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きっと大丈夫。

”あ、今日は出口付近だな”
娘と同じクラスの女の子。いつも教室に行くまでが遠く、ここから何分、いや何十分、もしかすると数時間…。いつも少し難しい顔をして、目を伏せながら自分の世界で心を整えている姿を見る。「おはようございます」彼女のペースに合わせて過ごす母親と最低限の挨拶を交わしながら娘を送り出す。同じタイミングで登園なので、もう軽い日課になりつつある。

コロナも少しずつ落ち着きを見せ始め、もう秋なのか?まだ夏なのか?と日々天気ニュースを見ながら考える中、保育園の一大イベントが行われた。娘から聞いていた練習の成果を直接見ることが出来る。これまでを思えばもうそれだけで気分が上がるし、この晴れ舞台までの限られた日数の中で安全に配慮しながら子ども達を指導、準備、対応してくれた先生方にも感謝の気持ちでいっぱい。本番は子ども達の嬉しそうな姿が見えただけで感動した。

元気よく楽しそうにクラスメイトと合奏や演技をする娘の姿に成長を感じると共に、同じクラスで育ってきた同級生の成長にもまたじんわりと来るものがあった。
娘を目で追いながら、後から見返そうとブレないように手に持ったスマホで撮り続ける。あれもこれもと欲張りになるのは、それもまた親バカの心なのだろう。個人意識の強い私の中にある母という感覚。それを感じさせてくれるのはこういった場面なのかもしれない。
無事にイベントが終わり、迎えた娘の表情にはやり切ったという達成感と自信が見え、またひとつ姉さんになったように感じた。

自宅に帰ってから一緒に行く事が出来なかった家族に撮ってきた動画を見せる。二度目の鑑賞会。あーだこーだ言いながら一緒に喜んでくれて、また嬉しい気持ちが沸き上がる。みんなの反応に目を細めつつ動画を見ながら、あるひとりの子が目に入ってきた。あの女の子だ。

「あ」短い一言に家族が反応した。「この子なんだけどね…」簡単にいつもの様子を説明しながら画面に映るその子を見る。そこにはいつもの難し気な表情とは違う、控え目ながら楽しそうに鍵盤ハーモニカを演奏し、みんなと一緒に演技をする姿が映っていた。

母親とも「おはようございます」の挨拶のみ、女の子本人と言葉を交わしたこともなければ、目が合うこともあまりなかった子。無理に接することはしなかったけど、どこか気になっていた。その子が今、たくさんのお友達の中で、お友達と一緒に楽しんでいる。何も知らない人の子なのに、胸が熱くなるのを感じた。

「あー、ちゃんと楽しみを見つけられているんだな」きっと変化に弱いんだろう、いつもとちょっと違うことに敏感で、そこに入っていくことに不安が強い。周りよりちょっと頑張らなきゃいけないのかもしれない。それでも、この子が楽しいと思える空間がちゃんとあって良かったな。今日というこの日をこの子なりに楽しんで、大切な記憶に、少しの自信に繋がるといいね、そう思った。

きっと、いつも送り出す母親も不安だったかもしれない。すんなり笑顔で入っていくクラスメイトを横目に見ながら、みんなと楽しそうに会話を交わす姿を見ながら。私の知らないところで悩んでいたかもしれない。私がどうこうできる問題でもないと知っているけれど、今日の女の子の表情がその母親の心をひとつ軽くしたかもしれない。そうだといいな。

子どもは親が思っている以上にしっかりしていて、強い。ひとつひとつの挑戦、失敗、成功を繰り返し、どんどん強く逞しくなっていくんだな。私もそんな道を来たはずなんだけど、忘れてしまうものなんだな。娘や女の子を通して懐かしいあの日を思い出す。

これから先、また新しい何かが始まる。そのたびに女の子は立ち止まり、難しい顔をしながら伏し目がちに歩くのかもしれない。それでも、向かった先にきっとまた、あの笑顔が見える日があるよ、とエールを送りたい。
昨日より今日、今日より明日、女の子の世界が優しくありますように。

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