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コロナでいろいろ変わってしまった話

新形コロナウイルスの新規感染者がなかなか減らない(2020年8月現在)。ぼくの友人・知人の中にもPCR検査を受ける人が出ている。(陽性になった人はまだいない)。東京はもう、いつどこで誰が感染してもおかしくない状況なのだろう。

 コロナ禍の中でぼくに起きたことを、書いておこうと思う。

 非常事態宣言が出る前の3月中旬からひと月以上、体調の悪い日が続いた。妙に体がだるく息苦しい感じがするのだが、熱はなく、咳も出ず、嗅覚・味覚にも異常はない。そのなんとも説明しづらい「自分はいつもの自分じゃない」という感覚は、これまで一度も経験したことのないものだった。

 3月6日(金)はぼくの60歳の誕生日だった。還暦ということもあり、有志の企画で、友人たちが下北沢の居酒屋に集まってくれた。入れ替わり立ち替わり40人くらいが来てくれたと思う。感激した。こんなに幸せなことがぼくの人生でこれまであっただろうかと思うくらい。

 その頃、コロナが少しずつ広がり始めていた。気休めだとは思ったが、店の入り口に、持っていない人のためにマスクを準備し、アルコール消毒液やセッケンを置いて入店時に消毒してもらった。そもそもマスクしながらお酒飲むなんて難しいんだけど…。

 陶然とするような週末の夜が明けたときから、集まってくれた人たちのことが気になっていた。ぼくの知る限り、体調が悪くなった人はいなかったのだが、木曜日になるとぼく自身の喉が少しだけ痛くなった。少しだけだ。ほんのちょっと。熱もない。でも内心ヒヤヒヤしていた。土曜日になると喉の痛みは引いたが、何となく体がだるい。でも、病院に行くほどでもない。じきに治るだろうと思っていたのだが…

 体調が一進一退するうちに迎えた3月27日(金)の昼過ぎ、ときどき何をしても無反応になるiPhoneを修理してもらおうと、渋谷ヒカリエのApple提携ショップに出向いた。最初はiPhoneの症状についてああだこうだと店員さんに説明していたのだが、しばらくするうちにどんどん気分が悪くなってきた。血の気が引いていくのが自分でも分かる。なんだこの気持ち悪さは。息苦しさも感じて深呼吸するのだが、ついに椅子にまっすぐ座っていられなくなった。店員さんが「どうかしましたか?」とけげんそうにぼくを見る。もうiPhoneの修理どころではない。店員さんに断ってふらつきながら店を出た。そのとき頭にぼんやり浮かんだのは「午前中に自分の足で歩いて病院に来たのに、急速に病状が悪化し、夕方には集中治療室で人工呼吸器を装着されたケースもある」というコロナの記事。このまま病院に行くべきか。いやいやまさか。普通なら会社まで20分ほどの道をのろのろと歩き始めたが、ハチ公前広場まで来たところで、どうにもたまらず休憩することにした。気のせいか息苦しさが増しているように感じた。

 肩で息をしながら、植え込みのフチに15分ほど座り込んでいただろうか。少し楽になったので再び会社に向かった。途中冷や汗が止まらず、何度も額をぬぐう。これ以上体調が悪くなったら周りの人に助けを求めなきゃダメかもしれない、と思った。何とか会社に着き、椅子の背もたれを倒してしばらく安静にしていたら、少しずつ気分がよくなってきたので、おそるおそる備え付けの体温計で熱を測ってみた。36度8分……。当時目安とされていた37度5分を超えていたら会社に報告し、あすから出勤停止だなと思っていたので、執行猶予がついた気分だった。でも顔が青ざめていたんだと思う。同僚から「調子悪そうですね、きょうはもう帰って下さい」と強く促され、そうすることにした。確かにこの時期に体調不良で職場にいたら迷惑だよね。

 家に着くと神経質なほど手洗いとうがいをして屋根裏部屋(ぼくの寝室)に引きこもったのだが、不安からか、夜になってもなかなか寝つけない。ネットで「コロナ 症状」とか「コロナ 経過」とか検索しまくっているうちにウトウトしたんだと思う。

