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「自分って運が良いと思う?」という問いの真意

以前、先輩に「自分って運が良いと思う?」という意の問いをもらった。
「いや、ただ興味があるだけなんだけどさ。」と言っていた。

私「80%くらいかなと思います。」
先輩「それは結構運が良いね!」

1分くらいの短いやり取りだが、とても印象に残っている。
当時は特に深く考えずに答えたけれど、「先輩が聞きたかった事の真意って何だろう?」と、後になってじわじわと気になっているので、今日は「自分って運が良いと思う?」という問いの真意について書いてみる。
先輩に直接問いの真意を聞かないのは、考えるのが楽しいからかもしれない。そろそろ聞いても良いかな。

「運が良い」の基準とは?

皆さんご存知の通り、「運が良い」ことには絶対的な基準がない
自分にしか基準がない。ある出来事を良いと受け取るか悪いと受け取るかは、受け取った本人が無意識に(あるいは意識的に「こうあるべきだ」と)決めるから。

「自分は運が悪い人間だ」と思っていたら、天気が良くても「今日は風が強いな、運が悪いなあ」みたいになるんじゃない?

「すべての出来事には肯定的な意図がある」という考え方もあるので、この世界観にどっぷり浸かれている人は100%運が良いと思うかもしれない。

ちなみに私が先輩に問いかけられた時、「受験に失敗したけど、第二志望の大学でも学んだ事や出会った人たちは良かったな」「新卒の時は精神的に崩壊していたけど、そのおかげで心理学への興味が深くなったから良かったな」などと思い巡らせて80%とした。

「自分って運が良いと思う?」という問いの真意

言い換えると、「運が良いです」ということは「前向きに捉えることができます」ということなのではないだろうか。

「運が良い」と思えること自体、「運が良い」のかもしれない。
そういう見方を手に入れることが出来たのだって幸運だ。

先輩は、私がどれだけ前向きに物事を捉えているのか、を気にしていたのかなと思っている。

ただし、パーセンテージもやっかいなもので、私にとっての80%はけっこう低めの値。そこそこに運は良いけど、それ以上ではない。標準。
だから、「それは結構運が良いね!」と言われてハッとした。もしかして、運、良いのかな。

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