03.金の薔薇
フワフワな夢
私は私立文系の大学を卒業している。1年浪人し、1年海外で過ごしたため院卒と同じ年齢で社会へと出荷されたのだが、そんな私も以前は理系人間であった。中学生の時、大嫌いな理科の先生が授業中にポロッと、「大学時代に青い薔薇の研究をしていた」と言っていたのを聞いた。この人に青い薔薇が作れるなら自分は金の薔薇作れるという謎の対抗心からいつの間にか自分の夢は金の薔薇を作ることになっていた。
高校2年生の終盤にもそのことは覚えており、金の薔薇を作るために文理選択は迷わず理系を選択し、信州大学を目指すことにした。なお信州大学で作れるかどうかは今でも定かではない。というか今金の薔薇があるのかも知らない。調べるつもりもない。
村斥力と東京引力
順調に勉強を重ね、志望校以外に特に行く気もなかったので信州大学一本で受験票を提出した。センター試験を終え、二次試験のため受験会場となる信州大学前日入りする際に事件は起こった。
大学の周りに何もないのだ。絶望するほどに。
違うキャンパスであればまた変わったのかもしれないが、自分が通うキャンパスがこれなのかと只々絶望した。逆に事前に調べればわかることを一切調べずにいた自分の愚かさを呪った。私は受験前日にすでに浪人が決まったのだ。田舎を見た反動で、もう東京の大学以外考えられなかった。そこで目に入ったのが慶應義塾大学。嵐の櫻井翔を筆頭にシティボーイに憧れ、少しでも合格率を上げるために易々と理系科目を捨て、初学の日本史や国語を学んだ。東京にはそれだけの引力があった。
伸縮自在な夢
猛勉強したが叶わず、私は第二志望の上智大学へいくこととなった。シティボーイになれたのでその実はどうでも良いのだが、何を言いたいかというと夢は簡単に変わるということ。やりたいこと≒夢として、それが固定されている若者はほとんどいないと思う。初志貫徹とか有言実行とか始めたことを最後までやり切ることは重要なんだ的な概念は私も大いに賛同する。しかし、それは理想。べき論人生は他者に対して有無を言わせないが、窮屈な側面もある。自由に考えて自由に生きる。自由には責任が伴うが、その責任さえ全うすればあとは自由なのだ。
前職でコンサルタントを3年やった後、現職で人事屋をやっている自分に過去の自分を重ねて、自己肯定のために自分に言い聞かせていると痛感している。ここから金の薔薇を作る道へ行けば“べき論”人生にレールを戻せるのかなと思う今日この頃、果たして何をやりたいのやら。。暇が欲しいものである。
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