噂話が出来るまで

学校の先生をしています。

世間の人の多くは、噂話が大好き。目に見えることと違う、あっと驚くような、意外なことに、皆飛びつく。そして、盛り上がる。「うっそ〜、そんな人だと思わなかった!」とか言ったりして。

個人的には、色んな意味で人の嫌なところが垣間見える気がして、そういう話の匂いがするところからは何となく距離を置く(まあそこは単純な好き嫌いなので、そこはどうこう言っても仕方ない)。
私が最も怖いと思うのは、「嘘が噂になって広がって、当事者の耳に入らないうちに事実のようになってしまう」ことだ。
嘘が本当に、これが噂話の怖いところだと思う。

さて、嘘が噂話を経て、事実のようになってしまうのには、どんな仕組みがあるのだろうか?そんなことを今日は考えた。
多分、その過程は以下のようなことだと思う。
まず、身の回りの出来事に対してアンテナ感度が高い人が、皆が目にしている出来事を見ながら、「〇〇じゃないといいけどねえ・・・」と、想像力を働かせて、出来事の裏側にありそうなことを推測で言う。
すると、それを聞いた周りの人が、「〇〇なんじゃないかって噂だよ」とか、「〇〇かもよ」と言って、触れ回る。
この時点で、「〇〇かもよ」は、誰かがした想像の話なのか、事実を聞いてきたものなのか、わからなくなってしまう。
こういう風に、嘘(というか最初に言った人は嘘だとすら思っていない)は、事実であるかのような顔つきになっていくのだと思う。
こういう仕組みで噂話が広まっていくのだということは常に意識しておきたいし、この仕組みを使って悪さをする人もいるということも、忘れずにいたいと思う。

噂話は取り扱いが難しいが、全く意味のないものでもない、と思うのである。
今度は、こうした噂話から何を読み取れるかについても考えたい。噂話から何か得られるものがあるのではないか。
噂話は、それだけでは、事実がどこにあるのか全く分からない。その噂の内容が真か偽か、検証にはものすごく労力が必要だ(それでもSNSの普及で、随分噂の発端を辿りやすくなったと思うが)。
ただ、1つ読み取れるものもある。それは「人々が〇〇に関心がある、心配している」ということだ。
噂話は嘘かもしれないが、噂話に向かう人たちの気持ちは、本当。たとえそれが、扇動された形だとしても。これは、まあ事実と言って差し支えないだろう。


この構造と似ているのは、「アンケート調査」の類。
「え、それって本当?」と思ってしまうような調査結果の裏には、それに答えた人の気持ちがあるということを想像してみる。また、その結果を見た私たちの問題意識も同時に考えてみる。

正直に言うと、アンケートで事実は測れないと私は考えている。
例えば学校などでよくある、「家での勉強時間に関するアンケート」など。
学校では、生徒達に対し、折に触れて、「家で何時間勉強していますか?」という問いかけをし、回答してもらう。アンケートを集計してみると、(最近の高校生は本当に忙しいので)勉強時間が少ない、という結果が出る。
ただこれも、事実としてとらえて良いのか疑問だ。中には、例えば1時間机に向かい教科書を見ていたとしても、「本当にちゃんと1時間集中して勉強ができているのだろうか・・・」と、少なめの時間(0〜30分とか)で申告するという人もいるだろう。そういうことを考えると、アンケート結果は事実とはかなり遠いのではないかと思う。回答者自身も、何が事実かわからないのだから。
ただ、「自分の勉強時間が少ないと感じている人が多い」のは事実だ。これは「勉強時間が少ない人が多い」と随分意味が違う。
つまり、この類のアンケートでわかるのは「物理的な事実」ではなく、「回答者集団の問題意識」だということだ。

この場合も、アンケートに全く意味がないというわけではない。結果を受けて、何かできることはあるはずだ。
このアンケートを見て私が考えることは、きっと皆勉強に関して不安なのだろうな、ということ。そして、「勉強しなさいと声をかける」よりも、「生活上の不安や、学習に対するうしろめたさを解消する」方が必要だということだ。

高校生は時間がない。だから、効率よく物事を進めなくてはならない。すると、「効率が悪い勉強方法は悪」という意識が非言語下で出来上がる。
最初から効率よく勉強するなんてできるはずがなく、「効率が悪い方法をやっても意味がないのではないか」と思ってしまい、勉強に気持ちが向かわなくなる。
まずはその窮屈さを解消する方がよいと思うのである。この辺りはまた話が長くなるので、いつか・・・。

生活を顧みると、「普遍的事実」はほとんどない。そこにあるのは、「事実だと思っているものに対する意識」であって、そこから思索をスタートさせると、具合が良いような気がする。

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