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2023/3/31→4/1

自分を舞台の世界に浸してくれた恩師が、62歳という若さで亡くなった。

僕の成長と、その時々の公演の成功をいつも祈ってくれて、
最後にやりとりをしたのは久しぶりに直接お会いした後のメールで「映画観るからな〜遠くから応援してるよ!」という言葉だった。

その時は、「遠くからなのか…」と少しだけ寂しさを感じたけど、とうとうもっと遠くへ行ってしまった。

きっと僕がご一緒出来たのは演出を手がけられた数えきれない舞台のうちの何本かなのだけど
その数本は僕にとって財産で、かけがえのない経験と言葉を授かった時間だったし、教わったことは舞台役者として生きている限りやっぱり頻繁に思い出す。(まさについ先日、演技のことで悩む共演者に「こういう演じ方、捉え方があるよ」とその恩師から教わったことを自分なりに噛み砕いて伝え「なるほど腑に落ちました」となることがあった。訃報を聞いたのはその次の日だった。)
今もよく開ける引き出しの中に言葉の数々が入っているような感覚だからか、不思議と疎遠な気持ちはしていなかった。

エイプリルフールの嘘であってほしいと思いながら斎場へ向かい、遺影を見ても嘘のような光景だった。
詰めかけた大勢の弔問客は当たり前のようにほとんど初めて見かける方々で、一人一人の悲しむ表情や声を聞くと僕はやっぱり何も知らなかったと思い知る。
そういう意味では、一番恩師を遠くに感じた日だったと思う。(でも行けて本当に良かった。)

一駅分余計に歩いて帰った。
その人にとって僕はどんな存在だったのだろう、とか考えないようにしよう。とか考える。

大林監督が仰っていた「人が亡くなったら、泣いて悲しむより、カット、オッケー!良かったよ!と称えてあげたい」という言葉を思い出した。でも結局泣いた。

生きている限りはまだまだ悩むし、終わらないし、いろんなことを考えてしまう。
そのうちの何瞬かは、胸を張れる時が来たらいいなとか、まだまだ考える。

山下晃彦さん。ありがとうございました。


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