 翌日の土曜日は熱も36度台前半に下がり体調は持ち直したのだが、食欲が湧かず、新聞を読んでもテレビを見てもちっとも頭に入ってこない。もう少し寝ようと、寝酒のつもりで空きっ腹に酒を流し込んだら体がふらふらし始め、また一気に気分が悪くなった(きのうのきょうで酒飲むなんてバカだな)。これはまずいとその日は屋根裏で大人しくしていたのだが、それ以降もずっとなんともいえない体調の悪さが続くことになった。

 われながらビビリだと思う。一日に何度も熱を測っていた。午前中は平熱で体に違和感がなくても、午後になると37度近くまで上がりだるくなる。これを繰り返した。ときどき一日中調子がよい日もあって、「よし!これで完全復活か」とぬか喜びするのだが、その翌日にまた悪くなる。こんなことはこれまでなかった。日に日に気持ちが沈み込んでいく。

 4月8日(水)、意を決して会社の近くにあるクリニックに行った。昼休みの12時から45分間だけやっている「コロナ疑い外来」。普通の患者さんと接触させないための工夫なのだろう。丁寧な問診のほか、肺のレントゲン撮影、体のどこかで炎症が起きていないか調べる血液検査(CRP)、そして血中酸素飽和度(SpO2)の測定をしてもらった。

 肺にはまったく影がなく(同じクリニックで去年の秋に受けた健康診断のレントゲン写真と比較してくれた)、炎症も起きておらず(CRP 0.5未満)、酸素飽和度も99%で問題なし(96%以上が正常、90%を切るとヤバイ)という結果で、医師は「たいした症状もない。可能性はゼロではないけど、コロナではないでしょう。当院としては、あなたにはPCR検査を受ける必要がないと判断します」とのこと。「会社は休まなくていい」とも。症状が曖昧だからか、処方されたのは補中益気湯という漢方薬だった。気力体力が落ち込んだ人を元気にするクスリらしい。とりあえずホッとしたが、何か納得できず、もやもやした気持ちになった。

 体調が悪い間ずっと気がかりだったのは、自分が万一コロナだったとして、誰かに感染させてしまわないかということだった。今にしてみれば、しっかり休みを取って家に閉じこもっているべきだったと思う。結局ぼくにできたのは、マスクをし、電車には乗らず(ひどい雨以外は徒歩通勤)、会議には遠隔参加し、ソーシャルディスタンスを保ち、できるだけ外での飲食を避け、家では屋根裏部屋から出ず、頻繁に手洗いとうがいをする。それだけだった。

 それからも、会社まで小一時間歩くと息が苦しくなってふらふらしたり(歳のせいではない)、酒を少し多めに飲むと気分が悪くなったり(飲むとどんどん気分がよくなるのが酒だ)。そのおかしな体調が影を潜め、元通りの自分の体に戻ったと確信したのは4月も終わりになってからだった。長かった。PCR検査も抗体検査も受けていないので、コロナに感染していたかどうか結局のところ分からない。でも、胸の奥に鉛が埋めこまれているような、あの何とも重苦しい気持ちを忘れることはできない。実はその鉛はまだ埋まったままなんじゃないかと思う。

 コロナは人の命も奪うが、残されたぼくたちの暮らしや気分もすっかり変えてしまった。「肩を落とし下を向いてトボトボ歩いている。ときどき顔を上げると舌打ちが聞こえ、どこからか鞭が飛んでくる。」そんな感じだ。同時にコロナには、それまで隠されていた様々なものを顕在化させる作用があったように思う。それは、差別意識であったり(感染者へのそれだけでなく)、ゆがんだ正義感であったり(自粛警察・相互監視)、想像力の欠如であったり(自分が感染しているとは露ほども思わない)、無責任さ(施政者の無策ぶり)であったり、そして、何より人への不信感であったり。

 人との距離感も変わった。遠くは近くに、近くは遠くに。みんな寂しかったのかな。長い間音信不通だった人から連絡をもらうことが何度かあった。嬉しかった。逆に、近しかった人と疎遠になることもあった。これは本当につらくて落ち込んだ。何がよくて何が悪いのか、本当のところはもっと時が過ぎないと分からないのだろう。でも、何か大切なものが指の隙間からこぼれ落ちていくような気がして、ぼくは途方に暮れている。

#新型コロナウイルス #コロナ

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