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ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?

今回は解剖学者でもある養老孟子さんのこちらの本を通して「内なる世界と外なる世界」についてみていこうと思います。驚くのはこの本、20年前に出版された本の文庫版なのだそうです。ずっと早い頃にこんな気づきがあったのかと思う一方、社会は依然としてあまり変わっていないのだな、とも感じます。

スイスの教授が見つけた共通点

チューリッヒ工科大学の教授がたまたまマイヤーという人の解剖の講演を聞きに行き、展示してあった大腿骨の縦切り見本をみて、橋の片持ち梁の設計と骨の構造が同じであることを発見したそうなんですね。

そして、人間の作るものというのは、そもそも人間の脳の中にあったものなので、そうなるのも自然だというわけです。

意識と無意識

一方で、分化には意識的表現と無意識的表現があり、それぞれ以下図のように、言語表現/身体表現と言ったり、人工/自然と言ったりすることもできるということを様々な例を示しながら説明していきます。

そして意識的表現の行きつくところが”都市”であり、私たちは脳の中で設計したシステムに住み着いているのだと説きます。ここでゴキブリが出てくるんですね。人工のものとして都市を作ったのに、自然のものが出てくるのはうまくないということで、ゴキブリを嫌うのだと説明します。(ここは反論もあろうかと思いますが、味方としてはとても面白いですね)

子供も自然に近いので、ちゃんと訓練をして、都市の中での約束事が使えるようになってからようやく世間に出られるのだと言います。

だから、都市の中にあっては、子供は「はやく大人になれ」と言われるというのですね。

意識的部分だけが取り出された都市

上述のように意識的な部分だけが取り出された都市なので、無意識的、言葉を変えれば自然の者に対する理解が欠けてしまうわけですが、これは上述の子供だけでなく、様々な問題を作り出してしまうんだというのです。

例えば、性としての男女、生物学的に考えると男でも女でもない人というのは自然とできてしまうんだそうですね。ところが”都市”というところは「ああすればこうなる」の基準でシステムを回すため、”約束事”を使って切ってしまえるようにしているのです。

そしてこのシステムはある程度頭がまわらないとやっていけないので、ボケとか精神科の患者さんを”問題”にしてしまうのだということです。

ただ、悪い事ばかりではなく、こうして”約束事”や一般化をすることで、臓器移植や保険は成り立っているんですね。(確かに「一人一人別だよ」という考え方ではどちらもできなくなってしまいますね。)

都市化が直面している問題と著者の解

この都市化が直面している問題は、この世界が本来持っている自然の理解を欠くということなのですが、戦後、都市化が進んでいると言います。

都市化すると「全てを予定したい」ため、未来を食って現在を占める割合がどんどん大きくなっていくそうなんですね、そして先行きのことを決めなければ一切動かないというくせがついてくる。今の人はそうしないと気が済まないというんですね(この辺りは耳が痛いです)。

ところが、地震などの自然災害に代表される危機というのは、どうしていいかわからないから危機なんであって、全部計算できるわけがないというわけです。

著者が提案しているのは”手入れ”という方法です。田んぼの例のように、雑草が生えたら抜いて畦が壊れたら修理して、とやっていると、外国人がびっくりするような、きれいな景色ができてくる。だけど、それは美しい景色をつくろうとして手入れしているかというとそうではないという。

要するに何かきちんと手入れしていると、いつの間にかできてくるものがある。という取り組みをしてはどうか?というのですね。

この手入れですが、私は修身や自己研鑽に当てはまりそうな気がしています。実学ではない、人間学の部分は、直接的に何かの結果を出すというよりは、手入れをするように取り組んでいくことで、いつか何らかの形で形になるのではないかと思うんですね。

それではまた!


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