思いきやこんな絵もある。

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 共作だからなのか、交互に色彩もタッチもことなる絵が続くのは目眩がします。話の筋がわからないのがもどかしい。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』的な、交互に話が入れ替わる仕掛けになってるのでしょうか?全然わかりません。このJORGE GONZÁLEZはもう一冊買ってきました。


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 Jorge Gonzalez、Oliver Brasによる『MAUDIT ALLENDE!』です。タイトルは日本語で「呪われたアジェンデ!」。アジェンデはサルヴァドール・アジェンデ、チリの大統領です。アジェンデ就任後の社会主義政権下の生活と、21世紀の現代の生活が対位法的に描かれたグラフィック・ノヴェルだと思います。断定口調で書きましたけれども、これも全部カンで書いてます。読んでません。フランス語わからないので……。

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 これなんか見開きページですが面白いでしょう。コラージュになっております。普通、マンガの原稿はスキャンしてPCに取り込むのですが、多分写真撮って取り込んでいる。

アホ

 このセリフが描かれた台紙は原稿用紙に張り込まれているでしょう。左の人物はまず原稿用紙に明暗が描かれ、輪郭線は台紙を貼り付けてからその上に描かれています。

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 これも同じマンガですが、細かく時間を区切って描く左ページと、長いナレーションを貼り付けた右ページの対比が面白いですね。なんというか日本のマンガよりも、ストーリーを物語るやり方が「編集的」という感じがします。日本のマンガ論ではよく「コマ」に注目して論じられますが、この手のグラフィック・ノヴェルでは「本の編集」をフル活用して物語ってゆくスタイルがとられているように思えます。

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※↑amazonの電子書籍で激安になってるのでマストバイ。

 これはSONNY LIEW『THE ART OF CHARLIE CHAN HOCK CHYE』です。架空のマンガ家チャーリー・チャンの生涯を追うマンガなのですが、その構成がまるで展覧会図録のようになってます。わたしも架空の赤本マンガ家を主人公にしてあたかも実在するかのような偽史を書こうと思っていたことがあるので、先にやられてシャクなのであまり触れたくないのですが……泣

 マンガの原稿を書くのではなくマンガ本を編集する感覚を持つことと、新しいマチエールを生み出す感覚は案外近いところにあるんじゃないかなとも、少し思いました。

 L'Associationという出版社があります。若手作家たちのによって作られたインディーズの出版社なのですが、ここの出版物は白黒で印刷されたものが多いです。細かい出版社の歴史はベデ君に聞いてください。

 こちら『大発作』というタイトルで邦訳も出てる作家David B.の『Le Cheval blême』。版元はL'Association。

https://www.amazon.co.jp/dp/4750325902/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_sb.WDb0H2T4FN

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 これは一体なんていうペン先を使ってるのでしょうか。もしかして竹ペン?紙も日本のマンガ原稿用紙とは違いすこし滲むものを使ってますね。相変わらず悪夢的な内容のマンガです。

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 こちらもL'Associationの本。baudoinの「couma aco」。古永新一『BD―第九の芸術』で結構長くボードワンが論じられているのでぜひとも入手したかったのです。

 ボードワンは色々な種類の絵を描く作家ですが、本作ではぶっとい筆に目の荒い画用紙に描いています。だから画用紙の目(表面のざらざら)に沿ってインクが乗っています。原稿用紙はケント紙!ペンは丸ペンかGペン!という発想が前提となってるとなかなかできない選択です。

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 まえに崇山祟先生の「イキモノマスク」というマンガが雑誌『トラッシュアップ』に掲載されてました。うろ覚えで恐縮なのですが、たしかこのマンガも原稿用紙ではなくて目の荒い画用紙か何かに描かれてた気がします。電脳MAVOに掲載された改訂ヴァージョンは、目のないツルツルした紙に描かれてたはずです。

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 Néjib『SWAN』

 これはL'Associationのものではないです。竹ペンか、筆かよくわかりません。強弱のが極端についたルーズな描法で描かれたマンガです。

こういう洒脱なタッチは1950年代の大人マンガにはよくみられましたが、全編このタッチで物語マンガを展開されると、結構テンションあがりますね。色数が制限されてるのもおフランスでええでやんす。このタッチには筆記体の書き文字がよく合います。

 新しいマチエールを生み出す感覚と編集は近いところにある、とさっき書きましたけれども、わたしの中で答えはすでに出ています。作家自身が印刷までのプロセスを把握していて口をだせる立場にいるとマチエールの実験ができます。その実験ができる状況は二通りあります。小規模な出版社で、作家と出版社/者の距離が近い場合。もうひとつは作家自身が出版活動を行える場合。

2019.11.7

 ◎わたしが描いたマンガの単行本『電話・睡眠・音楽』は劇画の短編集で14作掲載されてます。基本的にガロ系です。A5判型344ページ。表題作はここ(トーチweb)で全部よめます。新品買ってね!

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