考え方をひっくり返してみる

学校の先生をしています。

現代文の授業をやっていると、「常識を疑ってみること」、もう少し穏やかな表現だと「世界を別の視点から見てみること」の重要性を改めて感じる。

例えばこんな話。
私達は、「世界があって、人類がそれに名前を当てていった」、つまり「世界が先、言語が後」という考え方が普通だと思っている。しかし、本当にそうなのかという疑いを立てたのが、ヴィトゲンシュタインという人だ。
実は私達は、言語によって主観的世界を構築しているかもしれない。「いす」と「つくえ」という言葉がなければ、私達は世界から「いす」や「つくえ」を判別することができない。そんな馬鹿な、と思うかもしれないが、実際には、言語によって、虹の色が何色か、変わって見えるというのだ。同じ虹を見ても、日本語話者は7色と言い、別の言語圏の人は3色、8色と、見え方が違う(これは特定の言語が優れているということを支持するというわけでは断じてない)。
これを、「言語論的転回」というのだそうだ。

既存の考え方をひっくり返してみると、実はとても面白い。
私達は、常識があって、私達の行動が規定されていると考えがちだけれど、本当は行動が先で、常識が作られているはずだ。
また、「正しい言葉」というものがあって、私達の言葉遣いは形づくられていると考えてしまうが、実は、私達の言葉の中で、「多くの人が使っている(または気持ちいいと感じる)言葉遣い」が「正しい」と思われているだけなのかもしれない。
今までの、構築された常識を問い直してみると、新たな発見がある。これを「脱構築」といったりするのだが、全てを語ることはとても難しいので、小出しにしていく。笑

一昨年、昨年と、現代文の授業をやっていく上で、このような説明をし続けた。
その試行錯誤の上で、現在の自分の思索は成り立っていると思う。

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