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事例オタクとしての自覚

基本的に平日休みだったこの1年、「土日に出かける=どこも混んでいる」という思い込みが定着してしまった。ということで、土曜日の今日も家に引きこもって本を読んでいる。この時期は暑くもなく寒くもなく、適温で気持ちいい。

よく分からない謎の寂しさ

西加奈子の「まにまに」。2015年に出版された短編エッセイ集を読んでいる。さくらももこの「もものかんづめ」みたいな感じの構成だと思って頂ければ(ちなみに「もものかんづめ」は、中学の朝の読書タイムに持って行ったら静寂の中笑いをこらえる地獄の時間になったので家で読むのがおすすめ)。

「まにまに」の中にある「占い」の書き出しは、「夫と台湾に行った。」

この一文に、よく分からない謎の寂しさを感じて引っかかったので、本を読むのを中断して過去にこの寂しさを感じた時を探してみた。
in the blue shirtsが「嫁とカフェにいた時」と書いているブログを読んだ時。
仲村トオルが「子供とうなぎボーンを食べています」と言っている番組を見た時。
先輩から結婚するよという報告を聞いた時。

逆に、似ている状況だけど、この寂しさを感じなかった時はいつだろう。
谷口菜津子の「今夜すき焼きだよ」という漫画を読んだ時。
星野源と新垣結衣の結婚報道を知った時。
友達が子供とお出かけした話を聞いた時。

きっとこの違いは、「未来の自分の参考事例だと感じていたかどうか」ではないかと思う。前者は趣味や仕事に没頭しているとか、生活感を感じないとか、一人暮らし最高!とか、何かしら自分と似た部分(もしくはそうなりたいと思う部分)を感じていた。未来の自分の参考事例ではなさそうだという事を突然知ったから寂しかったのかも。仲間だと思ってたのに!みたいな。もちろん先方がそんな事知ったこっちゃないのは重々承知の上。

事例を集めたい性分

気付いた時から、未来の自分のモデルとなりそうな事例を集める方に注意が向いている
今だったら、ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」を見て「夫と暮らさなくたって毎日は楽しいでしょ」と思ったり、映画「わたしをくい止めて」を見て「思い付きでひとり行動する休日も豊かよね」と思ったり、社畜のYouTubeを見て「これだけ辛くても働いている人がいる…きっと私でも働けるぞ!」と思ったり。

みんなそういうもんじゃんと思っていたのだけど、友人に「事前情報集めすぎじゃない?肩の力をぬいたら?」的なことを言われて、どうやら普通じゃない可能性が出てきた。

きっとこの習性は、自分の決断への自信の持たせ方のパターンによるものだと思う。「これだけ調べたんだから大丈夫」が、一番の自信になるタイプだから。調べ学習が好きな子供で、それで褒められて育つとこういう人間になるのかもしれない。読書をするうえでよく言われる言葉「巨人の肩に乗る」とか、坂本龍一の「音楽に、完全なオリジナルは存在しない」とかいう名言を気に入っているし。

それもそのまま受け入れていく

ここまで書いてみて、「別に事例オタクの自分を嫌いな訳ではないな」と思ったのでそのままにしておく。だから「とにかくまずやってみて」という言葉に拒否反応が出るのか。納得。もっと自信の持ち方にパターンが増えたら良いなとは思うし、肩の力は抜いていきたい。

冒頭の西加奈子「まにまに」の「かなこです」に、自己紹介の時ついつい苗字で名乗ってしまう話が書いてあって、「自分にぴったりくっついている、『自分の』名前を言うのが、どうしても恥ずかしい。」これには私も激しく同意。
なんとか絞り出して苗字。下の名前で自己紹介なんて求められないとできない。イベントで下の名前の名札を作るよう言われると顔から火が出る。
この部分を読み返すことで謎の寂しさが緩和された。良かった。

ちなみに、尊敬するお姉さんがさらりとCanvaを使いこなしているのを見て、食わず嫌いだったCanvaに手を出してみました(トップ画像)。どう転んでも自分の作ったものはダサいと思っているのでデザイン系には手を出さなかったのだけど、ちょっとアレルギーが和らいだ。楽しいかも。


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