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きみの寝言に安心した日。

~♫♬♪
スマホに表示された知らない番号に「誰だろう」と言いながら取ったその相手は、次女が通う保育園の先生だった。
「〇ちゃんのお母さんですか?」「あ、はい!いつもお世話になっております」いつものように挨拶を交わしながら頭の中で電話の理由を探す。

体調崩したかな、急に冷えたもんね、少しクシャミもしてたな、朝は元気だったけど子どもは分からない。職場に早退を伝えなきゃいけない心の準備をしながら次の言葉を待っていると、予想を遥かに超えた答えが返ってきた。

「今、お昼寝から10分くらい経って〇ちゃんが痙攣を起こしてしまって。意識はありますが、念のためということで今救急車を呼んでこれから病院に行きます。受け入れ先の病院が決まり次第またすぐに連絡しますので、準備をお願いしてもいいですか?」

「え?」
先生から告げられるソレを頭の中で整理しようと一生懸命話を聞く。
痙攣?救急車?緊急搬送?
朝、いつも通り元気にお喋りをしてご飯を食べ、はしゃいでいた娘の顔が浮かぶ。どういうこと?

人は予期せぬことが起こるとどこか他人事のようになる。というか、感情って瞬間的には意外と動かないもんだよね。きっとそれが心に受ける衝撃から自分自身を守ろうとする力なんだろう。

そんな表と裏腹に「え!何!?どういうこと!?」と騒いでいるAと、聞いた単語を並べて分析しようとするBと、電話で告げられたままを上司に告げ早退を願い出る本体。小さな頭のあちこちで同時に何かが進められた感覚もあった。

その日共有したい内容だけを伝え、また後で連絡しますと話をして職場を出る。駐車場に向かう途中で主人へ連絡し、必要なものを取ってから二度目の電話で告げられた病院へ急いだ。

病院についてから気持ちを抑えつつ小走りで救急へ向かう。
「あの、小さい子、2歳の子が運ばれてきたと思うんです。〇〇と言います。」
そう言う私を見て、受付の事務員さんは「あ、お母さん?待っててね」とすぐに看護師さんに伝えてくれた。

パッと見の雰囲気では現場も人も切羽詰まった感じはなく、「お母さんこっち」と呼ばれ、ドキドキしながらついて行ったその先に、状況が理解できていない不安いっぱいの顔で保育園の先生にしがみつき、たくさんの大人たちに囲まれている娘の姿があった。

「ママが来たよー」と言う看護師の声に反応し、「〇〇」と名前を呼んだ私を見た途端、「うぇーん」と泣きながら全力で手を伸ばしてくる娘を見て、ホッとしたのと、怖かったのと、驚きと、あの瞬間で止まっていた色々な感情が涙と一緒に流れてきた。

「すみません、初めてのことだったのでびっくりして」感情が涙に直結するタイプの私はパニックほどいかなくともなかなか涙が止まらなかった。そんな私を見て、「初めてだもんね、驚くよね」「良かったね、ママ来たね」と口々に優しく対応してくれる看護師さんやお医者さんの様子に改めてホッとした。

それからは娘をギュッとしながら普段の様子について少し話をしたり、経過観察を含め、新たに通された別室で待機することとなった。
相変わらず娘はギュッと力いっぱいしがみついている。救急車の中で意識はあるものの、大きな反応もなく静かに目を閉じている状況だったよう。採血の時に刺されたことで目が覚め、ガラッと変わった状況に驚いたんだと思うと保育園から付き添っていた先生が教えてくれた。

「なんというか、今日のことが保育園でよかったです。ちゃんと見守りがある中で…。家だとどうしてもずっと隣にということは難しいこともあるし、寝ている時だからこそ出来ることも多いので優先してしまう…。これが家で起きていたならそれこそどうなっていたか分かりません。私ももっとパニックになってこの子の状態も変わっていたかもしれない。」
痙攣が起きた時の状況を聞いてから対応について感謝を伝えると同時に、心境を言葉にしながら想像してまたゾクッとした。

伝えられた観察時間を過ぎ、先に行った血液検査でも異常は見られないということで帰宅許可が下りたけれど、今回娘は無症状からの痙攣であることから後日、念の為の診察をということで小児科に引き継がれることになった。

「今日はもうお家に帰って大丈夫ですよ。また痙攣を起こすようならすぐに来てくださいね。」
こういう時の声のトーンと話し方というのは本当に大事だな。穏やかに伝えてくれるおかげで私たちも落ち着いて対応することが出来た。

この日、お昼寝自体が中途半端だったこともあって帰り道ではボーっとしていた娘も、家に帰るとホッとしたのか徐々にいつもの調子を取り戻し、あれこれ食べると持って来てはお喋りをして、後から帰宅したお姉ちゃんと元気よく遊んでいた。
その姿にホッとしながらも目を離すことが出来なかった。元気でよかった。無事でよかった。何ともなくてよかった。ただ、それだけ。

夜になりいつものようにウトウトし始める娘を寝かしつけ、その姿がどこからでもすぐ見えるように整える。眠る時間が一番怖かったかもしれない。また痙攣が起きたら、その時に気づけなかったら、いつもゴロゴロ転がってしまう娘を出来るだけ離れないように側に置き、娘を産んで数日行っていた寝息の確認を久しぶりに何度もした。

長女はそれほどでもないけれど、次女は普段から夢をよく見る。笑ったり、泣いたり、怒ったり、叫んだり、歌ったり。それを通常か大レベルでほぼ毎日するもんだからこっちはたまったもんじゃない。

この人の頭は忙しいな、と起こされるたび朝もその疲れが残っていてため息をつく日もあったけど、その寝言に安心を覚える日がくるなんて思わなかった。今ならどんな寝言も両手広げて受け止められるよ、母さんは。

元気な寝言で起きる夜。いつもと違うのは、あ、元気だ良かった、と安心すること。そしてまた眠りに落ちる。昔とは違う疲れの残る朝になるのは変わらないけれど、それでも元気な声を聞ける今がありがたい。

後日、予約を入れてもらった小児科は特別な検査をするでもなく、問診とその後の様子を確認するものだった。
担当医とのやり取りもしっかりでき、ご機嫌に回るイスで遊ぶ娘を見ながら「今すぐに検査という感じでもなさそうだね。」と少し目を細めて穏やかに言い、結果的には様子見を続けるということで終わった。

完全に安心か、と言われればそうでもないというのが本音。でも検査を進めてこの小さな体に負担がかからないか、それで逆に何か起きないか、その心配をしてしまうのも本音。まだ2歳だ。どの判断が正しいとか分からない。
ただ今は、いつものように、いつもより多めに、見守りをしていくだけ。ふと出てくる不安を以前と何も変わらない娘が、言葉で、表情で和ませてくれる。

「何か気になったらまた来てもいいからね」
最後に優しく言ってくれた先生の言葉もお守りみたいな感覚。そうだ、心配なら行けばいいし、受け止めてくれる場所はある。大丈夫って。

この先も成長と共に笑いあり、涙あり、イライラしながらぶつかりながら進んでいく。そんな中でもきっとこの日のことを思い出しては今日のその日に感謝するんだろう。そして今日もまた、元気な寝言に安心しながら眠る。そんな毎日をいつか笑って聞かせてあげるからね。

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