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二の足を踏む、ということはしばしば起こり得るけど、それでもその足は前を向いているでしょう?っていうことで、そう捉える私はとことんポジティブというか前にしか向けない(盲点が常に後ろにある!ぎゃー)のだなと、今書いていて思いました。おはようございます。

人は先に弱みに目をつけがちです。生き延びる本能がそうさせます。足を一歩踏み出す先が、底なし沼だったら溺れるし、怪獣のしっぽだったら食われます(笑)だから一歩先にある危機を回避するための戦略的思考が働きます。

それでもなお、私達の足は、目は、前を捉える構造をしていますね。
それに対して、耳は、もうちょっと広い範囲を捉えるのかもしれませんね。
感覚器(触感)は、耳以上に360度を捉える構造になっています。

私の優位感覚 (=無意識によく使っている感覚)は耳で、これは「聴覚が鋭い」ということではなく、外界からの音と自身の中で起こる音(声)を勝手に拾って使っている、ということです。相対的に、人よりも多くの音声情報を拾っている可能性はあるけれど、それは必ずしも有益なこととは限りません。有益なことも勿論あるんだけども。

大事なことは、人と異なっている自分の才能(資質)を分かり、その特長を知って自分を活かすこと、というのは、ストレングスファインダーもNLPも同じことを言っています。

ということで、「まえをむく、にのあしでさえ」 は、とても私らしいです(笑) これを今、ひらがなに変換しなおしたのもまた、私の聴覚優位が勝手にやってみたことですね。いま気づきました。

可視化することには、気づくことの総量が増えるメリットがあります。

可視化しないことには、言葉という有限界には無い、美しく豊かな未定義を感じることができるかもしれません。


ということで、今日も1日熱くて素敵な夏を!

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