【一幅のペナント物語#29】観光地ではなく伝統建築を愛でるペナント
◉ここまで実は意図的に取り上げてこなかったペナントがある。昭和50年代以降に出現したと言われている、やたらとデカくて厚紙製カラー写真印刷のタイプだ。界隈ではペナントの隆盛を恐竜のそれになぞらえて表現されることがあるのだが、それで言うところの「白亜紀種」である。このペナントはまだそこまで巨大ではない(横約73cm)ので、もしかすると白亜紀初頭の品かもしれないが、このぶっきらぼうな「合掌造り」としか書いていないデザインが気に入ったので例外として紹介したい。
◉さて、この「合掌造り」は地名に相当するものがどこにも書いていない。買った人にすれば買った場所が解るので、そういう表記は不要かもしれないが、経緯を全く知らない僕からすると「で、どこのだよ?」と突っ込むしかないわけである。まあ一般的には白川郷と五箇山の2地域がすぐに思い浮かぶので、そのどちらかだと推察できる。ただ他にも、飛騨民俗村や下呂温泉合掌村、飛騨荘川の里や川崎市の日本民家園にも合掌造りはあるわけで、観光地ペナントとしては、やはり果たすべき役割を果たせていないとしか言いようがない。
◉実際に調べてみた。今はGoogleの画像検索という素晴らしい技術があるので大助かりだ。そして写真の建物は、白川郷内にある明善寺の庫裏に当たる棟で、現在は「明善寺郷土資料館」として活用されている物件だということが解る。奥の建物が寺の本堂で、鐘楼も含めすべてが合掌造りという珍しいお寺だそうだ。というわけで、ほぼ間違いないと思うけれど、このペナントは白川郷で買われたものだろう。
◉ここまで書いて気付いたが、このペナントは観光地ペナントではなく、日本の伝統文化(建築)にフォーカスした特別種なのかもしれない。特定の場所ではなく、固有の文化を伝えるためのペナントだ。どちらかというと旅行客というよりは、日本建築マニアの部屋の壁に貼ってあるべき一品なのだろう。こういうの他にもまだありそうだ。
◉ちなみに右の先っちょ部分に紹介されている花も、Google画像検索してみた。一発で特定できなかったが似たような花3種のうち、花びらや葉っぱの形状から「キクザキイチゲ」という種だと思われる。特に白川郷を代表する花というわけでもないようだし、何故このチョイスなのかは製作者のみぞ知るというところか。こういうのもペナントらしさかなと思う。
◉先日、2024年に入って白川郷が中台圏からの観光客で溢れているというニュースを見た。昨年頃から海外の観光客が増えているというのは聴いていたが、あえてこの冬の時期にやって来るのは、やはり雪への憧れが強いのだろうか。ちょっと前から感じていたが、海外の観光客が喜ぶ観光地は、もしかすると昭和の日本人が楽しんだ場所と一致するような気がする。
◉長くなっちゃうのだけど、このペナントについてもう少し。いわゆる"房"の部分が特徴的で、僕の手元にある中でもたぶんこれくらいだし、蒐集家・北澤さんのサイトでもコレクション155枚中に1枚というレア度だと紹介されているので、ここでもメモっておく。リリアン紐の上に△状になるように捻った金フィルムが貼ってあるのだ。これは地味だけど手が込んでいると思う。
◉最後にもうひとつ。厚紙ペナントの裏面は無地か、単色の細かな市松模様になっているのがパターンなのだが、このペナントは裏面に「TOKOSHA」の文字が並んでいるのを発見した。購入者の「昭和47年9月11日」の書き込みもあったので、冒頭に書いたように白亜紀初頭というのは間違いなさそうだ。
この「TOKOSHA」、絵葉書界隈では良く目にする名前で、商品展開上、同じ会社であってもおかしくはない。検索してみると1927年(昭和2年)創業の広告会社がヒットするが、HPを見てもこの会社かどうかの特定は難しい。もし、そうならいろいろ話を聴いてみたい気もするが、さてどうだろう。
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