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吉野如意輪寺

かえらじと かねておもえば 梓弓(あずさゆみ)
なき数(かず)に入る 名をぞとどむる

 楠木正行(まさつら)(楠木正成の長男)の辞世の句の説明書が、吉野の如意輪寺の山門の戸口に立てかけあった。

 「これから死んで、亡き人の仲間入りをする、ここに名前を刻んでおこう」ということだろう、「梓弓」というのは調べてみると、当時巫女たちが神霊を呼ぶのに使った神具のようだ。また弓は魔を払う意味がある。「弓のように魔をはらい、真っ直ぐに神霊界へ飛んでいく」というイメージもこの句にはついてくる。

 楠木公か・・なんとも不思議なご縁のあるとこだなぁ、と心中思いながら、テクテク歩きの父と山門をくぐって、吉野の如意輪寺に入っていった。

 2023年4月2日13:32のことだった。

 その日の朝、母からlineのメール連絡があり、
 「今から吉野山へいってきます。行きますか?」と打診があった。

 弟の車で、年老いた両親は、土日にあちこち連れて行ってもらう。私はめんどくさがり屋なので、あまり行きたくはないのだが、以前弟が丹波の方へ両親を連れて行ったとき、弟が父親の世話をしているうちに母親が転倒して怪我したことがあった。母はスマホで撮った写真をインスタグラムにのせるのが趣味なのだが、スマホに気を取られ転倒してしまった。幸い大事には至らなかったが、そのことがすぐに頭によぎったので、そのメールをもらった時はまだ布団の中だったが、弟のサポートとして行くことにした。

 吉野山付近までは大した渋滞もなく、順調なドライブだった。そろそろ吉野山に向かう頃、チラホラと交通整理の人たちが現れた。ある左折待ちの信号で!交通整理のオジサンが何故か助手席の、弟に声をかけてきた。

 「運が良ければ、上まで登れるかもしれませんなあ〜私は〇〇出身で、〇〇ナンバーの人には声かけているんです。笑笑」

 言っていることの意味はその時あまりわからなかったけど、交通整理のオジサンに話しかけられるなんて、なんか珍しいことだと、弟と話しながら、吉野山へドライブを続けた。

 川を渡って吉野の山に行こうすると、「ここは通れない!」と断れた。大回りして、その先の橋を渡って山に登ろうとすると、「許可のない車は通れない」と言われ、そのまま違う道をさまようしかなかった。
 ここであのオジサンが言っていたことを・・ムムム・・・、と思い出し、どうやって山を登るのか、ネットで検索してみた。
 すると、「お花見のシーズンに車で行くのは無謀で、ただの時間の無駄だ」と書いてある。
 なんと!そういうことか!

 山頂への直通の道は通れなくなっている。

 ロープウェイの駅で、車を止めて登ろうにも、駐車場はいっぱいで入れない。

 右往左往しながら、もう諦めようかと思った頃、ふと横道から山頂につながるような道に出た!「運が良ければ・・・」あのオジサンの言葉がよみがえった。まさに「運が良かったのだ!」
 麓に駐車場がいくつかあったが、すでに満杯だった。多くの車は麓の駐車場に車を置き、そこからシャトルバスで頂上に向かうようだ。父親は足が弱ってきているので、シャトルバスでは、とても行けそうになかった。横道から山頂へ向かう道に出れたことはまさに「運が良かった」のだ。
 しばらく、ドライブしていると、如意輪寺近くに駐車場があり、幸い数台止めれそうだった。そこで、車を停めて、山頂を目指して歩く母と弟、如意輪寺付近を散策する父と私の二手に分かれた。

 如意輪寺に行く予定は、当初全くなかったが、拝観料を払って、庭園を見ていると、茶席があることに気づいた。そこで抹茶をいただくべく、室内に入ると、そこから吉野山が展望できるベランダのような欄干があり、その絶景を眺めながら抹茶を飲むことができた。
 なんとラッキー!私たちはその風景を楽しみながら、まったりしていた。偶然とは言え、こんな素晴らしい景色に出会えるなんて。誰かに歓迎されているのかもしれない、と嬉しくなると同時に少し、後頭部に違和感があった。痛みではないが、少し違和感があった。なんか誰が待っているような。私はそこで、感謝と供養の祈りを捧げた。しばらく、和らいだがまだ、少し残っている感じもした。

 弟と母が登り終えて、帰ってくるので、この茶室で合流することになった。父と茶室に入った時は、人はまばらだったが、30分ゆっくりしている間に、びっしり満員になってしまった。弟と母に私たちの席を譲って、父はゆっくりしか歩けないので、私と父はゆっくり車がある方向へ帰ることにした。庭園出入口へとゆっくり歩いたが、私は上の方の多宝塔の桜が気になって、上に登ってから、庭園出入口を出て、山門で待ち合わせることにした。父は階段や上に登るのは無理だし、登って降りて行けばペース的にはすぐに合流できると思っていた。
 多宝塔の周りの桜は、赤みを帯びてとても綺麗だった。夜景をとる準備をしているようなカメラクルーも待機していた。ゆっくり桜を見ながら、降りて父と合流しようと庭園出入口あたりを探すも、父はいなかった。そんなに早く歩かないけどなぁ、と思いつつも山門まで行った。そこにもいなかった。山門から先は急な坂がしばらく続くので、父がいれば一目でわかるが、いなかった。どこ行ったのだろうか。

 山門の中へ戻って、探そうとすると、後醍醐天皇陵がすぐそこにあることに気づいた。「あぁ、ここに呼ばれているんだ。」そう直感して、その天皇陵へ向かった。階段上ってすぐだった。墓陵の前に、立つと間違いない、ここだ!と感じた。

 拝礼・拍手して、祈った。すると、天と地が繋がるようにスーッと気が通って行った。地から天に向けて、エネルギーが矢のように飛んでいった。もういいかな、と思うまでじっと手を合わせていた。少し前まであった頭の違和感はなくなり、実にスッキリとすがすがしい気持ちになった。このために来たのかもしれない。

 だいたい毎年、4月の頭にはどこかに行って、お参りをする。どこかは年によって違う。自分にとって必要なところに導かれるのが常だった。この文章を書いていると、昨年FBに挙げた写真が出てきた。そうか、去年は、蘇我入鹿の首塚で祈りを捧げたんだった。そこは奈良県ではなく、近隣の三重県の山奥にあった。その時もそうだが、毎年この時期に祈ると、天と地が繋がる感覚がある。地球の特別な力を感じる。

 ルドルフ・シュタイナーは、「地球は年に一回呼吸をする」と言った。その時期は春先、イースターの後ぐらいだとも言った。たしかにそんな気がする。地球が呼吸をするとき、地から天に向けて、エネルギーがスーっと流れていく。天と地が繋がる、そんな感覚になる。少なくとも私は・・・

 今年はこの天皇陵に呼ばれたようだ。

 父とはぐれたのも偶然ではなく、初めからそういう設定をして(誰が?というとハイヤーセルフさんたちが・・)、この山に来たのかもしれない。
人それぞれ、ゆかりの場所があり、ゆかりの人物がいる。4月の頭は、いつもそういう場所と人物に導かれる。
 今年はどこかに行く予定は全くなかったけれど、今年もちゃんと用意されていたのだった。

 このエピソードは2023年の4月、一年前の桜の咲き誇る時期のこと。
 この年の夏に父が亡くなるとは思っていなかった。
 ゆっくりと山道を歩く父の後ろ姿が今でも目に浮かぶ・・・今にして思えば、楠木正行の辞世の句も実に意味深である・・・父にとってはこの年の桜が最後であった・・・


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